「身近にあるものを題材にするのはイヤだった」と語る本多氏が、新境地で描いたものは…

人気作家・本多孝好の新作『Good old boys』(集英社)が刊行された。

これまで、特殊能力を持つ若者たちが主人公のアクション巨編『ストレイヤーズ・クロニクル』、母が詐欺師、父が窃盗犯という家族の物語『at Home』等、非日常な世界や“生と死”を巡るファンタジックなミステリーを題材にしてきた著者が今回描いたのは、ごくありふれた日常の中で、悩みを抱えながらも暮らしていく“父親たちの物語”だ。

舞台は、とある弱小少年サッカークラブ「牧原スワンズ」。なかでも小学4年生のチームは1勝もしたことがない超軟弱っぷりだったが、子供たちは仲間と一緒にボールを蹴ることを楽しんでいた。

一方、その傍らで世話を焼く父親たちは、夫婦仲が上手くいっていなかったり、諦めてしまった夢を引きずっていたりと、それぞれに苦悩を抱え…。

ある出来事をきっかけに、これまで勝敗など気にしていなかった子供たちに「勝ちたい」という気持ちが芽生え始める。そんな彼らの健気な奮闘と8人の父親たちのドラマが絶妙にリンク、チームは初勝利を手にすることができるのか? そして、父親たちは人生に希望を見出せるのか…?

不器用で頼りないけれど、どこか共感できるーーそんなリアルな父親像を描き、自らも新境地に挑んだ本多氏に話を伺った(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)。

ー少年サッカークラブに所属する小学生の息子さんをお持ちとのことで、それが本作を書き始めたきっかけになったそうですね。ご自身は金髪ヘアもすっかり定着されてますが…当初は「ウワサのお父さん」だったのでは?

本多 そうですね。息子がクラブに入ったばかりの頃は作家ということも言っていなかったし、こんな頭だったので、練習に顔を出すと「何者…?」ってザワっとしてましたかね(笑)。最初は「たぶん、美容師とかだろう」と思われていたみたいですけど、土日も顔を出していたので「土日に美容師は来ないよな」と。そうすると、お父さんの中の誰かが恐る恐る聞きにくるんですよね。

ー「これは確認しといたほうがいいんじゃないか」って(笑)。小説の中では、お父さんたちがサッカーの審判をやったり、練習の手伝いをしたりする姿が描かれていますが、やはり息子さんの練習に積極的に参加されてるんですか?

本多 行ってますよ。うちのチームは練習前に小学校の外周を走るんですけど、2年ぐらい前までは一緒に走ってました。3泊4日の夏合宿にも毎年付き合って。子供は練習が終われば終わりですけど、お父さんたちは夜の飲み会までやるから、それがまたキツくて…(笑)。私も40代ですから。

ーそれは大変…! ちなみに自分は子供の頃に何かスポーツを?

本多 野球部でしたね。ちょうど小学校5年生くらいの時に『翼くん』(『キャプテン翼』)が流行りだして、サッカー熱が高まってきた頃ではあったんですけど、私は野球でした。まあ、なんちゃって野球部ですけど(笑)。

同世代の父親たちのリアルな悲哀

ー80年代はまだ野球が主流でしたよね。

本多 そうですね。それが今はサッカーが主流になってます。やっぱり、野球より子供には親しみやすいんでしょうね。ルールがわかりやすいですから…。でも、うちの子供が幼稚園でクラブに入った時は、私は全くタッチしてなくて。妻が週に1回連れて行ってたんです。「自分の子供だからスポーツはそんな続かないんちゃうの?」って見ていたんですけど、なんだかんだ好きで続けているみたいですね。

ー作品中も、お母さんが勝手に子供をチームに入れていたという描写がありますが、やはりリンクしている部分も少なくないと。ただ、これまでは身近な日常をアットホームに扱うイメージがないので…。しかも担当編集によると、最初は書く気がなかったと。

本多 そうですね。フィクションだったとしても、やっぱり身近にあるものを題材にするのってイヤなんですよ。“創っている”感じがしないというか、「ないものから作り出すのが創作だろ」っていう固定観念がずっと強くて。身の回りのことを書くのが好きになれなかったし、多少、批判的な目を向けていた部分もあったんで。

ーそんなこだわりがありながらも、書こうと思ったきっかけは?

