新書『日本人失格』の執筆について語るロンドンブーツ1号2号の田村淳氏

昨年まで週刊プレイボーイ本誌にて「天空のブランコ 田村淳の脳内両極論」を連載し、歯に衣着せぬ物言いで常に注目を浴び続けるお笑いタレント、ロンドンブーツ1号2号の田村淳(たむら・あつし)が、人生初の新書『日本人失格』(集英社新書)を執筆、刊行した。

TVの現場で感じていることや日本社会に感じる息苦しさ、若い人たちへのメッセージなど、リミッターを外して“まんま”のメッセージを表現し切れたと自負する芸能界のトリックスターが、執筆の意味と自らの立ち位置について語ってくれた。

大反響の前編に引き続き、今回は「右向け右」の日本社会に物申した田村淳が考える“日本人合格”の条件ーーそこにはさらに強烈な批判と皮肉が詰まっていた!

* * *

―本書で特に印象深かったのは、何か物事が起きると、ほとんどの人が軋轢(あつれき)や孤立を恐れ、同じ方向に走りがちになる。だけど、大切なのは一度立ち止まり、時には自分ひとり逆方向に歩き出すことも大事だよってメッセージを放っているところでした。

田村 僕がそういう思考で生きているのは、とても単純なことなんですよ。だって、みんなが右に行ったら、そこはもう飽和状態で何をするにしても旨味がない。というか、人が多いというだけで、すでに競争原理が生まれちゃってるでしょ。それって、しんどいと思うんですよ。みんな同じ方向に進めばラクだし、安心だと思っているかもしれないけど、本当にそうなのかなって。

―そう言われると、そうかもしれませんね。

田村 そうでしょう? ビジネスの話に例えると、Aという新商品が開発されヒットした時、みんなその商品を作る方向に走ったら、儲(もう)けもその分、少なくなる。そういう時こそ、新しいDという商品に目をつけ、売り出しに力を注いだほうが楽しいし、たとえ失敗しても得られることはあるだろうし、ましてや爆発的に売れたりしたら、ひとり勝ちになるわけじゃないですか。

そのカタルシスって最高だと思うんだけどなあ。そういう人生のほうがつまらないストレスを抱えずにすむし、充実した毎日を送れると思うしね。

―そういう考え方をする人は珍しいんでしょうね。

田村 そう? 僕は普段からそういう思考しかしないから。『桃太郎電鉄』ってあるじゃないですか。

―はいはい、人気を博した双六みたいなゲームソフトですね。

田村 そうそう。その『桃太郎電鉄』というのは目的地が設定されて、ソコに向かっていかに早くたどり着くかを競うゲームなんです。目的地に一番先に着いた人が勝ちになるっていうか。それで僕は、負けている時には、サイコロ振って目的地には行かない。カードがもらえる場所しかウロチョロしないんです。

―ん? つまり、どういうこと?

田村 負けてる時って、普通は物件を買い漁ったりせずに、負けじとゴールに向かうんですけど、僕の場合は目的地から離れてもいいから、カード集めに没頭する。『桃電』好きな人には通じる話なんですが、そうしてカードを集めることより、一発逆転のカードを拾い、1位になろうとするんですよ。

『桃電』は道がひとつじゃないんです

―なるほど。

田村 要するに『桃電』は道がひとつじゃないんです。それは現実社会にもいえることであって、みんなが右に行くから自分も右に行くという考えは、それだけで思考停止になって、何も生み出さない。でも、左に行かなくても真ん中に行ってもいいし、斜め右でもいいわけです、人生というのは。

そこから得られることを糧(かて)にして歩んだほうが、同じ方向に行った人よりも結果的に先にゴールできるかもしれない。僕はそういう考え方が大好きだし、実践したいと思っているんです。実際、ちゃんと実践してますしね。

だからこそ主張できるんだけど、ゴールはひとつじゃないんですよ。自分が設定したゴールではなく、違ったゴールだとしても自分の中に『納得』の二文字があればいい。だって、最初に設定されたゴールが正しいとは限らないじゃないですか。右斜め上を選択した結果、たどり着いた、自分でも予想だにしなかったゴールが自分にとって正しいものかもしれないですし。まっ、以上のようなことがたくさん『日本人失格』には詰め込まれている、と(笑)。

