タブーを破り、初めてメガネをかけ高座に上がった落語家・春風亭昇太。昔から「飄々とパンク」なのだ

首都圏の落語会は月1千件以上と10年前の倍、20代・30代ファンも急増中と、落語ブームが訪れている。

その立役者であり、落語人気を支え続けた長寿番組『笑点』の新司会となって注目の春風亭昇太を直撃。『笑点』で落語をやらない理由は? 今面白い落語のカタチとは? あと、結婚しない理由は?

■『笑点』はテレビで、落語はナマで

―『笑点』の司会、見ていてとても楽しそうですが。

昇太 う~んっとね。「僕だったらこうしよう」って考えてもしょうがないんですよ。もう図式が変わっているので。

―図式?

昇太 例えば、初代司会の立川談志師匠、4代目司会の先代の三遊亭円楽師匠、先代司会の桂歌丸師匠って、大喜利メンバーにとっても落語界の先輩だったんですよ。でも今は大喜利のメンバーにとって、僕は後輩ですからね。だからその場の自然の流れに任せている感じですかね。まぁメンバーは全然、僕に気を使ってくれないですけど、変な生き物を見ているみたいで楽しいですね。

―最近はお笑い芸人もテレビで大喜利をやっていますが、落語家ならでは、と意識する点はありますか?

昇太 今の大喜利のメンバーって、30年前に僕が楽屋でお茶を出していた頃からお互いに知っているんです。おかげで信頼関係は強いですよね。大喜利でメンバー同士が悪口を言い合っても大丈夫な人間関係ができあがっているんだと思います。

―確かにイヤな感じは皆無です。で、素朴な疑問ですが、どうして『笑点』は落語家が集まっているのに落語をやらないんですか?

昇太 『笑点』は大喜利番組ですし、落語の面白さはテレビでは伝えるの難しいんですよ。たまにBS『笑点デラックス』やテレビで落語をやっていたけど、あれは落語を「生」で見たことがある人たちが楽しめるもので、というのは今のテレビ演出って、視聴者にあらゆる手段を使ってわかりやすく伝える媒体じゃないですか。出演者が日本語でしゃべっているのに、画面の下に日本語のテロップが出たりする。あれって見ている人が想像しなくてもいいようになっていて、それがテレビの素晴らしいところですよね。

でも、落語ってお客さんに想像してもらって初めてお客さんの頭に「絵」が浮かんで楽しめる芸能なので。だから、落語とテレビって真反対にあるんだよね。落語を聴くならテレビよりラジオのほうが面白いと思うけど、やっぱり「生」で聴いてもらわないと、本当の魅力は伝わらないと思います。

―なるほど。

昇太 じゃあ、なんで落語って何百年も残っているかというとね、「あれ、むこうからいい女が来るね」と落語家がしゃべりますよね。それを聴いたお客さんたちはそれぞれの「いい女」を想像するわけですよ。お客さんが自由に想像できるのが落語の最大の強みであり、面白さなんです。

ただ、テレビみたいに想像しないことに慣れている人が増えているから、今までどおりの落語では伝わりにくくなっているのも事実で、だから僕はちょっとオーバーな演出で落語をしゃべっていますね。

「自分の言葉」で落語をやりたかった

落語家は「扇子」を「風」と呼ぶ。箸から刀まであらゆるモノに見立てる最強の小道具だ

―晩年の談志師匠が「これからは昇太が落語界の天下をとるんじゃないか」って言われていたのですが、ご本人の耳にも入っていました?

昇太 談志師匠のインタビュー記事で読んだことはあります。ただそれは、今話した、ちょっとオーバーに落語をしゃべるってことに関係していて、つまり落語が演劇化したってことなんじゃないですか。

―落語の演劇化?