本多 編集の方がしつこく勧めてくださったというのもあるんですけど、サッカー少年の父親を描くことを考えた時に「元々、プロサッカー選手を目指していて、その夢がダメになったお父さん」と「サッカーの下手なブラジル人のお父さん」が浮かんで…。それが自分とは全く違う、あまり関わりがない人間だったので、じゃあ書いてみようかなと。実際、そのふたりはそのまま小説でも登場させています。

ーそのキャラクターを含め、作品の中には8人のお父さんが登場します。反抗的な娘の扱い方がわからず子育てを“失敗”したと感じていたり、学校のイジメに巻き込まれ引きこもりになってしまった息子を持つ…等、ひと筋縄ではいかない悩みを抱える父親たちの描写はかなりリアルですが。その素材はやはりお父さん同士の飲み会等、日常の中に転がっていたんでしょうか?

本多 そう言われたら否定できないところで、確かにチームのお父さんや自分の同級生たちの話が材料にはなっています。いわゆる、私と同世代の人間たちの悲哀というか(笑)…ささやかな喜びとか、実際の人間関係からついばんでくるものだなと思いますね。

ただ、私の周りにいる人間が読むと「これ、どれが本多さんなの?」っていう言われ方をするんですよ(笑)。誰かに自分を投影させているつもりはないですけど、やはり8人のどこかしらに自分のパーツは入ってしまっていて。年齢や家庭環境の近い男性を主人公に描くと、どうしても出てきてしまいますね。

ーそうなると、多少なりともプライベートな部分をさらすことになりますよね。そこに抵抗はなかったですか?

本多 ありました。特にこの小説に関しては、今も子供がサッカーチームにいるので「お父さんたちがこれを読んでどう思うんだろう」と…。「これ、俺だよね」と誤解が生まれるだろうなという恐れはありました。でも、それも含めてやってみようと。人にどう見られるかではなく、自分の中で今までにない新しいことをやってみようという想いはありましたね。

勝利至上主義的なものに一切興味はない

ー新たな試みとして、自分の身近なものを書いていく中での気づきもあったり?

本多 最初に書こうと思ったのは、ある地域の中でゆるやかな連帯が生まれていく物語だったんです。やっぱり、私たちの生活圏でも地域性って非常に薄いんですが、「子供を基軸にしてお父さんたちがゆるやかに繋がることで新しいコミュニケーションが生まれるのでは?」「それが生まれていく姿を書きたい」と思ったので。

でも実際、でき上がった作品を見てみると、そういう物語ではなかったんだなと。現代社会のどうこうではなく、この小説の軸はお父さん同士であるがゆえの連帯であり、ひとつの物語だったんだなと感じますね。

恐らく、“父親”や“家族”というものを描く上で、現代社会の問題意識を入れようと思えば入れられたんでしょうが、「現代的な写し鏡として何かを表現しよう」とは、この作品では思わなかったんで。

ー“ママ友問題”等、家族にまつわる社会問題は多く取りざたされていますが、作品にそれを入れ込むことはしなかったと?

本多 いろいろな問題がある中、過酷な状況を経験している人はどんどん増えていると思います。それを元にリアルに描くことは、これまでも散々やられてきていますよね。それを私がやったところで、リアリティを欠いた作品になってしまうと思うし、私自身もそれを書くことを切実に求めてはいないんですよ。

それに「フィクションの中で過激に描かれすぎて、実際よりも大袈裟な表現になってしまっている」ケースも多々あるなと。問題の芽をフィクションの中で育てて、巨大なモンスターのように見せることに私自身はあまり興味がないし、それは他の方の仕事かなと。

ー確かに、そういう意味でもシニカルな要素はほとんどありませんよね。クライマックスでの念願の1勝をかけて奮闘するエピソードもですが、それぞれのツボで読者から「思わず涙が溢れました」「素直に泣けた」という声が多数とか…。

