写真は団地在住のブラジル人たちと居酒屋で飲んだときに、彼らが酔って暴れて店を壊した際の始末書(年長者持ち)

ダウンタウンの松本人志をして「この人、今までで一番エグイわ!」と言わしめた(2015年10月26日放送の『クレイジージャーニー』内)写真家がいる。

「誰も見たことがないものを撮るために写真家になった」

そんな初期衝動をポケットに突っ込んで、アメリカでは浮浪者や麻薬中毒者と路上で暮らし、フィリピンのスモーキー・マウンテンではゴミ拾いをして住人たちと生活を共にした。インドの聖者サドゥーを追ったり、インドネシアの火山の噴火口に突入したり。

これまで世界のヤバイを被写体に作品を発表してきた名越啓介が、14年から3年にわたって撮り続けたのは愛知県豊田市にある多国籍巨大ニュータウン・保見(ほみ)団地だった。写真集『Familia 保見団地』を出版した名越氏に聞いた。

―これまでの被写体とは種類が違いますよね。団地は平和じゃないですか?

名越 基本的に何も起きませんから(笑)。そもそも誰にも依頼されていない取材やった。13年の年末にノンフィクション作家の藤野眞功(みさを)さんと編集者とデザイナーの4人で飲んでて、来年はW杯もあるからブラジルが熱い、国内在住のブラジル人を撮ったら仕事になるんちゃうのと盛り上がった。

それで名古屋港にブラジル人のドリフト族がいるぞ、みたいな情報をゲットして大晦日に行ったら人っ子ひとりいない。じゃあどこやって聞き回ったら洋服屋の店員が豊田にブラジル人がわんさかおる団地があるって教えてくれて。

―それが保見団地だったわけですね。

名越 ここでの最初の出会いが大きかった。年が明けて朝方ですよ。電話ボックスの中で人種の違う中学生くらいのコが5人ほど身を寄せ合って「寒いよ~帰りたくないよ~」とキャッキャしてた。その光景が妙に引っかかって、彼らを被写体にしたら面白いんちゃうかなと。

―実際に3年間住み込むことになりました。

名越 保見団地には県営、UR、分譲と3タイプがあって、自分は“高級”といわれる分譲で2LDKの家賃4万2千円。一室を簡易的なスタジオにして、住人相手に写真館みたいなことをして稼げたらベストやったけど、それは無理やった。仕事は主に東京だから車で100往復以上はしたんちゃうかな? 20万で買った中古のパジェロで。

警察に何度も通報されて家に押しかけられた

―団地での日常は?

名越 さっきも言ったように何も起きひんですからね、団地は。朝起きて、中学生を撮りたいから通学路をブラブラして、夜になったら彼らが集まるたまり場に行ってダラダラして、自分の部屋に来てもらって撮影する。この繰り返しで、仲良くなると家に招かれたり、パーティに誘われたり。徐々に大人の知り合いも増えていきました。

―中学生からしたら、かなり怪しいおっさんですよね。

名越 実際、近隣の学校にはカメラを持った男に気をつけろという警告が出されましたからね。警察に何度も通報されて家に押しかけられたこともあった。若い連中からは逆に私服警官だと疑われてたんちゃうかな。

―それでもかなり突っ込んで撮影されています。クリスマスや出産、卒業式などパーソナルな写真が目を引きます。

名越 自分のスタンスとしては写真家というよりカメラを持った同居人。今の時代、誰でも携帯電話で日常を撮影するやないですか? 誰にでもある当たり前の写真を撮りたくて、極端に言えば「住人がシャッター切ってんのちゃう?」と錯覚するくらいがええと思った。そっちのほうが共感しやすいというか、これまで海外でやってきた撮影とは違うことをせなあかんという狙いもあって。

―撮影というより、記録に近い感覚ですかね?

名越 確かに。何度も言うように団地の日常は変わらないですから。毎日3回、自動車工場のマイクロバスが来て、朝から飲んでるおっちゃんがおって、ゴミ出しするおばちゃんがおって、学校に通う若者がおって、夜になればたまり場で騒ぐ連中がおる。そんな淡々とした日常を共にすると、ごくたまにギラッと光る瞬間があった。

―具体的には?

名越 やっぱり外国人にとって団地はついのすみかとちゃいますから。出会いがあって、必ず別れがある。だから肉を食べるにしても、酒を飲むにしても、子供を産み育てるにしても一瞬一瞬に熱があるというか。当たり前の日常をとにかく大切する。「月並みこそ黄金」というと大げさなんかもしれないけど、保見団地はこの言葉に通じてんのかな。

これは以前、東日本大震災のときに避難所暮らしした(*)ときの印象に近い。それぞれの家族に物語があって、被災地を撮るというより個々の人たちと丹念に交わって撮影するほうが性に合った。避難所と団地を同一視するのはおかしいかもしれんけど、同じ空気を感じたのはウソやないから。

(*)2011年に宮城・石巻の自主避難所「明友館」に長期滞在した。その日々は『笑う、避難所』(集英社新書)にまとめられている

将来的に日本中でこういう場所が増える

―団地に長く暮らす日本人の被写体も登場します。

名越 35年以上住んでる90歳を超えたおばあちゃんと知り合いになって。たまに「何しとる?」と電話がかかってくるような間柄で。でっかい仏壇がドンと家の中にあって、いかにも団地の日本人といったたたずまいの方やった。

正直言って、日本人と外国人住民との関係は微妙で、極端に言えば保見団地にはふたつの世界がある。日本人はほとんどが高齢者。新規で入ってくる人はいない。もしかしたら20年、30年後には外国人しかいないかもしれない。実際、ベトナムや中国などアジア系の住民も最近急増しとるし。だから、今の記録として日本人がおる風景も写真に収めたかった。きっと将来的に日本中でこういう場所が増えるんちゃうかなって。

―3年たった今のタイミングでまとめたのは?

名越 当時、中学生だった連中が敬語を話すようになった。それまではタメ口だった関係に「さん」がつくようになった。彼らにとって3年は大きな時間やないですか。亀とってきて遊んでたんがバイクの免許とってますから。外国人に帰国という区切りがあるように、3年が自分の潮時だったんやないですか。

―最後に、写真集の帯に田原総一朗が「それで結局この場所をなんて呼んだらいいんだ!?」と寄せていますが、名越さんにとっての保見団地とは?

名越 いろいろ考えたんですけど、これって答えを見つけることができひんのですわ。ただ、帰る場所なんかな。当たり前の幸せや日常のありがたさを教えてくれるという意味での。

●名越啓介(なごし・けいすけ)1977年生まれ、奈良県出身。大阪芸術大学在学中よりカメラをぶら下げてアメリカを放浪。以後、アジアを中心に世界各地に住み込みながら写真を発表している。著書に『EXCUSE ME』『SMOKEYMOUNTAIN』など

■『Familia 保見団地』 発行:Vice Media Japan 発売:世界文化社 2980円+税1972年に造成が開始され、67棟に6951人が暮らす愛知県豊田市の保見団地。90年の入管法改正によってブラジル人を中心に外国人が大量流入した。現在は外国籍が住民の約半数を占める。ここに一室を借りて住民と交わり過ごした3年間の記録。252枚の写真と併せて、ノンフィクション作家・藤野眞功によるルポも収録