「同い年の高橋由伸監督に『プロ野球選手と監督としてお互い新しいスタートを切りましょう』ってメールをもらいました。こっちはルーキーなのに、向こうは巨人の監督ですよ」と笑うそうすけ氏

『とんねるずのみなさんのおかげでした』で「とんでもないワンバウンドのボールに手を出して空振りする元阪神のセシル・フィルダー」「流し打ちで右中間方向に二塁打を打って慌てる元中日のレオ・ゴメス」といった、プロ野球の助っ人外国人の“細かすぎて伝わらないモノマネ”を披露している芸人、360°(サブロク)モンキーズのそうすけ

実は名門・帝京高校野球部の出身で、昨年40歳にして四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団。芸人とプロ野球選手の二刀流を経験した激動の1年について話を聞いた。

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―挑戦したきっかけは?

そうすけ 2016年に40歳&芸歴20年目を迎えるに当たって、何か大きなことをしたいと考えていて。2015年の夏に草野球仲間から「独立リーグはどう?」と言われたんです。

子供の頃からプロ野球選手が夢だったけど、高校時代に挫折してお笑いを始めました。でも、心のどこかで「プロ野球でやりたい」という思いはずっと持っていて。このまま夢を諦めるのはいやで、決断しました。

―四国アイランドリーグを選んだのはなぜ?

そうすけ 年齢制限がなかったこと、入団テストがトライアウトリーグという1週間かけた実戦形式だったことが大きかったですね。1日だと技術的に厳しいけど、1週間なら可能性があるかなと。

テストは11月で、受験を決めたのが9月末。普段から筋トレはやっていたけど、硬球を握るのは23年ぶり。西武ライオンズの上本(達之)ってキャッチャーと仲良くさせてもらっているんですけど、彼に体の使い方や投球フォームをチェックしてもらいました。「今年ダメでも次の年にまた受ければいい」と思っていたら、なんと合格してしまって……。

―まさかですか?

そうすけ 実はトライアウトを受けた5人のピッチャーの中で、僕がいちばん成績がよかったんです。球速は遅いけど、アイランドリーグの選手を抑えることができました。あとはベンチから盛り上げたり、野球に取り組む姿勢を買っていただいたみたいで。一発勝負だったら合格していなかったと思います。

―40歳って普通なら引退してる年齢ですよ!

そうすけ 巨人の高橋由伸監督とは同い年で公私共に仲がいいんですが、合格発表後に「ニュース見ました。お互いプロ野球選手と監督として新しいスタートを切りましょう」ってメールをもらいました。こっちはルーキーなのに、向こうはもう監督なんですよね(笑)。

野球をやってるとお笑いの勘が鈍っちゃうんですよ

―すごい話ですね(笑)。ちなみに、ひと回り以上も年齢が下のチームメイトと一緒になって、どうでしたか?

そうすけ 最初は反発してる人も多かったようです。「こっちは真剣にやってるのに、芸人が遊び半分で来てる」と思われていたみたいで。

でもその頃の僕はプロの練習についていくのに必死で、そういう視線に気づかなかった。ベンチにいても積極的に声をかけて、ついには試合前の円陣で声出しを任されるようになりました。

―そうすけさんらしいですね。お笑いと野球の二刀流はうまくいきました?

そうすけ お笑いに関しては、練習の後に地元・愛媛の番組に出たり、あとは前期リーグと後期リーグの間の休養期間にコンビで営業をやったり。でも野球をやってるとお笑いの勘が鈍っちゃうんですよ。ボケに気づかない! 気づいてツッコむと、「スナップが利(き)すぎて痛い」って。大変でしたね(笑)。

―ピッチャーとしては最速123キロ。プロを相手によく抑えたなと思うのですが。

そうすけ ほかに80キロ台のスローボールを覚えて、球速の差で打ち取ってました。僕は試合でシングルヒットしか打たれなかった。打たれても不思議と誰かの正面に行くんです。バッターが打てそうで打てない球らしくて。野球ってつくづく奥が深いなと思いましたね。

―先発で投げる機会が2回あって、勝利投手まであと少しだったんですよね。

そうすけ 最初はあとひとりのところで力尽きました。2回目も先頭打者からフォアボール。ファンから「1勝を挙げるんだろ!」って鼓舞され、チームメイトからも「打たせてくれれば絶対に捕ります!」って。僕が来たのはプロで1勝するため。周りの支えで目が覚めました。

―ドラマのような展開ですね。

そうすけ 相手はこんなヤツに勝ちを与えるわけにはいかないと必死。駒田(徳広[のりひろ]・元巨人、現高知ファイティングドッグス監督)さんが監督で、声を荒らげたり、椅子を蹴ったりする音が聞こえるんですよ。

でもなんとか5回まで無失点で投げ抜いた。後続が打たれて、結局勝利投手にはなれなかったんですけど、チームメイトとの絆を感じられ、野球っていいなって改めて思いました。達成感というか、ひとつの区切りがついて、引退を決めました。

熱く突き進むと、周りも変わる

―プロ野球選手として1年戦った感想は?

そうすけ 野球は、ピッチャーが投げて、バッターが打って、守る人がファーストに投げてアウトを取るスポーツ。いろんな人が関わるところが好きなんです。愛媛マンダリンパイレーツで、選手全員が一丸となって戦う野球ができて幸せでした。

―そうすけさんのほかにも多くの選手が引退しましたよね。

そうすけ 独立リーグの選手はみんな2、3年という短い期間で勝負をかけています。NPBに行けなかったら引退。現実は厳しいですが、夢を求めて最後までやりきれる環境があるのは素晴らしいことですよね。

独立リーグで一生懸命やって、そこで諦めるのも勇気だと思いますし、夢に向かって動いたからこそ、また違うステップに進めるんだと思います。

―この野球経験をお笑いに生かせそうですか?

そうすけ 熱く突き進むと、周りも変わるということを学びました。だからお笑いでも、まず自分たちが楽しんでないとお客さんは笑わないなと思うようになりましたね。

―今年から360°モンキーズとして再始動します。

そうすけ と思ったら、相方が2月からラーメン店を始めたんですよ! X‐GUN(バツ・グン)のさがねさんプロデュースのラーメン店の雇われ店長。

今、ネタ合わせはラーメン店でやっています。まあ去年は丸1年間自由にやらせてもらえたから、あまり強く言えないんですけどね……。

(取材・文・撮影/関根弘康)

●そうすけ(360°モンキーズ)1976年生まれ、東京都八丈島出身。帝京高校野球部では三澤興一(現巨人二軍投手コーチ)の1学年後輩。97年5月に山内崇とお笑いコンビ「360°モ ンキーズ」を結成。ツッコミ担当。テレビ番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」で数々の野球関係のネタを 披露。2015年11月に独立リーグ・四国アイランドリーグplusのトライアウトを受験し、愛媛マンダリンパイレーツに入団。174㎝、72kg。右投 げ両打ち

■『最速123キロ、僕は40歳でプロ野球選手に挑戦した』 KKベストセラーズ 1500円+税プロ野球選手になる夢を諦めきれなかった360°モンキーズのツッコミ担当・そうすけが、40歳にして四国アイランドリーグのトライアウトを受け、投手として愛媛マンダリンパイレーツに入団。世界初の野球とお笑い芸人の二刀流として、ひと回り以上も年齢が離れているチームメイトと共に再び白球を追いかける。彼らの先に待っているのは明るい未来なのか? それとも、厳しい現実なのか?