新著『受験学力』で、文科省の入試改革に警鐘を鳴らす和田秀樹氏

2020年度から大学入試が変わる。この入試改革では、知識を詰め込む「従来型の学力」が否定され、面接や小論文などで「生きる力」が問われるという。

一見、良いことのように思えるが、多くの受験関連書を出版してきた精神科医の和田秀樹氏は、新刊『受験学力』(集英社新書)の中で、この改革は多くの危険を孕(はら)んでいると警鐘を鳴らす。どういうことか?

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─2014年12月、中央教育審議会から「新しい時代にふさわしい高大接続の実施に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」という「答申」が、そして16年3月には文科省の諮問会議「高大接続システム改革会議」から答申の内容を具体化した「最終報告」が出されました。これに対し、内容を精査し、警鐘を鳴らすのが今回の新著『受験学力』ですね。

和田 「答申」には、ふたつの大きな変革が明示されています。ひとつは、既存のセンター試験を廃止して「思考力・判断力・表現力」を中心に評価する「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」を導入すること。もうひとつは、この希望者テストの後に各大学で行なわれる個別選抜が内申書、面接、小論文などにより合格者を決めるAO(アドミッション・オフィス)入試化することです。

これは、ただの提言ではありません。この「答申」に主体的に取り組む大学に対しては、インセンティブとして財政的措置を検討することが明言されているからです。現在の日本には、本来の意味での「国立大学」は存在しません。「国立大学法人」という名の独立法人であり、日本の大学には米国のように大学が資産運用を行なったり、企業をスポンサーとして研究費を集めたりといった文化が根づいていないため、各国立大学法人の経営は文科省からの補助金に大きく依存しています。その意味で、単なる提言ではなく、限りなく強制に近い効力を持つものといえるでしょう。

この「答申」を具体的にどういう形で実現していくかを示した「最終報告」では、2020年度から(2021年春から)大学の入学試験が大きく変わることが確認されました。東京大学ではすでに2016年春の入試からAO入試が導入されています。

文科省の示す学力3要素における「非常に重大な欠陥」

─具体的に、どこが危険なのでしょう? 和田さんは『受験は要領』など多くの著書で、従来型の受験勉強がその後の社会生活において必ずしもムダなものではない、むしろ「生きる力」と「確かな学力」を身につけることにつながると主張されてきました。

和田 『受験は要領』を書いた時には、数学の試験では設問のパターンを把握することが大切で、そのためには難問と睨めっこして時間をムダに費やすよりも問題集の解答を見てパターンごとの解き方を覚えていくほうが効率的という私の主張に対して「それでは本当の学力が身につかない」という批判がありました。

しかし、「本当の学力」とはなんなのでしょう? 「本当の数学力」は、はたしてすべての人に必要なものでしょうか? そんなことはない。数学者や高度な数学的知識・技能が求められる一部の職業を除いては、日常の生活では求められません。

そういった非日常的な知識・技能を身につけることが勉強の目的なのか。今回の「答申」では「従来型の学力」は否定され、「生きる力」を身につけることが強調されていますが、生きる力というのは「目の前にある課題を効率よく片づけていくこと」ではないでしょうか。そして、それを問う入試を行なうというのなら、非日常的な知識・技能を求めるのではなく、現実的な問題の解決能力を評価のポイントにすべきでしょう。

中高一貫教育を行ない、高校からは毎年、多数の東大合格者を出す灘中学に5番目の成績で合格したものの、私の成績は中学1年の終わりには173人中120番程度まで落ち込み、劣等生の状態は高校1年の頃まで続きました。そこから自分なりの受験テクニックを開発して、最終的には東大の理科三類(医学部)に合格したのですが、その過程で私が身につけた「生きる力」は次のようなものです。

まず受験勉強というのは、受験の当日までに合格点(満点ではない)が取れるようになるためのものだと考えるようになりました。努力と、その目的の関係を明確にするということです。この経験は「どんなものにでも身につけるべき方法論やテクニックがあるし、それを知らないまま勉強や仕事をすると、時間がかかる割に結果が悪い」という現在の自分の信念にもなっています。私がこれまでに600冊以上の著書を出したり、47歳で映画監督としてデビューしたような、その後の人生での「生きる力」はこの受験勉強を通じて身についたと言って間違いありません。

「答申」では、以下の3要素を「確かな学力」の条件として示しています。

1.これからの時代に社会で生きていくために必要な、「主体性を持って多様な人々と恊働して学ぶ態度(主体性・多様性・恊働性)」を養うこと

2. その基礎となる「知識・技能を活用して、自らの課題を発見してその解決に向けて探求し、成果等を実現するために必要な思考力・判断力・表現力等の能力」を育むこと

3.さらにその基礎となる「知識・技能」を習得させること

文科省は、高校の教育を通じてこれらの学力3要素を身につけさせることが必要だから大学受験改革を行なうとしているわけですが、先述したように、これらは従来型の受験勉強でも身につけることができるのです。

