およそ15分遅れで到着した留萌からの列車。これが折り返し、増毛発のラストトレインとなった

経営難のJR北海道から路線がまたひとつ廃止に。地元住民はさておき、悲しみに明け暮れる鉄オタと共に、最後の一日を“葬式鉄”の記者が追いかけた。

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12月4日、JR留萌(るもい)本線留萌駅~増毛(ましけ)駅間16・7kmが廃止となった。

増毛といえば、高倉健主演映画『駅 STATION』の舞台。「ぞうもう」とも読めることから、薄毛に悩む男たちの聖地ともいわれた。

だが鉄道利用客は少なく、留萌市出身のミュージシャン・掟ポルシェ氏によると、「ニシン漁が衰退してからは誰が乗るの?って路線でした。同じ海岸沿いを走るバスが本数もあって安く、そちらを利用する人がほとんどで。車の免許のないウチの親父が、増毛のエビ釣り漁船で働いていた頃、使ってましたね」

5年前に近くの増毛高校が閉校となり乗客は激減。最近では利用客が1本当たり3人。100円を稼ぐのに4161円かかるという日本一の赤字ローカル線になってしまった。

廃止が発表されてからは、鉄オタが集合。日本全国すべての駅を乗下車した鉄道ライターの横見浩彦氏は、この路線の魅力について、

「プラットホームが木の板でできている阿分(あふん)駅や朱文別(しゅもんべつ)駅、待合室が元貨車の礼受(れうけ)駅や舎熊(しゃぐま)駅など、バラエティ豊かで駅同士の距離も近い。駅巡りに最適な路線でしたね。僕も廃止が決まってから10回以上来ました」と語った。

車掌車を再利用して作られた舎熊駅の待合室。鉄オタなら窓の配置から一目瞭然

信砂駅の待合室はただのプレハブ

最終日となる12月4日、記者も“葬式鉄”として現地へ。朝は早く、まず旭川駅発5時18分の「スーパーカムイ」で深川へ。ホームに降りた瞬間、全員が向かいのホームに停車中の増毛行き目指し、階段を猛ダッシュ。記者も走り、なんとか座席を確保。あたりは暗く、うっかり寝てしまい、気づけば終点の増毛!

折り返しは寝ないよう立ったまま乗車。廃止区間は日本海沿いで車窓が素晴らしい。冬の海は癒やしの効果がある。いろんな悩みを忘れさせてくれるのだ。

最終列車に乗れない可能性が!?

朝食は留萌駅でにしんそばを食べる。ニシンはかつてこの地でたくさん取れた魚だ。駅構内では記念きっぷが販売中。当然、全種類(計3510円)を購入。

この日の列車は鉄オタと地元民で終日ほぼ満員。昼間は車内が暑くなりすぎて、冬の北海道なのに扇風機が使用されたほど。困ったのが列車の乗り降り。留萌本線はほとんどが無人駅。運転士が運賃の精算も担当するため、最前のドアから乗り降りする方式だが、混みすぎて時間がかかり、最大で40分近く遅れてしまった列車もあった。

増毛駅では15時過ぎからお別れセレモニー。だが、会場のテントが小さく、見られるのは来賓(らいひん)と報道関係者のみ! 今回はただの鉄オタとして来ているので断念。仲間に聞いたら、留萌駅のセレモニーは誰でも見られたらしい(泣)。

留萌駅の立ち食いそば。客がひっきりなしに訪れて麺がなくなり、14時過ぎで営業終了。過去最高の売り上げだったそう

増毛駅前は特設テントが置かれ、鉄道グッズも飛ぶように売れていた

19時48分発の最終列車はなんと3時間近く前から行列が! 予定では増毛~留萌をもう1往復するつもりだったが、係員から「最終列車に乗れない可能性がある」と言われ並ぶことに。

ずっと待ったおかげで最終列車はホーム側で窓に近い、そこそこの場所を確保。

20時10分、「ピィーー」と7秒間。別れを惜しむような、この日一番長い警笛が鳴らされ、最終列車が増毛駅を発車。ブラスバンドが『蛍の光』を演奏し、地元民たちが青いサイリウムで見送る。鉄道の廃止でサイリウムが使われたのは初めてかもしれない。まるでアイドルの引退コンサート。送る人たちの「さようなら~」の声。僕は思わず「ありがとう~!」と返事。……何に対してのありがとうだ? そもそも僕は増毛へ来たのが初めてだ。

鉄オタでごった返す最終列車。ぱっと見、地元民はいなそうだった

窓の外では町民の持つサイリウムが青く光る

一日をふり返ってみて、廃止を悲しんでいたのは鉄オタばかり。地元の人はこの日をお祭りとして楽しんでいたように見えた。それだけ鉄道が生活の中心でないのだなと思うと、ちょっと寂しかった。

「次は三江(さんこう)線(島根・2018年廃線決定)で会いましょう!」と挨拶を交わし、僕は仲間と別れた。

ラスト2ヵ月間、ほぼ毎日車内を巡回していたガードマン氏(右)。鉄オタの間ではすっかり有名人に!

翌朝、留萌駅へ行くと駅名標は替えられ([左上]12月4日、[右上]12月5日)、線路の先には新たに設置された車止めが。よく見ると踏切も廃止されている(下)。もうこの先を鉄道が走ることはない

(取材・文・撮影/関根弘康)