韓国では憲法裁判所の創設により、「国民ひとりひとりが『憲法は自分たちの日常に深い関わりを持つものだ』と認識するようになった」と語る金惠京氏(撮影/細野晋司)

3月10日、韓国の憲法裁判所で朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾訴追が審議され、裁判官全員の一致で大統領の罷免が決定した。

韓国で国民の信頼を集めているという、この「憲法裁判所」という機関は日本には存在しない。日本の最高裁は違憲についての判断に消極的で、司法の力は弱いと言われている。

「週プレ外国人記者クラブ」第69回は、ソウル出身の国際法学者として様々なメディアで活躍する金惠京(キム・ヘギョン)氏に韓国での憲法裁判所の成り立ち、そして国際的視点から見た日本の司法について話を聞いた――。

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―韓国の憲法裁判所の役割と、設置された経緯を教えてください。

 一般的な憲法裁判所の主な役割として、違憲審査を行なうことが挙げられます。違憲審査というのは、法令などが憲法に違反したものでないかを審査及び判断することです。韓国の憲法裁判所においては「法律に対する審判」「弾劾審判」「政党解散審判」「国と地方自治体の(あるいは地方自治体間の)権限争議審判」「公権力による基本権侵害に対する審判」「裁判所による違憲審判申請棄却への審判」が行なわれます。

韓国では、1987年6月に起きた民主化運動の成果として88年2月から現行憲法が施行され、その中で憲法裁判所についての規定が新たに盛り込まれました。そして、88年9月に憲法裁判所が創設されたという経緯があります。

―韓国では民主化に伴って憲法裁判所が設置された、ということですね。

 そうです。憲法裁判所が設置される以前までは、日本の最高裁に当たる大法院に違憲審査を行なうか否かの決定権が与えられる制度がとられていましたが、その72年12月から88年の憲法改正までの間、違憲審査は1件も行なわれていませんでした。

民主化に伴い、大法院が違憲審査を行なうことも検討されましたが、大法院は政治に介入することを回避したいとの立場をとったことから、憲法裁判所が設けられるようになったのです。そして国民も、本来は憲法で守られるはずの自由や権利が司法によって守られていないと感じていました。これも、憲法裁判所が設置された大きな要因のひとつです。

―日本では違憲判決はようやく、ふた桁に達した程度ですが、韓国ではどうですか? 

 88年の創設から2015年12月までの間で、韓国の憲法裁判所は854件もの違憲審判を行なっています。しかし、憲法裁判所はその決定が民主主義に基づく政治的な判断を侵害し過ぎないように意識している面もあります。

例えば、2004年に国会が可決した盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領への弾劾訴追案は憲法裁判所によって棄却されています。この裁判では、弾劾案可決後に行なわれた選挙で廬大統領の所属政党が大勝したことを受けて、「弾劾理由であった廬大統領の選挙法違反」と「選挙によって国民の信任を得た大統領の権限を剥奪する」ことが秤(はかり)にかけられました。ある意味、立憲主義と民主主義のバランスを考えた上での判断だったといえるでしょう。

今回の朴大統領の罷免決定においては、そうした選挙がなかったこともあり、法的側面が一層重視され、韓国の憲法裁判所の歴史で最も重要な判決になりました。

「憲法裁判所は854件もの違憲審判を行なっている」

―他に憲法裁判所が出した判断で画期的なものは?

 800件を超える判断があるのでひとつには絞りづらいですが、軍隊の内部での暴力行為、いわゆるイジメについての決定が挙げられます。軍隊内でのイジメの問題は軍事政権下では不問に付されてきた部分が多かったのですが、民主化の過程を経て問題視されるようになりました。

創設翌年の89年10月には、軍の上級者による下級者への不当な命令があり、下級者がそれに従わなかったことに端を発した暴力行為について、下級者に厳しかった軍検察の判断を憲法裁判所が取り消したことがありました。これにより、軍隊内であっても基本権が侵害された場合、憲法裁判所が統制することが明らかになったのです。

―日本では、憲法9条を巡る問題──自衛隊の存在や日米安保条約の違憲性──については、あまりに消極的と言わざるを得ません。米軍駐留の違憲性が問われた砂川事件では、一審で違憲判決が下されましたが、跳躍上告(控訴を省略して、直接最高裁判所に申し立てる上告)を受けた最高裁は「日米安保条約は高度な政治性を持つ」という理由で、違憲審査を回避しています。