昇太 落語ってひとりで複数の登場人物を演じるので、役者みたいに100%登場人物を演じることはできないんです。でも最近の落語の傾向として登場人物を演じるパーセンテージが全体的に上がっているんですよ。

僕の落語は派手でやりすぎ感があるとは思うんですけど、演劇的にしたほうが、今のお客さんには落語の面白さが伝わりやすいかなと。これからの落語は演劇化していくってことを談志師匠は言われていたんじゃないかな。

―昇太師匠は現在、役者としてもご活躍ですよね。

昇太 もともと落語家になる前は芝居をやりたかったけど、落語って、春風亭昇太作&演出&出演でしょ。だから、面白くなかったら責任は全部自分だし、良かったら、僕が良かったってことになるわけ。

お客さんの反応を見れば、自分の落語がダメかいいか明快ですから。でも演劇だと複数で作るから、演出家のせいにしたり、役者や作家のせいだったり責任が曖昧ですよね。僕は結果がわかりやすく出るほうが向いているなと。それで今は、年2回は舞台に出て、来年のドラマの出演も決まって、シメシメって感じ(笑)。

―昇太師匠といえば新作落語のイメージが強いですが。

昇太 僕は「自分の言葉」で落語をやりたかったんですよ。まぁ、静岡生まれの僕が江戸っ子を演じても、それは本物にはかなわないだろうと。僕が落語家になった1980年代って、普通の言葉で落語をやっている人ってあまりいなかったんです。「するってぇと、おまえさん、何かぃ?」みたいな落語口調でやっている人が多かった。

でも、僕の師匠(春風亭柳昇)は落語口調じゃなく普通の言葉で落語をやっていて、僕は学生時代から好きだったんだけど、うちの師匠って、人気はあったけど落語評論家や落語通の客からは評価が低かったんですね。

―そうなんですか?

昇太 昭和40年頃に落語の文化的な地位を向上させて、能、狂言、文楽のような古典芸能にしようという啓蒙運動があったようなんです。それで評論家が昔から伝わる落語を「古典落語」って言葉を作って権威づけしたわけ。

だから古典落語って新しい言葉なんですよ。それで文化的に素晴らしい芸能だというイメージアップには成功したことは、非常にいいことだったけど、一方で、新作落語はくだらないものという負のイメージもできたんです。

「このオヤジ早く死ね」って思いながら…

一席終えて楽屋に戻る師匠。爆笑と割れんばかりの拍手に送られ、笑みがこぼれていた

―昇太師匠が落語家になった頃って、落語界はかなり悲惨な状況だったはずですが。

昇太 僕が落語家になった1980年代は漫才ブームで、落語業界としては最悪で、寄席にお客さんは少なかった。「沈みかかっている船に乗っちゃったぞ」って思いました。しかも、落語を聴きに来る数少ないお客さんからは小言とか言われるわけ。

―どんな小言を?

昇太 当時の僕は前座だから、落語会の打ち上げでお客さんにお酌をするんですが、酔っぱらったお客さんにつかまって「君はもっと落語の口調をちゃんとやったほうがいいよ」とか「おまえ、落語がへただな」と露骨に言われたり。

―今の姿を見せたくなりますね。

昇太 もうきっと死んじゃっていますし、当時から「このオヤジ早く死ね」って思いながらお酌していましたし(笑)。もちろん、古典落語は必修科目として前座の頃からやり、新作落語は選択科目として、ふたつの落語を並行してやっていたんですが、そこで思ったことは、落語は「伝統芸」だけど「伝承芸」ではないってことですよ。

―伝統芸と伝承芸?

昇太 つまり、昔の人がこんなふうに落語をやっていたから僕にも同じように落語をしゃべれ、と言われても困っちゃうわけです。

―昇太師匠は今も精力的に全国で落語会に出演されていますが、近年、古典落語の比率が上がっているように見えます。これはなぜ?

昇太 10年ぐらい前から、自分の言葉で古典落語をしゃべれるようになったんですよ。つまり、自分がやりたい落語の空気感を古典落語でもしゃべれるようになったんです。

まぁ、僕がこだわるのは、古典落語だろうが新作落語だろうが、お客さんを一番楽しませるのが最大の目的ですから、お客さんを目の前にして、どんな落語をやったらいいか、マクラ(注:落語の前のフリートーク)をしゃべりながら反応を見て、ベストだと思う落語をしゃべるってことなんです。そうすると、自然と新作落語と古典落語との垣根がなくなってきたんですね。

―その場のお客さんに合わせて即座にネタも変えてしまうんですから、落語家ってすごいですよね。で、これから初めて昇太師匠の落語を聴いてみたいというお客さんも増えると思いますが、既存の落語ファンと新しいファンが客席で交ざっていると、正直やりにくくないですか。

