アフリカやインドネシア、アフガニスタンなどで国連の平和維持ミッションや武装解除に関わってきた伊勢崎賢治教授

昨年成立した「安保関連法制」に基づく新任務「駆けつけ警護」を付与された、陸上自衛隊PKO(国連平和維持活動)派遣部隊が南スーダンの首都・ジュバへと派遣され、現地での活動を開始した。

停戦合意が崩壊し、事実上の内戦状態にあるとも言われる南スーダンで「新任務」を課された自衛隊が今後、なんらかの形で戦闘に巻き込まれる可能性はゼロではない。

このまま「何も起きないこと」を祈り続けるしかないのか? 今後、日本はこの問題についてどのように対処していくべきなのか? 過去に国連の平和維持ミッションや武装解除に関わってきた東京外語大の伊勢崎賢治教授(平和構築学)に自衛隊の南スーダン派遣の問題点と自衛隊撤退の可能性について聞いた。

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─伊勢崎さんは「現地住民の保護」という、非常に重い責任の一端を「国連PKO部隊の一部」として担っている自衛隊を「治安状況が悪化している」という理由で撤退させることは国際社会に対する責任の放棄とみなされ、日本が強い批判にさらされることは避けられないので事実上不可能だと主張されています。

しかし、「そもそも交戦権のない自衛隊をPKO南スーダンに送るべきではない」けれど「今さら、危険だからという理由で撤退はできない」というのでは、解決策がない。こうなった以上、「何事も起きない」ことを、祈り続ける以外にないというコトでしょうか?

伊勢崎 結論としては、現地の状況が少し落ち着いたところで時期を見て撤退させるべきでしょうね。国連はPKO部隊を4千人規模で増員することを決めましたし、当初、これに難色を示していた南スーダンのキール大統領も最終的には国連の決議を受け入れましたから、今は少しずつ「小康状態」に近づきつつあります。

もちろん、自衛隊が現地からの撤退をするのであれば、日本としてなんらかの「埋め合わせ」をする必要があります。そこで僕は以前から「交戦権の問題を抱える自衛隊の代わりに文民警察官を派遣すべき」と訴え続けてきました。「PKFの一部」として送られる自衛隊と違い、PKOの文民警察官は受け入れ国政府の「警察権」を代行する立場ですから、仮に武器の使用が必要になっても、それは「交戦権」の行使ではない。これなら「交戦権」を否定する憲法9条との齟齬(そご)はないからです。

ただ、国連PKOへの文民警察官派遣については、1992年に日本が最初に参加したPKO活動である「国連カンボジア暫定統治機構」(UNTAC)への派遣で、75名の日本人警察官が選挙監視要員として派遣され、このミッションで岡山県警の高田晴行警部補が殉職。(日本人としては他に国連ボランティアの中田厚仁氏も殉職)警視庁はそのことがトラウマになっているので、これも現実的ではない…。とすれば、あとは日本政府が資金面での負担を増やす、つまり「お金」で解決するしかないでしょうね。

自民党議員も決して「バカ」じゃない

─ただ、政府としては昨年、あれだけの反対を押し切って「安保関連法案」を強引に成立させ、今回も野党の反対を無視して自衛隊派遣と安保関連法案に基づく「駆けつけ警護」任務の付与を行なった以上、簡単に「自衛隊を撤収させる」とは言いづらいのでは?

伊勢崎 そこで重要なのが、与野党共にこの問題を「政局にしない」という点に合意し、双方が「手打ち」をすることです。そのためにはまず、最大野党である民進党が自らの責任をきちんと認めて、自民党に歩み寄る必要がある。今から5年前、南スーダンの国連PKOに自衛隊を派遣することを決めたのは、当時の民主党(民進党の前身)政権だったからです。

民主党が2011年に自衛隊の南スーダンへの派遣を行なった時点で、かつての「PKO派遣5原則」(※)は時代遅れの全く意味のないものになっていたにも関わらず、当時の民主党政権は自衛隊の派遣を決めてしまった。つまり、彼らは今の自民党と同じ過ちを犯していたわけです。現在の民進党が自分たちの責任を棚に上げて「安保法制」を根拠に政府・自民党を批判しても説得力がありません。※(1)紛争当事者間で停戦合意が成立している (2)現地政府や紛争当事者が参加に同意している (3)中立厳守 (4)以上のいずれかが満たされない場合、撤収することができる (5)武器使用は必要最小限にする

