「最初のうちは、よくある幽霊話ばかりでした。ところが、三回忌を過ぎた翌年の夏頃から、『そういえばこんな話があるよ』と、不思議な体験談が聞かれるようになったんです」と語る奥野修司氏

東日本大震災から丸6年。今なお、その爪痕は大きく、復興は順調に進んでいるとは言い難い状況が続いている。それは街並みや交通網など物理的なものだけでなく、震災で家族やパートナーを失った人々の心もまた同様だ。

そのためなのか、3・11では不思議と亡くした家族との邂逅(かいこう)ーーつまり、霊体験がいまだ多く伝えられているという。

『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』は大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家・奥野修司氏が、実に4年の歳月をかけて採録した、愛する人の“魂”とのコミュニケーションである。

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―この題材に着目したきっかけが、宮城県で2千人以上をみとった医師の岡部健(たけし)氏(故人)の強い勧めであったことが冒頭でつづられています。岡部医師が奥野さんにこのテーマを求めたのは、なぜでしょうか。

奥野 在宅緩和医療のパイオニアでもある岡部先生は、「お迎え」現象について精力的に研究されている方でした。「お迎え」とは、死の間際に亡くなった家族などが現れる現象で、これまではせん妄や幻覚の類いとして片づけられてきましたが、そうではなく、普遍的な現象であるということを岡部先生は論文にまとめられています。

その岡部先生が、陸前高田市のある病院で聞いた話によると、亡くなる人の2割が「お迎え」を経験しているそうで、「震災で犠牲になった人の2割といえば、大変な数だ」と、調査の意義を私に促したのが始まりでした。

―これまで医療や社会問題を多く取材されてきた奥野さんとしては、異色のテーマですね。

奥野 最初は気が進まなかったんですよ。幽霊の話を取材するなんて、やっぱり怖いですからね(笑)。それに、再現性がなければ科学的とはいえませんし、ノンフィクションとして題材にしにくいです。それでも、岡部先生から懇意の大学教授や僧侶など様々な人を紹介されるうちに、断りにくくなってしまった、というのが取材を始めた本当のきっかけでした。

―ノンフィクション作家でも、やはり幽霊は怖い?

奥野 それはそうですよ。そもそも被災地では怪談のような幽霊譚(たん)が山ほどありました。客を乗せたタクシーが目的地へ向かったら、そこは津波で流された跡のさら地で、乗客もいつの間にか消えていた…とか。そういう話を聞いた後に夜道を歩くのは、いやなものです(笑)。

三回忌を過ぎた頃から不思議な体験談が

―もともと霊魂の存在は信じているんですか?

奥野 いいえ、まったく。ただ、「お迎え」という現象は信じているんです。というのも、私たちの世代にとっては、子供の頃から普通に語られていたことで、私自身も祖父が亡くなったとき、「お迎えはあった?」と聞かれた経験があるくらいです。しかし、これが幽霊譚のように怖くないのは、「お迎え」で登場するのは必ず家族など身近な存在だからでしょう。つまり、物語を共有できる相手だからこそ、誰も怖がることがないわけです。

―失った愛すべき存在としての霊なんですね。

奥野 そうですね。今回の取材を始めたのは2012年の初冬でしたが、最初のうちは「何かに取り憑(つ)かれた」とか「どこそこの橋に出る」とか、よくある幽霊話ばかりでした。ところが、三回忌を過ぎた翌年の夏頃から、「そういえばこんな話があるよ」と、犠牲になった家族や兄弟に関する不思議な体験談が聞かれるようになったんです。

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本書に採録された体験談は、どれも不思議なものばかりだ。

例えば、震災以降ずっと行方不明になっている父の誕生日の夜に息子が体験したエピソード。「おやじ、どこに行ったんだろうなあ」と、コップ酒でささやかに祝っていたところ、真夜中に突然、玄関をドンドンと叩く音がしたので扉を開けるが、そこには誰もいない。いたずらにしては、誰かが隠れられる物陰も走り去る足音もない不可解な状況で、扉を閉めるとまた叩く音がする。それが何度か続くうちに、彼は「あ、おやじだ!」と直感するのだ。彼の元に、父の遺体発見の報がもたらされたのは翌朝のことだった。

