人なつっこい笑顔で愛される畠山選手だが、ラグビー界の現状に危機感を募らせているという本音も

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、女優・タレントの倉持明日香さんからご紹介いただいた第34回のゲストはラグビー日本代表でサントリーサンゴリアス所属の畠山健介さん。

ラグビーブームが再燃した昨年、自身も代表の中心選手として活躍し、メディアに登場する機会も増えた“愛されキャラ”…と思いきや、前回は本人から「我が儘で性格もよくなかった」と意外なカミングアウト。

仙台育英での高校時代までローカルな話で育ちを伺ったが、そこから早大時代、そして期待される2019年W杯の日本開催について話題が及ぶと、不安と危惧が大きいというリアルな本音がーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―ははは、そうなんですね。では、つい最近、ようやくまともになれたというのは何きっかけで?

畠山 何きっかけなんですかね? …僕がプロ3年目から今のエージェントに(マネジメントを)お願いして、だから25の時からSさんに面倒見てもらって、今年9年目なんですけど。当時どうでした?

マネージャー やんちゃだったね(笑)。プレーで周りを黙らせるだけだった。

畠山 プレーはいいけど、その他の行動は…みたいな。それが自分でも急激な何かっていうのはなくて、徐々にいろんな人にアドバイスもらって…それこそ清宮さんだったり。あと、エディ(ジョーンズ、前日本代表HC)さんも大きかったかもしれないですね。

あんまり怒られることなかったですけど、エディさんに怒られたり、先輩から注意されたりっていうのが要所要所であって。ここで変わりましたっていう決定的なポイントがないので、いつそういう感じになったんだろうって。

―そもそもラグビーは団体競技で、もちろん組織とか集団の輪も大事ですけど、一方で個性派集団というか、アクが強くて俺が俺がっていう個の集まりですよね。

畠山 はい。そうっすね。そういう人が多いっすね。

―その個性のぶつかり合いの中でチームができていく感じでしょうか。

畠山 そうですね。あとはやっぱり、圧倒的なリーダーでしょうね。プレーがうまいとか、さっき言った清宮さんみたいな迫力があるとか、いろんなタイプがいると思うんですけど。誰かリーダーがいることで、自然とその人を中心にまとまるというか。

―カリスマの求心力ですね。

畠山 そうです。エディさんだったら他を寄せ付けない、ついて来いって感じで引き寄せてくれるタイプもいれば…サントリーの前々キャプテンのタケさん(竹本隼太郎選手)のように、頼りないからみんなで支えてあげようっていう(笑)。それもある種、リーダーだと思うんですね。周りがフォローしてあげて。

それでも人を惹きつけるっていうのがチームを意外とまとめたりとか。「あいつ駄目だから、みんなで一緒にやっていこう」じゃないと、たぶんバラバラになる可能性があるし。

「早稲田か明治、入れればどっちでもよかった」

―野球漫画の名作『キャプテン』の世界ですね。でも畠山さんも育英の高校時代はキャプテンをやられて?

畠山 高校3年の時に…それもただ単純に目立つからってやっただけなんで。俺がチームを引っ張ってやるとか、勝たせるんだっていう想いよりかは目立ちたいから。

もうひとりいたんですよ、対抗馬が…。監督室に僕だけ最初呼ばれて「おまえ、どうしたい?」って言われたんで「僕にやらせてください。やりたいです」って。

―自分では3番手が似合うと言いつつ、そこは(笑)。

畠山 いや、目立ちたかったですね。その3番手も最近っていうか、大学入ってから卒業したくらいにようやく気づいて…。やっぱりそういうリーダーとか責任ある立場ってなかなか難しいんで、ちょっと自分には無理だな、3番手くらいがちょうどいいなと(笑)。責任負わないけど、ある程度のポジションって感じが。

―特に早稲田くらいになると全国から中心選手が集まってくるわけでしょうし。

畠山 そうっすね。まぁでも付属上がりとか、あと早稲田でラグビーやりたいって、勉強で入ってラグビーにくる人だったり、案外みんながみんなっていうわけでもなかったんで。30人くらい同期がいて、本当の精鋭は5、6人とか。メンバーに入れるのは学年で10人くらいなんで、実働隊って言ったらあれですけど。40人くらいですかね、当時は。

―最初のお話ではお母さんが早稲田の大ファンで。でも自分は早稲田と明治、どっちか迷っていたそうですが…。

畠山 そうですね。当時、やっぱり早稲田か明治っていうのが強いイメージで。基本的には早稲田だったのかもしれないですけど、入れればどっちでもよかったですね。

―高校の時からあちこちスカウト話もあったでしょうが。早稲田と明治のカラーで自分にどっちが合うかなとか?