 韓国でも政治体制や安全保障に大きな影響を及ぼすレベルの審査になると、判断を避けることはあります。やはり、司法は政治を無視することはできません。韓国の憲法裁判所は、民主化以前には抑えられていた日本による植民地統治時代に対する補償など、日本との歴史問題に関しては積極的な判断を下す傾向がありますが、北朝鮮との軍事的緊張関係を背景にした米国との関係には配慮があります。

政治的判断が問われるイラクへの派兵や、米軍基地の移転などの問題に関してはあまり踏み込めないのです。ただし、そうした姿勢の背景に韓国国内では米軍の位置付けに関して一定の合意があることも理解する必要があります。

そのため、もし韓国で砂川事件のような裁判があったとしても、おそらく憲法裁判所は判断を避けるでしょう。これは見方を変えれば、裁判所の決定力が強過ぎることは、民主主義にとって危険である、という捉え方もできます。

─違憲審査を担当する判事の選任に関する制度はどうでしょうか? 日本では、最高裁の判事は全員、内閣によって任命されます。

 日本の最高裁判事の全員が内閣による任命で、選出分野が慣習に従って配分されているというのは、偏(かたよ)りがあるかもしれません。韓国の憲法裁判所は、通常は9名の判事で構成され、大統領・国会・大法院からそれぞれ3名が選任されるという形でバランスが取られています。また、国会が選任する3名の内、2名は与党から、1名は野党からとなっています。

重要なのは、憲法裁判所の位置付けで、三権とは一定の距離を保ち、憲法で保障されている国民の基本権に軸足を置いているということです。

「日本では三権分立が十分に確立されていない」

―日本では憲法改正に向けた議論が始まろうとしていますが、国会に対して「一票の格差」問題で「違憲状態」とする判決が相次いでいます。違憲状態の国会で憲法改正の議論をすることに問題はないのでしょうか?

 国会の開催要件に「選挙結果が合憲状態であること」は含まれていないので、可能ではあります。もちろん、憲法改正は最終的に国民投票で決まるとはいえ、国会での議論内容や各種配分が本来の人口比率に合致していない面があるのですから、違憲状態の国会で憲法改正の議論を進めることは望ましい状況とはいえません。

韓国にも「一票の格差」問題はありましたが、2014年3月に憲法裁判所が従来の「3倍まで」を違憲として、国会に対して「2倍以下」に是正するよう命令を下しています。さらに憲法裁判所は状況の改善に対して「2015年12月までに」というタイムスケジュールも提示し、その結果、国会で選挙制度の改革が行なわれ、現在では憲法に合致した選挙が実現しています。

―アメリカも日本と同様、憲法裁判所はありませんが、最高裁の権限は日本と比べるとはるかに強く見えます。

 日本では三権分立が十分に確立されていないと思います。特に、政治が司法を尊重していません。日本の司法とアメリカの司法の力の差は、例えばトランプ大統領が署名した大統領令への対応に如実に表れています。イスラム圏7ヵ国からの移民・難民の入国を制限するとして1月27日に署名した大統領令に対し、それが違法で違憲であることから差し止めを命じたワシントン州連邦地裁の仮処分を連邦控訴裁が認めたため、大統領令は修正を余儀なくされました。

米政府も司法に対して異論を唱えつつ、判断には従うのです。その後、3月6日にトランプ大統領は前回のものより内容が緩和された大統領令に署名しましたが、効力を発する前にハワイ州連邦地裁が差し止めの判断を下しています。今後もこの動向には注目が必要です。

―韓国では憲法裁判所が設置されて以降、社会に変化はありましたか?

 国民ひとりひとりが「憲法は自分たちの日常に深い関わりを持つものだ」と認識するようになったと思います。そして「民主化以前の法律はもちろん、民主化以降の法律であっても憲法に基づいた丁寧な議論を経なければ違憲となりかねない」という認識も、国民の間に根づいていると思います。

(取材・文/田中茂朗)

●金惠京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『涙と花札-韓流と日流のあいだで』(新潮社)『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)などがある