北方領土交渉でプーチンの本当の狙いは? 鈴木宗男氏(左)と佐藤優氏が議論する

鈴木宗男・新党大地代表と、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏による対談講演会「東京大地塾」(10月27日開催)。

今回のテーマは、12月の日露首脳会談を控え本格化してきた、北方領土交渉だ。しかしプーチンの最大の狙いは、日米安保条約にくさびを打つことだと佐藤氏は言う。そこで安倍首相に求められる覚悟とは?

■北方領土は日本固有ではない

鈴木 1956年12月12日に日ソ共同宣言が発効されました。そしてそれからちょうど60年後の2016年12月15日に、山口で安倍首相とプーチン大統領の日露首脳会談が行なわれる。これは、何かの巡り合わせだと感じておりますし、ここで安倍首相が国益の観点から新たな歴史の1ページを刻んでくれるだろうと考えております。

というわけで、今回は北方領土問題について佐藤さんにお話を伺おうと思っています。

佐藤 北方領土は、日露間の戦後処理の問題です。事の発端は1945年の8月9日。当時有効だった日ソ中立条約を侵犯してソ連が日本に侵攻してきたことに遡(さかのぼ)ります。この時、ソ連の首相、スターリンは北海道の留萌と釧路の間に線を引き、それよりも北と東の占領を試みるのですが、これを米国のトルーマン大統領が拒否。結果、ソ連は樺太南部と千島列島を占領するにとどまった。これが北方領土の原型です。

1945年9月2日、東京湾、戦艦ミズーリ甲板上で、日本は降伏文書に調印して戦争は終結。52年にはサンフランシスコ講和条約が発効され、日本は独立を回復します。ここからが問題なんです。サンフランシスコ条約の2条C項に、「日本は千島列島と南樺太を放棄する」と書いてあります。じゃあ、その千島列島とはどこのことなのか?

当時の西村熊雄外務省条約局長は、「放棄した千島列島には北千島のみならず、南千島も含まれています。ただし、歯舞群島と色丹島は、北海道の付属諸島なので、ソ連によって占領されたままなのは遺憾です」と答弁しました。ここでいう南千島とは国後島と択捉島のことで、つまり日本政府は一度、国後島と択捉島を放棄してるんですね。

この発言は国会の議事録に残っています。これが歴史の事実です。日本政府はこの件に関して嘘はついていませんが、本当のことも全部は言わないようにしている。たちの悪い保険会社とか不動産屋って重要なことほど小さい字で書いてますよね。日本政府のやり方も一緒なんですよ。

そして1955年から、日本はソ連と国交を回復しようとします。ここで日本側は「サンフランシスコ条約について、ソ連は会議に参加はしたが、署名していないから、ソ連との間においてサンフランシスコ条約は有効ではない。だから南樺太と千島列島をすべて返せ」と、無理筋の交渉をする。

「北方領土」は日本が発明した言葉

このとき、「いったん放棄したけど、復活折衝を行ないたい」と言えば正直だったんですが、56年には森下國雄という当時の外務次官が「われわれは南千島を一度も放棄したことはない」とまで言ってしまった。実は「北方領土」とか「固有の領土」という言葉も、ある種の“宣伝”のために、この時期に日本によって発明された言葉なんですよ。

しかも、こうした日本政府の宣伝というのはたいてい失敗するんですが、北方領土に関してだけはうまくいってしまった。当時、日本にとってソ連はあまりにも悪い国家に映っていたからです。これによって、日本は北方領土に関して一度も4島を放棄したことはないと多くの国民が思うようになったわけです。

また、1956年の日ソ共同宣言には「平和条約を締結したら、歯舞群島、色丹島を引き渡します」という文言があります。実はこの「引き渡す」という言い方がポイントで、ソ連からすれば、合法的に得たという立場だから、贈与という言葉を使いたい。でも、当時の反共の雰囲気漂う日本国民からすると「贈与(プレゼント)なんて、受け入れられるか」という話になるから、日本的には獲られたものを返してもらうニュアンスの「返還」って言葉を使いたい。

そこで「引き渡す」という曖昧な言葉を表向きは使っておいて、国内的には日本は返還、ソ連は贈与という立場にして、お互いに詮索しないようにしよう、と大人の対応をした。これが1956年の日ソ共同宣言だったんです。

こうした経緯で日本国民の中に“固有の領土”といった認識がつくられましたが、国際司法裁判所で「北方領土は日本固有の領土なのか?」「日本は一度も北方領土を放棄してないのか?」と論戦になれば日本は負けますよ。

このようなごまかしの主張を国民にいつまでもしているのは、よくないと思いますね。

■実際には何島返還されるのか

佐藤 ソ連は1991年8月のクーデター未遂事件を契機に崩壊します。そしてクーデターの直後、ロシアのエリツィン新大統領から、日本に「戦勝国と敗戦国の区別にとらわれずに、法と正義の原則によって、北方領土問題を解決したい」という内容の秘密書簡が届くんです。

相手が強く出たら、こちらも強く出て、相手が譲歩すれば、こちらも譲って、折り合いをつけるのが外交の原則。だから、91年10月に中山太郎外務大臣がモスクワを訪問して、「4島に対する日本の主権が確認されるならば、実際の返還の時期、対応、条件について柔軟に対処する」という日本の新しい立場を伝えたんです。

そうした状況で90年代から鈴木先生が始めたのが、4島の日本化計画です。先生、色丹島を根室と同じインフラにするならば、いくらかかりますか?