畠山 母は監督との親睦会みたいなところで、ずっと早稲田のルートってないんですかって言い続けてたらしいです。でもまだ仙台育英はラグビーでは新興というか、伝統校じゃないんで、パイプがなくて難しいんですってことで。

これも後から聞いた話なんですけど、ちょうど清宮さんが僕のプロップっていうポジションでタイミングよく選手を探してて。で、宮城にいる早稲田のOBの方がこういう選手いるよって。僕が3年の春とかですかね…埼玉の熊谷であった選抜大会を見に来ていただいて、声かけてもらって。

―それはもう清宮さん直々にスカウトされたような感じなんですね。

畠山 その前、高2の夏に長野県でユースの候補合宿みたいなのもありまして。そこで早稲田も合宿してたので、若手を見るついでに来た清宮さんに僕がずっと早稲田行きたいっていう話が伝わってたり。

で、その次の春の選抜で、当時の早稲田のフォワードコーチも連れてきていただいて、「いいじゃないですか」っていうので「じゃあ獲ろう」って推薦でという流れでしたね。

…っていうのをその時は知らないんで、僕の力だって勘違いしてたんですけど(笑)。まぁそういうので基本的には8割くらい早稲田だったんですよ。母がやっぱ好きでしたから。

「でも本当の早稲田ですよね?」

―それはもちろん実力もなければね。ちなみに、私も早稲田出身で。年次だけは随分先輩なんですけど(笑)。

畠山 えっ、大先輩じゃないですか。でも本当の早稲田ですよね? 高田馬場、本キャンのほうですよね。

―本当の早稲田って(笑)。はい、本キャンでしたね。

畠山 僕、所沢体育大学なので(笑)。トトロの森がモデルになってるようなところに行かされて。本キャンっていうのは高田馬場の学生ライフを謳歌されてる方たちの場所で。僕ら本当、入学式、卒業式とか行事くらいでしか行かなかったです(笑)。

―あと壮行会とか?(笑) 体育会系の推薦だとスポーツ科学部は所沢キャンパスで。寮とグラウンドの行き来だけですかね。環境はめちゃめちゃいいですけど。

畠山 専念するという意味ではめちゃめちゃよかったです。大学生活を謳歌するにはちょっと…まぁ僕は気にしないですけどね(笑)。

―(笑)。僕の在学中は80年代後半の大学ラグビー全盛で。もう野球以上に早慶戦、早明戦のチケットが取れなかったですから。発売日に並んで並んで…。

畠山 らしいですね。いやもう、めちゃくちゃ最高潮の時じゃないですか。

―早稲田も堀越(正己)、今泉(清)のスーパー1年生で超人気でした。その前に新日鉄釜石(現・釜石シーウェイブス)の7連覇で松尾(雄治)さんとかのブームがあって、亡くなった平尾(誠二)さんの時代と。ずっと聞かされてますよね? 「昔のラグビー人気は」みたいな…。

畠山 まぁもちろんTVとか観てれば情報で入ってきたりはしましたけど。すごかったって話は聞きます。ただ、幸いというか、そこまで言ってくるOBだったり周りはいなかったですね。

―自分でその時代の映像見たりとかファン目線で追っかけたりもなかったんですか?

畠山 あんまりしないほうですね。過去の試合を見て、特にそういうのはないです。昔の日比野(弘)先生が現役でされていた頃のオールブラックスとかと早稲田がやった時のすごい古いやつを観て、ゲラゲラ笑った記憶ありますけど(笑)。もう、違いがスゴすぎて。

―じゃあ全く憧れの存在とか選手も特にいなかった?

畠山 特にないですね…。ただ単に得意分野だったって感じですかね。でも小さい時に釜石の桜庭(吉彦)さんっていう方に声をかけていただいて。日本代表っていう紹介を誰かがしてたのはすごい覚えてますけど。

―おおっ、釜石全盛期最後の名ロックですね。ではあくまでプレーヤーとしてここまでやってきて、マニア要素は自分にはなく。よく言われますけど、そのラグビー人気がガクッと衰えたのが第3回W杯でのニュージーランド戦の大敗(95年)でファンが離れたみたいにもされてますよね。そういうのはどうでした? 

畠山 逆にそっちのほうが過去の栄光とかよりも今の基点となってるというか、話をよく聞きますね。やっぱりいろんな人に言われます(苦笑)。

「ラグビー界も100年後をどうしていたいのか」

―その歴史を経て、今やってる現役の選手、プロとしてラグビー人気的なこともやっぱり意識しつつっていうのはずっとあったんですか?

畠山 そうですね…。でも僕はラグビーに関して、過去をそんなに考えずに続けていたので。世間とか周囲がどういう風に見てるかっていうところではやってなくて、一生懸命、得意な大好きなラグビーをずっと追いかけて。その中で早稲田だったりサントリー、日本代表って選ばれることで、評価されたいっていうのを続けてたんですよ。

だからあんまり考えたことはなかったですけど、やってる人間としてはもっと広げたいし、やっぱりもっともっと子供たちにやってもらえれば嬉しいなと思いますね。

―その目立ちたがりな俺が俺がって気質でいっても、やっぱり国立が埋まらないとか、昔の話を聞いて、今は空席があってクソーみたいな悔しさもね。

畠山 いや、もちろん思いますよ、やっぱり埋まってくれればいいなと思いますし。そういうのもどんどん時代で変わっていくんで、昔は単純にただ試合出れることが喜びだったので、特に気にしたことはなかったんですけど。今になって、やっぱり専用のスタジアムでやりたいなとか。

