パン・アキモトといえば『パンの缶詰』。本社前には巨大な広告オブジェが…

栃木県・那須高原のふもとに店を構える小さなベーカリー、パン・アキモトがホワイト企業たるゆえんは、ひとつに同社の事業そのものにある。

阪神淡路大震災を機に“発明”した『パンの缶詰』は、これまで数多くの災害被災地を救った。最長3年間はしっとりさが持続するその品質の高さはNASAの目に留まり、宇宙食として採用された実績もある。

さらに、同社独自の支援ネットワークをフル稼働させ、『パンの缶詰』を迅速に被災地へ送る「救缶鳥プロジェクト」はソーシャルビジネスの新しい形として国内外から注目されているところだ(前編記事「パンの缶詰で被災地支援を続ける町の小さなパン屋さん」参照)。

「この会社に入ってよかった」――。

社員が口々にそう話すパン・アキモトをかじ取りしているのは秋元義彦社長の長男、信彦氏だ。大手旅行代理店に6年間勤務した後、社長に口説かれて転職を決意。社長の息子にも遠慮のない先輩社員の“しごき”に耐え、現在、営業部長を務めている(中編記事「3・11のその日も『パンを焼きましょう!』」参照)。

「旅行代理店では、僕はビジネス書なんて読んだこともありませんでした。ただ膨大な業務をこなしていたので、自分はどこでも通用するとうぬぼれていたんです。この会社で鍛えられて僕が判ったのは、携わる仕事の意味を自分で考え、どういう会社を作っていくかというビジョンを描いていくことが大切だということです」

今、部下がいるからこそ、そのことがハッキリわかると信彦部長はしみじみと語った。鍛えられていく中で、徐々に目指すべき会社像も見えてきたという。まず、挨拶だ。

「僕が肝に銘じているのは、基本を徹底しようということです。会社で働く時の基本って、才能に関係なく誰でもできることだと思うんです。そのひとつが挨拶。幼稚園児の挨拶って元気がいいですよね。それが好印象を生む。

僕はいろいろな企業を回って、いろいろな人と話をしてきました。笑顔のある人ない人どっちがいいか。当然、前者ですね。元気ある人ない人どちらがいいか。やはり、人を惹きつけるのは元気です。これは誰でも同意します。でも、実際にそれを実践できている企業は少ない。

ウチではまず元気な挨拶を徹底します。元気な挨拶ができない社員は家に帰らせます。挨拶のできない人がお客様と向かい合うことはできません」

信彦部長は社員にこうも語りかけるという。

「皆さんに期待しているのは、とにかく元気な挨拶です。社員間でできないことはお客様にもできません。挨拶なら誰でもできる。仕事の能力に関しては“ウサギと亀”の亀でもいい。一歩ずつ進んでもらえればそれで十分です」

「ありがとうカード」で実現した働き方改革

確かに、記者が郡山でのボランティア活動に同行するためパン・アキモトを訪れた時、出会った社員の挨拶は例外なく、とても気持ちがよかった。郡山市でパンを住民に配布した社員の五月女(そおとめ)龍馬さん(営業職・23歳)もそのひとり。昨年入社したばかりだ。

「ここで学んだのは挨拶だけじゃありません。入社できて本当によかったと思います」

就職活動をしていた時、大学で見た企業VTRでパン・アキモトのことを知った。これほどひたむきに国内外での社会貢献活動に取り組んでいる会社が栃木県にあったのかと驚いた。そして、県内で実施された就活生向けの会社見学ツアーに参加。コースに入っていたパン・アキモトで秋元社長の思いにじかに触れ、“ここで働こう”と決意を固めた。

五月女さんが入社してよかったと思う理由はいくつかあるが、ひとつには「社員が大切にされていると感じられること」だ。例えば、「ありがとうカード」――。

社員同士の感謝の気持ちを“見える化”する「ありがとうカード」がピリピリしがちな職場に爽やかな風を吹き込んでいる

「ありがとうカード」とは、自分が見習いたいと思う他の社員の行動を目の当りにした場合などに、その人に向けて感謝の言葉をしたためるカードのこと。所定のポストに投函すれば、随時、オフィス内の壁に張り出される。

これは信彦部長が考案したアイデアだが、初めの2年くらいはさっぱり反応がなかった。だが、2010年に新卒採用をスタートさせ、若い世代が入ってきてから一気に広がった。現在、四半期で200枚以上たまることもある。

五月女さんは昨年12月、会社の創業イベントに忙しいパン・アキモトの店舗「きらむぎ」で、営業職でありながら、トイレ掃除や接客と時間のある限りの手伝いを約1時間半行なった。それをたまたま見ていた信彦部長は「手伝ってくれてありがとう」とカードに書いた。後日、それを目にした五月女さんは心が温かくなるような嬉しさを覚えた。

五月女さんも、倉庫から缶詰ケースを25ケースも車に運んでくれた女性社員に「ありがとうございます」とカードに書いた。年に2度、こうしたカードはとりまとめられ、全社員の前で、一番多くカードを書いた上位3名と一番多くカードに書かれた上位3名に対して「前に出てきてください」と表彰する。賞品は「きらむぎ」の商品券だ。

「これをしていると、互いの良さが認識できますね」と五月女さん。日常的に社員同士が互いの価値を認め合うことで「ひとつの変化が生まれた」と信彦部長は語る。

「掃除です。僕たち管理職は何も指示していないのに、今では社員が自主的に掃除のシフトを組んでいます。指示を待つことなく、ひとりひとりの社員が会社を良くしようと自発的に行動する。そういう企業風土ができているのを感じますね」

缶屋じゃなくパン屋として世界へ羽ばたく!