昇太 まぁ、僕が落語をやるときに一番大事にしているのは、落語をしゃべる前のマクラでの、客席との空気づくりなんですよね。というのは、なるべく早く客席の人たちを昇太の仲間にするってことです。なんで『笑点』に出ることは、今の僕の落語には意味があるのかなとも思います。

弟子をとってもいいことなんてない

私服に着替え、楽屋の名札を裏返す師匠。そして次の落語会へ。超多忙な日が続く

―先日の師匠の独演会を見たんですが、マクラで話していた、師匠が家の近所の中華料理屋さんで客のおじさんにからまれたエピソードが、失礼ですが本当にどうでもいい話なのに、やたら面白かったんですよ。

昇太 落語だって基本は「どうでもいいこと」だからね。だけど、「どうでもいいこと」に面白くなる可能性があるんだなぁ。まぁ基本、僕に不幸なことがあれば、面白くなるんですよ。例えば、「こないだ、こんなお城を見に行ったんですよ」ではダメで、「こんなお城に行こうと思ったら、行けませんでした」というほうが面白くなるんです。

―「死ね」って思ったお客さんが客席にいても、笑わせてやろうと思うわけですね。

昇太 まぁ、「死ね」って思った客は笑っていなかったけどね(笑)。というか、落語って全員に好かれる芸じゃないんです。だって、ひとりで演じているから、生理的に声が嫌いとか顔が嫌いだったらダメですから。嫌いな顔をずっと見ていられないでしょう。だから100%のお客さんに好かれるなんてことはありえないってわかってはいます。

―でも100%を目指しているように見えますよ。

昇太 そう! なるべくパーセンテージをちょっとでも上げたいとは思っています。今は落語がいい感じになっているので、もうちょっと世間に広まってくれるといいかな。

―現在の落語人気は、昇太師匠が80年代から挑んできた「演劇化」と「普通の言葉」が広がった結果といえます。加えて『笑点』の司会で、ファンだけでなく、弟子入り希望者も増えそうですが。

昇太 いや、今の9人で限界です。だって弟子をとってもいいことなんてないですよ。弟子に気を使って疲れちゃうんだよね。ただ、僕自身も師匠・柳昇に弟子にしてもらったから、その恩返しです。

―弟子の名前を自分で考えさせると聞いて驚きました。落語家の名前って、師匠からつけてもらえるのが喜びだとされていたので。

昇太 弟子が入門してきたら、自分がつけたい名前を10個考えさせて僕がそのなかから選びます。というのは、「師匠からもらった名前の画数が悪かったから売れない」とか弟子たちに言い訳されたくないんですよ。言い訳をすべて排除して、自分自身でなんとかしてもらいたいんです。

深く考えちゃうと結婚って難しい

―最後の質問ですが、結婚はしないと決めている?

昇太 決めていないですが、今思うことは、結婚って若いうちに勢いでするもんだなと。深く考えちゃうと結婚って難しい。僕ってなんでも深く考えちゃうタイプなんですよ。たぶん、落語にはそれが役立っているんですが(笑)。

―ということは、師匠の老後の介護は9人の弟子が?

昇太 そんなのはヤダぁ。男が周りにいるのは大嫌いなんだよ(笑)。

―落語家って、弟子が師匠の身の回りを世話するってイメージがありますけれども。

昇太 着物を畳むのは修行だからやらせるけど、あとはやらせないね。

―師匠が留守の間に家を掃除させたりとかは?

昇太 絶対にない。弟子を家に入れたら何しているかわかんないもん。僕の家で働いているのはルンバですよ。

―ルンバのほうが弟子よりいいと(笑)。

昇太 10人目の弟子はルンバだな。

(取材・文/三ヶ尻智昭 撮影/本田雄士 取材協力/国立演芸場)

●春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)1959年生まれ、静岡県出身。82年、春風亭柳昇に入門(前座名は春風亭昇八)。86年、二ツ目昇進。春風亭昇太となる。92年、異例のスピードで真打ち昇進。2000年、文化庁芸術祭大賞受賞。2016年5月、『笑点』の司会者に就任。日本各地の古城を巡り、釣った魚は自分でさばき、お酒好き。そしてバンド結成と実に多趣味な、「自分の言葉でしゃべる」現代落語のパイオニア。公演情報は公式サイト【www.shunputeishota.com】にて