W杯行ったり、実際そのフットボール文化が根付いてるイギリスでプレーさせてもらって、観客席とグラウンドの近さであったりとか体験すると、日本でもそういうところでやったら、お客さんも選手も絶対嬉しいだろうなっていう。人気はもちろん、環境面もそうですし。

―どうしても一番比較されるところですが、ラグビーブームだった時代はサッカーのほうが日本ではマイナーで。それが94年にJリーグができてプロ化が一気に進み、立場が逆転したことに対する忸怩(じくじ)たる思いなんかも…。

畠山 そうですね。だから当時、Jリーグを立ち上げた人たちって、サッカーをどうしたいかっていうビジョンがあって、そこでプロ化を進めて。何もなしにとりあえずJリーグを発足させようじゃなかったと思うんですよ。ラグビーもまずそういうビジョンが必要ですし。

―サッカー協会が掲げた「100年構想」がまずあってね。そこで欧州や南米のサッカー国から学んで、地域クラブとして発展させたいとか。

畠山 ラグビー界もそれこそ丸パクリしてもいいと思うんですけど。100年後をどうしていたいのか、それが絵に描いた餅にならないようにしっかり要所要所で振り返って。その掲げた目標に対して、どれだけコミットできてるかってのは、ほんと必要だと思いますね。

―ラグビー界のプロ化もですが、ようやく徐々にね。W杯だけじゃなく、日本もサンウルブズがスーパーリーグに参戦したり、やっとって感じですか?

畠山 そうですね、ようやく。3年後の2019W杯だったり、いろいろな問題がある中で決まっていることもあるので。まぁサンウルブズがひとつ、何か新しいきっかけになるんじゃないかなって僕は思うんですよ。

日本のようにプロの選手だけがいるチームもあれば、社員選手で構成してるチームもあるっていうのじゃなくて、完全にプロのチームなので自由度はすごい高いと思う。何か新しいことができる場所ってことで。

「危機感持ってる選手は声を上げ始めてます」

―そのオールブラックス戦での歴史的大敗からも20年…去年のW杯での大躍進もあり、風向きがいい方向に。

畠山 まぁさっき話で盛り上がった過去の時代とはラグビーの置かれている在り方もだいぶ変わってきちゃってるので。ファンの方が昔を懐かしんで「雪の早明戦あったよね」とか全然OKだと思うんですけど、ラグビーに携わっている人間は常にこの10年20年、なんなら100年先を見据えてやっていかないと。ほんともう取り返しのつかないことになると思うんで。

そういう風にならないように、まだ僕は現場でやってるので、できることは限られてますけど、そこでなんとか一生懸命やらなきゃと。

―その変わってきたなって感じてきた節目はどこらへんでしょう? W杯招致が決まったあたりから伏線が?

畠山 うーん…いや、でも正直ないっすね。決まった時も、じゃあ果たしてそういう先のビジョンがあったのかどうか。とりあえず手を上げて、まだ7年8年あるからゆっくり準備しようってことかわからないですけど。実際、現場ではかなり危機感漂ってるので。それを感じてるのは僕だけじゃないはずなので。大丈夫かな?ってのが本音ですね。

―とりあえず前回は南アフリカを破る大番狂わせなどで盛り上がったけど、次にホスト国として、ちゃんと見合う力と結果を示せるのかっていう…。

畠山 そうですね。まずそこで自分がプレーしてるのが一番ベストなんでしょうけど。

―その強化や体制のビジョンでいうと、やはり一番はトップですかね? さっき仰ったエディさんのような“圧倒的なリーダー”の存在が変革には絶対必要なわけで。

畠山 いや、本当にそうだと思いますよ。僕個人の意見で言えば、リーダーであったりトップで変わるのは、いろんなスポーツで言えることだと思う。やっぱり指揮官が変われば、同じメンバー、スタッフでもやることが変わってきますし。組織の在り方として、みんなでやってるんですけど、誰かがリーダーとなって進めていく必要があるんですよ。

―だからエディさんがやって浸透して、一貫してきたものがようやく根付いて、結果も出て。ここから勢いを増してというところで、またヘッドコーチも変わって。それこそ方向性でありビジョンが問われるところですよね。

畠山 だからそういうリーダーが今、ラグビー界にいるのかどうかっていうのも…まぁあんまりやかましくは言いたくないですけど(笑)。任せておけるなら、あんまり声上げる選手は少ないと思いますし、でも本当に危機感持ってる選手は声を上げ始めてますし。僕もいろんなところでこうやってね。でも不安は不安ですよ、正直。

●続編⇒語っていいとも! 第34回ゲスト・畠山健介「2019で日本ラグビーが終わるわけではない」

 

●畠山健介1985年8月2日生まれ、宮城県出身。小学生から地元少年団でラグビーを始め、仙台育英高校に進学、3年連続で花園出場。早稲田大学に進学し、全国大学選手権優勝などに貢献。卒業後はサントリーに所属、2011年、ラグビーW杯の日本代表メンバーに選出。2015年のW杯でも24年ぶりの勝利に貢献し活躍。

(撮影/塔下智士)