“カフェもできるオシャレなパン屋を作りたい!”。新入社員のアイデアを形にした石窯パン工房「きらむぎ」

とりわけ、信彦部長が感心したのが東日本大震災の翌年、入社1年目の社員が新しい店舗(前出『きらむぎ』のこと)を建てましょうと提案してきたことだ。

そのアイデアは、“より多くのお客様に来ていただき、カフェや食事もできて、ゆったりと過ごせるパン屋を作りたい”というもの。この頃、電話の問い合わせで「サバ缶はないんですか?」と尋ねてくる、会社からすれば笑うに笑えない客も散見していた。それほどアキモトといえば「缶」との認識が広がっていたのだ。

そんな中で生まれた新入社員のアイデアは、社内の会議で経営陣に仕事の原点を再確認させた。

「気づかされたのは、“そうだ、僕らは『缶屋』じゃない『パン屋』だ”ということでした。社会貢献の一環とはいえ、災害が起きた時だけ『缶』で売り上げを伸ばすだけの会社ではなく、本業の『パン』で経営を安定させてこそ持続的な社会貢献が実現できるはず。私たちの“原点”であるパン屋に戻ろうとの認識に至ったんです」(信彦部長)

そして2012年、「きらむぎ」着工。徹底してコンセプトが練られただけあり、80台分の駐車場、車いす利用者でも入店可能なバリアフリー設計、店の横には小さな公園、気軽な飲食スペース、夜のライトアップが設置されたきらむぎは2014年のオープン以来、毎日多くの客でにぎわっている。

パン・アキモトには社員を含め、関わる人たちとWIN-WINの関係を築こうとのポリシーが根付いている。

社員に対しては、例えば、定年は65歳。本人が望めば、その後も1年契約を何度でも更新できる。残業も平時は月に20時間以内。「きらむぎ」出店もそうだが、若い社員の意見を積極採用する風通しのいい職場環境もある。

また社員だけではなく地域も大切にしようと、パンの原料の小麦粉は安価な海外産に頼らず、地元・栃木県産だ。

そして、救缶鳥プロジェクト(中編記事参照)で代表されるように、缶詰を回収させてくれた企業や団体、世界各地で食料を待つ人々、食料を運ぶ団体の誰もがプラスの恩恵を受け、会社の収益向上にもつながるビジネスモデルを展開している。

同社の経営ポリシーはうまく形になっているようにも思えるが、課題はあるのか? その問いに信彦部長は首を振る。

「いやあ、課題だらけですよ。例えば、救缶鳥プロジェクトにしても今の値段が妥当なのかどうか…(200g・約800円)。できることなら、値段を下げたい。そのためには缶の売り上げを増やす、つまりプロジェクトの認知度をもっと上げることが必要です。また、業績を上げて頑張っている社員にもっと還元できる会社にしたい。

ウチの社長は常々『ウチはお困りごと解決サービスをやっている』と口にします。実際、被災地の現状が『パンの缶詰』を生み出し、食事制限を受けている糖尿病の方からの『おいしいパンを食べたい』との要望から低糖質、低カロリーの健康パン『コントロールブラン』を開発しました。主力商品はすべて、様々な方の“お困りごと”を解決してあげたいとの思いから生まれています。

そのこと自体が当社の誇り。これからも地域のためにできることを積極的に取り組み、お客様に『アキモトに行ったら元気をもらえた!』ともっと言ってもらえるお店を作りたい」

もちろん、まだアキモトを“缶屋”だと思う人は少なくなく、「パン屋としての成長を続けたい」との思いもある。

パン・アキモトはすでにベトナムでも店舗をもっているが、取材の3週間後、信彦部長は渡米した。現在、準備を進めているアメリカ進出を成功させるためだ。挑戦を忘れない会社である。

(取材・文/樫田秀樹)

秋元社長の長男・信彦氏がパン・アキモトの次代を担う

■企業DATA企業名:株式会社パン・アキモト 所在地:栃木県那須塩原市 設立:1947年12月 従業員数:60名 主な事業:世界初、3年間はしっとりさが持続する『パンの缶詰』を開発。企業や自治体向けに販売した缶詰を2年後に無料回収、国内外の災害被災地や途上国の難民などに直接届けている