現役を引退し、第二の人生を語る長谷川穂積

昨年12月に現役引退を発表した世界3階級王者の長谷川穂積(ほづみ)

引退から2ヵ月。36歳にして、人生の第2章を歩み始める伝説の王者が、現在の心境を語ったーー。

記録にも記憶にも、その名を深く刻んだボクサーだった。“日本人キラー”ウィラポンを破って世界王者になると、10度の防衛に成功。母親の死を乗り越えて2階級制覇し、3階級制覇となった35歳9ヵ月での世界奪取は、日本人最年長記録だった。

伝説のボクサーが引退について、人生の再出発について、胸の内のすべてを語った―。

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―引退から2ヵ月、ボクシングが恋しくなりませんか?

長谷川 恋しいですね。ただ、引退にしろ、現役続行にしろ、選ばなかった道に後ろ髪を引かれるのは仕方がないことかなと。総合的に考えて、チャンピオンのまま引退するという選択も含め、自分が思い描いた以上の道を歩み、最高の終わり方ができた。ただ、それでも、やりたくなりますね。だから、週に何度かは今も練習してます。

―それは、現役生活に後悔があるということですか?

長谷川 後悔はないです。ただ、未練は残るというか。人生かけてきましたから、ボクシングに。かけてきたというより、人生そのものやから。好きだけど別れなければいけなかった恋人ですからね。女々しいです、やっぱり男は。

―第二の人生、具体的なビジョンはありますか?

長谷川 まだ漠然とですけど、自分自身も体を動かしながら携われるボクシングジムがつくれたらなと思います。あとは、困っている選手がいたら、手を差し伸べられるような、ボクサーの組合のようなものもできたらなと。

―36歳にして始まる第二の人生に不安は?

長谷川 もちろんあります。17年間ボクシング一筋でやってきて、ほかにやってきたことがないんで。何をやるにも全部が手探りの状態。マンガなら、最後の試合に勝った瞬間、ハッピーエンドで終わってると思います。でも人生はそうじゃない。こっからが長いし、養わなければいけない家族がいますからね。

―不安の対処法は?

長谷川 確かに不安はありますけど、焦ってはないんです。それは、少しずつ心の準備をしていたからで。俺は2階級制覇して、最初の防衛戦で、まさか負けるわけがないと思っていた選手に負けたんです。母が亡くなった直後の試合に勝ち2階級制覇して、正直、防衛戦に気持ちが全然入ってなかった。ただ、この敗戦が「ボクシング人生は、いつか終わるんだ」と実感した瞬間で。

―それが、心の準備が始まった瞬間でもある?

長谷川 はい。もちろん、頭ではいつか引退する日が来ることは理解してました。ただ、日常って永遠に続くものだと思いがちですよね。心のどこかで「ずっと戦い続けるんだろうな」って思ってたんです。その敗戦が30歳。今の時代だったら、まだまだ現役を続けられる年齢です。

だから、いつか来る最後の日、その日にどうなっていたいかを具体的にイメージして、逆算ができた。もう一度、チャンピオンになって辞めようと。もちろん、今思えばですけど、負けたことにすら意味があったなと思えます。

心が折れそうな長谷川を支えた妻のひと言

今も練習を続ける。「来年の年末とかに復帰してるとかあるかも(笑)」(長谷川)

―キャリアの最終目標を明確にして、そこから逆算していたんですね。

長谷川 もちろん、頑張ってもダメなときはダメ。目標に届かないこともあるでしょう。ただ、俺がずっと頭にあったのは「悔いのないボクシング人生を送る」ということで。悔いのないってのは、どういう状態かと考えたら、人それぞれのゴールや価値観があるのでバラバラだと思います。

俺の場合は、「チャンピオンにもう一度なる」というのは、もちろん目標ではあったけど、それ以上に日々の練習で余力を残さないということこそが、最高の目標だった気がします。

―今、現役ボクサーに伝えたいことはありますか?

長谷川 引退したからこそ言えるのは、どんな若手のボクサーにも「いつか終わりが来るから」ということだと思います。誰にでもあると思うんです。「今日はちょっとしんどいから、練習やめよう」って思うことが。でも、「いつか終わるんや」ってことが頭の片隅にあったら、もう少しだけ頑張れるはず。終わりが来てしまえば、望んでも二度と苦労も苦痛も味わえない。こんな日々はもう来ないと思えば、あと一歩頑張れる。

―では現役時代、何度倒れても、負けても、そのたびに立ち上がれたのはなぜ?

長谷川 ボクシングが好きなだけです。あとは、質問の答えとは、ちょっとちゃうかもしれないですけど、いつも自分と闘っていたからだと思います。

―どういうことですか?

長谷川 ボクシングは対人競技ですけど、対戦相手とじゃなくて、闘っているのは結局は自分自身とだと思うんです。俺は練習前に「ケガをしないように今日はセーブしよう」と思っていても、練習が始まるとスイッチが入って肉離れを起こすほどやってしまう。なぜかというと、負けたくないからです。対戦相手じゃなく自分自身に。

試合でも心が折れなかったのは、心が折れるって相手に負けるんじゃなくて、自分に負けることですよね。自分に負けたら、試合にも勝てないですし。

―それでも、心が折れそうな瞬間があったとしたら、支えたのはなんですか?

長谷川 それは、家族や周囲にいてくれた人たちだと思います。3階級制覇できた試合の直前、左手をケガしたんです。さすがに「なんでここまできて」って心が折れそうになりました。でも妻が、“ええやん、ええやん。右で練習したら”って。そんな何げないひと言に救われました。

◆後編⇒長谷川穂積があの頃の自分に今、伝えること「俺でなければ語れなかったストーリー」

(取材・文/水野光博 撮影・取材/大村克巳)

●長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。2005年、ウィラポンを破りWBC世界バンタム級王者に。10度の防衛にも成功。2010年、WBC世界スーパーフェザー級王座に。日本人初、飛び級での2階級制覇達成。2016年、WBC世界スーパーバンタム級王者となり3階級制覇を達成。35歳9ヵ月での世界王座獲得は日本人最年長記録。通算成績は36勝(16KO)5敗