鈴木 1兆円はかかるでしょうね。

現実的な落としどころは…

佐藤 そのくらいの規模で地域振興をして、色丹島の経済状況が良くなれば、それを見た国後・択捉の人々は、日本領になりたいと思うわけじゃないですか。私の調査では、当時は色丹島の住民の7割、国後、択捉の3割が返還賛成だった。つまり、歯舞、色丹の2島が先行して返還されてたら、3年くらいたてば、国後、択捉も返ってきていたんですよ。

沖縄だって、敗戦後、完全にアメリカ領にされていたわけじゃない。日本に潜在主権があったから平和条約が結べた。沖縄が平和条約を結べるなら、北方領土でも通貨はルーブルも使っていい、ロシア軍もいていい、裁判権もロシアが持ってる、みんなロシア語を使ってる、それでもいいから日本領だと認めれば、平和条約はつくれるんです。

2島を先に返してもらって、後から徐々に4島返還につなげていくというのが最もいいやり方なんです。鈴木先生はそうしたことをやろうとしていた。森喜朗政権が続いているか、小泉政権で森さんを外務大臣にしておけば、北方領土問題は確実に解決していた。しかし、鈴木宗男事件で北方領土交渉は15年も止まってしまったために、安倍政権ではアプローチの仕方が変わりました。というよりも、外交の世界でよく行なわれる、なし崩し的な政策の切り替えを安倍政権はやっている。

つまり、首相官邸も外務省も、これまでの「4島の主権の確認」という日本政府の原則的な立場を一度も表明せず、「4島に関する帰属の問題を解決して平和条約を締結するのが原則的な立場だ」と言っているんです。

どういうことか? 4島に関する帰属の確認には、日本4でロシア0、日本3でロシア1、日本2でロシア2、日本1でロシア3、日本0でロシア4の全部で5通りの可能性がある。極端な場合、日本は一島も取れなくても、それによって帰属の問題は解決するので、平和条約は締結できるし領土問題も解決したことになる。ゼロでもいいというのは、日本政府の基本的立場としてどうかと思いますが……。

私の見解では、もう日本政府は4島が日本領だという要求はしていない。2島だけ返還を求めているということでもない。歯舞、色丹の返還だけなら60年前に解決していましたよね。60年前の日本は、独立を回復して4年しかたっていない弱小国だったから、それがせいぜいだったでしょう。

しかし、鈴木さんがやっていた2001年の日本は強かったから、時間はかかっても4島取れていた。でも、それから日本は弱くなって、逆にロシアは強くなっている。力と力の均衡点はどこかという発想を持たないと、外交は見えてこない。だから今は、1956年の2島返還以上、2001年の4島返還が期待されたイルクーツク声明以下、その間が現実的な落としどころになります。

■安倍首相に求められる決断

佐藤 安倍首相も、もう現段階で4島が返ってこないと腹をくくっている。2島返還も実は厳しい状況だと思う。日米安全保障条約の第5条には「日本の施政が及ぶ全ての範囲に米軍は展開できる」とあります。ということは、仮に歯舞群島、色丹島の2島が返還されて日本領になった場合、この2島は米軍が展開できることになる。そうなるならプーチンは2島を絶対に引き渡さない。

つまり安倍首相には、日米安保には指一本触れないという、戦後どの政権でも守られてきた日本政治の原則を侵す覚悟が求められているんです。そうしないと、もう北方領土は動かない。そして、北方領土交渉におけるプーチンの狙いもここにあると思う。日米安保にくさびを打ち込み、アジア太平洋の安全保障体制を変化させる。これが彼にとって非常に重要なことなんです。

しかし、そうなると次期米大統領は、中国との武力衝突の危険性がある尖閣も安保の適用範囲外だといったカードを切ってくる可能性がある。だとしても、安倍首相はそれに怯んではいけません。

鈴木 日本は独立国だと示すためにも、北方2島に関しては、日本独自の判断をする。そういうことを安倍総理はやろうとしているんです。

●鈴木宗男(すずき・むねお)1948年生まれ、北海道出身。新党大地代表。2002年に国策捜査で逮捕・起訴、2010年に収監される。現在は2017年4月公民権停止満了後の立候補、議員復活に向け、全国行脚中!

●佐藤優(さとう・まさる)1960年生まれ、東京都出身。外務省時代に鈴木宗男氏と知り合い、鈴木氏同様、国策捜査で逮捕・起訴される。外務省退職後は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど、作家・評論家として活躍

■「東京大地塾」とは?毎月1回、衆議院第二議員会館の会議室を使って行なわれる新党大地主催の国政・国際情勢などの分析・講演会。鈴木・佐藤両氏の鋭い解説が無料で聞けるとあって、毎回100人ほどの人が集まる大盛況ぶりを見せる。詳しくは新党大地のホームページへ

(取材・文/小峯隆生 撮影/五十嵐和博)