―はいはい。それで安易に流行に乗らないというか、あえて乗り遅れる勇気も本書で主張しているように感じられるんですよね。

田村 結局、乗っちゃうと、その瞬間に不安感も背負っちゃうような気がするんです。今はこの流行に乗っているから安心。でも、次に新しい流行が発生したら、そこにも乗らなきゃ安心できないと焦り始めるのが人間なんですよ。

―そうかもしれないなぁ。

田村 僕はこれまで“あれが流行ってますよ”という情報が与えられても、“それが何か?”と思って生きてきたんですよね。例えば、今年はこんなふうな帽子が流行りそうです、パリコレでもモデルさんが被っていましたとか言われても、僕はこの帽子が好きだから、これを被ります、と情報に背を向けてきたんです。そう思っているから、別にブランドなんかどうでもよくて、今でも自分のフィット感を大事にしたものしか着ない。

これは何も僕が天邪鬼(あまのじゃく)だからじゃなく、人が勝手に煽(あお)っているものに乗っかっても、それは踊らされているだけでしょ、と思うだけで…。人に踊らされた人生ってつまんないじゃないですか。そんな生き方、疲れるだけ。

田村 淳が考える『合格な日本人』は?

―これまでの話を聞いているうちに、ふとビートルズの名曲『Fool on the Hill』を思い出しましたよ。

田村 というのは?

―この曲、作詞・作曲はポール・マッカートニーなんですが、彼はガリレオ・ガリレイをモデルに作ったと言われているんですね。

田村 はい。

―ガリレオってご存知のように地動説を唱え、天動説を支持していた当時のキリスト教に歯向かったわけです。その結果、地方の村に幽閉されてしまった。その時、彼は夜になるといつも小高い丘に登り、夜空を見上げていた。その様子を村人が見ていて、“あいつはやっぱりバカだ。長いものに巻かれればいいものを、ひとりで歯向かっているぜ”と嗤(わら)い者にしてたそうなんです。その不条理をポールは歌にしたのですが、でも、実際はガリレオが正しくて村人がバカだったわけじゃないですか。

田村 そうですねえ。

―だから、田村さんの本書においての主張を読み込んでいくと、時には自分の信念に基づきガリレオになるべきって感じられるんですよ。

田村 いや、そんな偉そうなもんじゃないですけど。

―いやいや、たとえ100人いて、その中の99人が右に行ったとしても、自分を見失わないためにも左に向かう勇気というものを教えられました。

田村 いやいやいや、そんな大層なもんじゃないです(笑)。ただ、ひとりでも反対方向に進むということは、とても大事なことなんじゃないですか。それがきっと民主主義の原点なんだと思いますよ。その精神というか気概を僕たちが見失った時、この国はヤバい方向にどんどん突き進んでしまうんだろうな、と予感しています。

―それでいくと、田村 淳が考える『日本人合格』はどんな人になるのですか。

田村 どんな人かと、ざっくりと問われれば(笑)そうだなぁ…自分を押し殺し、自分を騙(だま)し、ウソをついてまで周囲との調和を保っている風な人かな。そういう人が“日本人合格”だと思う。

―つまり、それは…。

田村 軸がない人たちのことですね。自分がなく、ひたすら周囲に合わせようとするから、自分がこうしたいという信念がない。大きなことを言えば、この国をどうしたいかもわからない人たちってことになる。

―うわっ、ヤダな、そんな日本人…。

田村 ヤダと言っても、今の日本人はそういう人たちばかりじゃないですか。やたらと中道の意見を取りたがってばっかりだし。こちらの意見もわかる、あちらの意見もわかるという態度を崩さない。それが摩擦や軋轢(あつれき)を起こさず、かりそめの平和を保つには一番の方法なんだろうけど、それじゃ何事も前に進まない。建設的なアイデアは生まれてこない。

でも、今の世の中はそういう日本人を求めているのは確か。そうでなきゃ日本人らしくないとも思われている。だったら僕は“日本人失格”で結構。逆に失格であることに誇りを感じていますから。

■『日本人失格』集英社新書 720円+税