これは「お知らせ」と呼ばれる現象で、遺体が発見される直前に同様の体験をした人は少なくないという。

―多くのエピソードを収集した上で、今回の作品に収録するか否かという判断基準は、どう設定されたのでしょうか。

奥野 少なくとも、単に「幽霊を見た」という体験談では、それだけで完結してしまいます。ただ怖いだけの、都市伝説のような話ばかりを集めるつもりはありませんでした。また、それがどこまで信憑性(しんぴょうせい)のあるエピソードなのか、というのも自分なりに判断しています。

―こうした題材では確かに、信憑性というのはひとつのカギになりそうです。

奥野 なかには「本当なのか!?」と、びっくりするような話もあります。しかし、なんらかの形で故人とコミュニケーションを取ったという体験は、残された当事者からすれば肯定してもらったほうが楽なんですよ。失った家族が土に返り、無になったと考えるよりも、今も魂でつながっていると思えたほうが、救いがあるというか。そういう本心の部分に迫るためにも、取材対象の方と最低でも3度はお会いして、時間をかけて何度も話を聞くようにしました。

「そのじいさんは、とっくに亡くなったよ」

―本書では繰り返し話を聞くうちに、エピソードの細部が微妙に補正されていく様子も記されています。

奥野 本人が語る故人との物語が、時間がたつにつれて変わっていくようなことは、被災者に限らずたびたび見られるものです。なぜなら人は、自分が最も納得できる形に少しずつ物語の細部を変えていく傾向があるからです。そうして自らを納得させることが心の安定につながるのでしょう。これは今回の取材においても同様でした。

―ところで、取材中に何か不思議な体験をしたことは?

奥野 ありますよ。僕の取材活動を地元の新聞が取り上げてくれたとき、その記事を見たという大船渡の人から携帯電話に連絡があったんです。電話口で少し聞いた感じでは、いわゆる幽霊譚の類いのようだったので、どうしようか迷ったのですが、ダメ元で話を聞いてみることにしたんです。

ところが、待ち合わせ場所に相手が一向に現れない。電話にも出ないので、困り果てて近くの人に尋ねてみたら、「そのじいさんは、とっくに亡くなったよ」と。数日後にまたその人の番号にかけてみたら、解約されたのか不通になっていましたね。

―なぜ東北ではこうしたエピソードが相次ぐのでしょう。同じ震災でも、阪神・淡路大震災のときには、こうした体験はあまり聞かれませんでした。

奥野 東北にはもともと震災前から、そうした社会が残っていたのだと思いますよ。例えばオガミサマという霊媒師の存在について本書で触れていますが、これは本来であればオガミサマがもっと活躍すべき事態だったはず。ところが、近代化とともに消えていき、震災後は青森から出張してきたイタコの姿も多く見られました。こういう存在が受け入れられる社会があったということですよ。

―書き終えた後で、ご自身の考え方に何か変化はありますか。

奥野 魂というものは存在するのだ、と思うようになりましたね。魂の世界が存在し、「死」とはその向こう側へ行くだけだと思えると、亡くなり方がとても穏やかになるんです。すると結果として、残された遺族もまた楽になるんですよ。不合理な考え方かもしれませんが、私たちのこの世界は、すべて合理的に解釈して生きていくのは不可能ですからね。

(インタビュー・文/友清 哲 撮影/岡倉禎志)

●奥野修司(おくの・しゅうじ)1948年生まれ、大阪府出身。ノンフィクション作家。78年から南米で日系移民を調査し、帰国後はフリージャーナリストとして活躍。98年、「28年前の『酒鬼薔薇』は今」で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」を、2005年に『ナツコ沖縄密貿易の女王』で講談社ノンフィクション賞を、2006年に同作で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『心にナイフをしのばせて』『「副作用のない抗がん剤」の誕生 がん治療革命』など著書多数

■『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く』 新潮社 1400円+税3・11東日本大震災から6年。大切な人を失い、絶望する被災者の中には、不思議な体験談を持つ人が少なくない。亡兄からの「ありがとう」のメール、ひとりでに動きだした亡き息子の鉄道模型など。それはありていの幽霊譚とは一線を画す、今だからこそ伝えたい奇跡と再生の物語だ