文科省の示す学力3要素では「自らの課題を発見して解決に向けて探求し」と言いながらも、そのために必要な「テクニック」については全く言及していません。これは非常に重大な欠陥だと考えます。スポーツの世界では必ず、まずコーチが「やり方」を示してから選手にトレーニングをさせます。それをしないスポーツコーチングは考えられません。非効率的であり、少なくともプロのコーチとしては失格の烙印を押されるでしょう。

「“教師ウケ”が良いか/悪いかが合否に大きく影響」

─2020年度からの大学入試改革で「教育格差」が拡大することも懸念されていますね。

和田 文科省の意図は、予備校で受験のノウハウだけを身につけたような合格者を排除したいということなのでしょうが、AO入試化で教育格差は間違いなく拡大すると考えています。

AO入試化で面接やグループディスカッションなどが重視されるようになれば、予備校はこれらへの対応術を教える特別なレッスンを開講するでしょう。高校生レベルでは受けていないと大きな差をつけられます。近年は、予備校に通うことも困難な学生が増えています。親の経済力が生徒の進路を決定するという教育における経済格差は、この入試改革によって確実に拡大する。また、現在でも予備校の量と質の両面で都市部と地方の格差が顕著ですが、この地域格差も拡大するでしょう。

─面接試験では大学の教授が面接官になるのでしょうか?

和田 AO入試化が日本に先駆けて進められた米国では、例えばハーバード大学の入試面接はアドミッション・オフィスに雇われたプロの面接官が行ないます。しかし日本では講義や研究が本職である大学教員が行なうことになるでしょう。「現行の入試では、予備校の授けた受験テクニックに騙(だま)される」と文科省は考えているのでしょうが、面接を重視するようになれば、プロによって対応術を授けられた受験生に今以上に騙される可能性が高まるはずです。

またプロの面接官は、例えば人物の容姿などから影響を受けないように訓練を受けていますが、大学の教員はそんな訓練は受けていません。韓国では就職試験の面接に向けて顔に美容整形を施す大学生が増えているようですが、日本でも2020年度以降、同様の現象が見られるようになるのではないでしょうか。

─内申書を重視する、というのはどうでしょうか?

和田 これも危険な要素を含んでいます。“教師ウケ”が良いか/悪いかが、大学入試の合否に大きく影響するからです。これまでの入試であれば、高校の授業で教師の目から「やる気」が見られなかったり、反抗的な態度が認められたりしたとしても、大学入試の学科試験の結果で合格することも可能でした。しかし、内申書が重視されるようになると、高校の教師から見て“良い子”でなかった受験生にとっては不利になるでしょう。

こういった状況は生徒のメンタルヘルスにも悪影響を及ぼします。アイデンティティの確立には、思春期に大人の世界に反抗することも大切だとされています。常に教師に気に入られないといけない環境に置くことは、人格形成の面で悪影響が出る可能性を無視できません。

高校では1994年からペーパーテスト学力だけではなく「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」「技能」等の観点から多面的に評価する「観点別評価」が導入されています。2020年度以降に重視されることになる内申書もこの観点別評価によって内容が左右されることになりますが、これが中学で導入された1993年以降、高校入試で内申が重視される中学校で校内暴力・生徒間暴力の発生件数が増加していることは統計の数字にも表れています。教師の前では“良い子”でなければいけないという精神的抑圧が、暴力という反動となって表れていると見ることもできます。

文科省は、まず失敗を失敗と認めるべき

─なんだか、2020年度以降は日本社会に“調子のいいヤツ”が急増する気がしてきました。

和田 笑いごとではありません。2015年に群馬大学の医学部附属病院で、ひとりの医師が18人もの患者を手術後に死亡させていた事件が発覚しましたが、17人目まではこの医師の説明に納得していたのです。つまり、この医師は手術に関する本質的技量には重大な欠陥があったが、面接やプレゼンテーションの能力は高かったということでしょう。医療の分野に限らず、こういった人材が大学から今以上に多く輩出されることになるという危険性も考えられます。

─そうなると、“人罪”を“排出”と言ったほうがいいかもしれませんね。

和田 私が今回の『受験学力』を含め、これまで繰り返し言ってきたことは「失敗をしたら別のアプローチ・方法論でチャレンジしろ」ということです。そして、それを探す力は従来型の受験勉強で身につきます。前述の群馬大学の例でも、失敗を認めて別のアプローチ・方法論を摸索していれば、少なくとも18人もの患者を死なせるという事態には至らなかったでしょう。

文科省はこれまでも「ゆとり教育」等、後に問題点が指摘される施策を行なってきました。必要なのは、まず失敗を失敗と認めることではないでしょうか。そうでなければ、同じ失敗を永遠に繰り返すことになります。

(取材・文/田中茂朗)

●和田秀樹(わだ・ひでき)1960年大阪府生まれ。和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学大学院教授、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部非常勤講師。85年、東京大学医学部卒業後、東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て現職。著書に『感情的にならない本』『難関大学も恐くない 受験は要領 たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ』『受験のシンデレラ』『大人のための勉強法』『だから医者は薬を飲まない』など多数

●『受験学力』 (集英社新書 760円+税)