本多 私は勝利至上主義的なものに一切興味はないので、書き始めた当初から「彼らは当然勝てないだろう」と思っていたんですが…。これまでは読者の予想を外してやろうとか、物語の筋を自分の力でこっちに持っていこうという意思が強かったんですけど、今回はそういう物語じゃないんだなって。「流れ着くままに物語を落としこんであげよう」という気持ちが働いたことが、今までとの大きな違いだったと思います。

それに今回は「勝つこと」より、そこに向かうことを讃えている人たち、その姿を喜んでいる人たちのお話だから書けたのかもしれないですね…。子供達が主人公だったら、たぶん勝ってないんです。お父さんたちのお話だからこそっていう。

ーなるほど。夫婦関係、仕事、子育てとハッキリとした勝ち負けのない戦いの中で頑張るお父さんたちが自分を投影しているようなところもあるんですかね。

本多 そうですね。私自身、子供を見ていても、うんざりするほど似ているところがあるんですよ。子育てって、自分の人生を追体験するような部分がどうしてもありますし、「この頃の自分が今の自分を見たら、どう思うか?」ってやっぱり考えちゃうじゃないですか。そういう視点が生まれていく物語だったのかもしれないですね。

若い頃の「書くエネルギー」にはマイナスな力が…

ーそして書き上げた結果、新しい開拓という意味での達成感はやはり大きかったですか?

本多 あります、非常にあります(笑)。自分の身の回りのことをフィクションとして書く面白さって、こういうものなんだって。作家が身の回りのことを書くと、「あ、ネタ切れしたのかな、この人」「もう書くことなくなっちゃったんだ」ってやっぱり思うじゃないですか。でも今回初めて自分でそれをやってみたら面白かったんです。

自分の経験をフィクションにぶち込むと、自分が考えているようで、必ずしも考えていないことが出てくる。自分の経験とはいえ、作ったキャラクターに語らせるわけですからね。そのなかで「自分が生きている時間っていうのは、こういうことも起こりえて、こういう考え方や捉え方もしうるのか」という発見ができた。

ー別の視点や感覚で改めて追体験するような面白さがあると。それもやはり、父親になった今だからこそ書けた?

本多 そうですね。若い頃の「書くエネルギー」には、自分の不完全性というか、物足りなさ、不満、鬱屈(うっくつ)とマイナスなところをどうにか埋めようとする力が先に働いていたような気がします。それがある程度の年齢になってくると、そのマイナスに意味を求めなくなるというか、囚われなくなるというか…。そういう心境になって初めて、自分から発したものに対して手をつけられる。それが今の時期だったのかなと思っています。

ーまぁ、自分がどうしようもなく不完全で鬱屈としている時代に書いていたら、精神的に影響されがちな…(苦笑)。そうしたものが全部洗い流された今だからこそ、このテーマに行き着いた、という。

本多 そういうところはあると思います。逆に、「自分がこの年齢で独身だったら、どんなものを書いていたのかな」という興味はありますけどね。

ー全く違うテーマになりそうですね(笑)。今回と同じように「父親」をテーマにした小説を書かれるとしても、子供さんの成長とともに、また違う視点、切り口も生まれそうですが。

本多 あー、そういう意味で言うなら、うちは上のコが男の子なんですけど、その下にちょっと離れた2歳の女の子がいるんです。やっぱり女の子の父親になった途端、社会が怖く見えてくるんですよ…(笑)。

娘がもう少し大きくなって、小学生ぐらいになると、社会をどう教えればいいのか、かなり迷うと思います。「困っている人を助けましょう」と、果たして言っていいのか…。今後、そういうことを書くこともあるのかなとは思いますね。

ー本作とは違った意味で、かなり切実な悩みを描いた物語になりそうですね(笑)。でも今後そういう方向性も読んでみたいものです。本日はありがとうございました!

(構成/岡本温子[short cut] 撮影/五十嵐和博)

本多孝好(ほんだ・たかよし)1971年、東京都生まれ。慶應義塾大卒。99年、短編集『MISSING』で単行本デビューし、高い評価を得る。『MOMENT』『WILL』『MEMORY』『正義のミカタ  I`m a loser』、三浦春馬主演で映画化された『真夜中の五分前』等、代表作多数