もちろん、僕自身も昨年の「安保関連法案」には反対の立場でした。さらにいえば、国連も「停戦合意は事実上崩壊している」と認めている今の南スーダンを「首都の治安は比較的安定している」として自衛隊を派遣し、日本以外の国にはそうした「概念」すら存在しない、つまり、それを英語に訳す言葉すらない「駆けつけ警護」なる任務を付与してしまう現政権はメチャクチャだと思います。

しかし、民進党が自分たちの過ちや責任を棚に上げたままで、この問題を「安保法制がらみ」の政局にし続ける限り、政府与党にもメンツがあり引っ込みがつかない。「今さら引くに引けない」というのが正直なところでしょう。

もちろん、自民党議員の中には、東大の法学部を出た人たちだっていっぱいいるわけですから、決して「バカ」じゃありません。今の状況がどのくらいマズイのか、合理的には説明できない矛盾に満ちているのかを本当はよくわかっているはずです。

だとすれば、まずは民進党が自らの過ちと責任を認め、その上でこの問題を「安保法制絡み」の政局にするべきではない。僕がかねてから訴えているように「国連PKOミッションの変質」によって、従来の「PKO派遣5原則」が意味を失っているという論点で扱うことで、与野党がひとまず「手打ち」を行ない、その上で、具体的な自衛隊の「撤収」に向け議論を行なうことが、現実的な解決策になるのではないでしょうか。

時代遅れとなった「PKO派遣5原則」

─伊勢崎さんはかねてから自衛隊のPKO派遣について「憲法で『交戦権』が認められていない自衛隊を紛争地に送ってはいけない」と8月にも主張されていますが…。

★【参照記事】専門家が指摘!「南スーダンにいる自衛隊が戦争に巻き込まれかねない」「知られざる“戦地”南スーダンの自衛隊員約350人は撤退できるのか?」

伊勢崎 当然です。以前の取材でもお話したと思いますが、国連PKOの役割は1994年のルワンダ虐殺を契機に大きく変わりました。あの時、「停戦監視」のみを任務としていた国連PKOはルワンダで80万人を超える民間人の虐殺を止めることができなかった…。

その反省から99年にコフィ・アナン国連事務総長(当時)が「住民保護などの任務遂行のためにPKOは国際人道法に従って行動しなければならない」と官報で告示しました。これは人道上の問題が起きることが予想される場合、先制攻撃を含めた積極的な武力の行使も辞さないという意味で、つまり、国連PKOにおけるPKF(平和維持軍)は紛争地における国際法上の「交戦主体」となることを受け入れたのです。

そのように「交戦主体」としての性質を持つ現在の国連PKFの現場、つまり、国際法上の「交戦権」が支配する空間に、憲法9条で「交戦権」を明確に否定されている日本の自衛隊を派遣していいはずがないし、その条件となっている「PKO派遣5原則」も、国連PKOの現状を反映していないと言わざるを得ない。

ところが、20年以上前に「国連PKO」の任務や性質が大きく変化したにも関わらず、日本はそれ以前の国連PKOを前提とした「PKO派遣5原則」に基づいて、その後も何の議論もないまま自衛隊の海外PKO派遣を続けてきました。その意味で言えば、これは「安保法制」や「駆けつけ警護」以前の問題で、そもそも2011年の時点で南スーダンに自衛隊を送ることを決めたこと自体が根本的な間違いだったのです。

─今後、こうした事態が繰り返し起きないためには何が必要なのでしょう?

伊勢崎 取り急ぎ、すでに時代遅れとなった「PKO派遣5原則」は抜本的な見直しが必要ですし、自衛隊の「交戦権」についても、これを機会により具体的で現実的な議論が起きなければならないと思っています。そもそも、政治家も含めて、日本人の多くは「交戦権」とは何かということがよくわかっていない。国際法上「交戦権を認めない」ということは、戦車や機関銃じゃなく「竹やり」で戦うことも認めない…という意味です。このままでは従来の「専守防衛」に徹した活動ですら、憲法違反になってしまいます。

憲法改正については、どうしても「護憲」対「改憲」の単純な二元論になりがちで「憲法9条改正」イコール「自衛隊が普通の軍隊になり、海外の戦争にも巻き込まれてゆく」と考えてしまう人が多いのですが、僕の主張している「新9条論」のように自衛隊に「交戦権」を認め、様々な国際法上の矛盾から解放した上で、憲法9条の精神を活かし、自衛隊の海外派兵については厳しく制限するという選択肢もある。そうした幅広い可能性を前提にした改憲議論が行なわれてほしいですね。

(取材・構成/川喜田研)