15万部超の大ヒットとなった『うつヌケ』。大槻ケンヂに内田樹、AV監督・代々木忠の名前まで…

手塚治虫や本宮ひろ志といった巨匠たちの絵柄を真似して下ネタ漫画を描く、パロディ漫画家・田中圭一。

そんな彼が“うつ”経験者の体験をリポートした漫画『うつヌケ―うつトンネルを抜けた人たち―』(KADOKAWA刊)が話題を呼んでいる。今年1月の発売から約3ヵ月で15万部突破、現在もその売り上げを伸ばし続けているのだ。

本書では、10年以上うつに苦しみ、「50歳で自殺」を考えたという自身の経験をはじめ、ロックミュージシャンの大槻ケンヂ氏、AV監督の代々木忠氏、フランス哲学研究者の内田樹氏など著名人を含めた17人の“うつヌケ”体験がリポートされている。

うつを乗り越え、本書を手がけるに至った経緯や、この病気に対する今の思いを田中氏に聞いた。

* * *

―『うつヌケ』の反響がすごいみたいですね。

田中 これほどまでとは全く予想していませんでした。これまでの私の単行本は「2万部いくといいな」ぐらいだったので。

―ドラマ化、映画化までされた“ツレうつ”こと『ツレがうつになりまして。』など“うつ”を題材にした漫画はありましたが。この題材に着手されたのは、やはり「自分だから描けるものがある」という思いが?

田中 そうですね。私は漫画家なので、うつに苦しんでいる最中においても「これは脱出できたら絶対本を描いてやるぞ」という、創作者としての目論見はあったんです。ただ、最初に描こうとした時、一番の懸念点としてあったのが「うつのど真ん中の人に向けた本を、うつの人は手に取らないのではないか」ということでした。“ツレうつ”は、うつになった人を支えるパートナーや周囲の人のために「どうやって接していけばいいんだろう」という内容が描かれた本だからこそヒットしたと思うので。

―うつの渦中にいたら、本を読むどころか、むしろ直面するのを避けたいかも…と?

田中 そういう懸念はありつつも、やはり創作者、漫画家として「この体験を漫画にしない手はないよな」という思いは強かったんです。それで担当者さんと一緒に本を作ろうということになりました。

―この『うつヌケ』というタイトルも、見た瞬間に「ん?」と興味を惹かれます。

田中 こういう4文字タイトは講談社さんの漫画に多いんです。『ラブひな』とか『グラゼニ』とか。4文字で「何それ?」って思わせる、ひとつの方法論があるんですよね。それを以前から自分の漫画でも一度は使いたいなと思っていて、今回は「うつからヌケた」ってことで『うつヌケ』に。通りもいいし、わかりやすくていいなと。

―確かに! では、そういう戦略的な部分もあったんですね。そして、大槻ケンヂさんに内田樹さん、あのヨヨチュウ監督(AV監督・代々木忠さん)といった著名人の名前がリポートしたうつ経験者として載っているのも目を引きます。

田中 1冊の本にするのに自分の体験だけではあまりに情報が足りないということで、いろいろな方に取材して、それをまとめた本にしようと。第4話で出てくるゲームクリエイターの方も私の知り合いなんですが、うつで倒れて仕事を辞めた後、死に場所を求めてバイクで温泉地を回っているうちに、だんだんどうでもよくなってうつが治った、という。

その話を元々聞いていたので「こういう人は他にもいるかもしれない。いろいろなコネクションを使って取材してみよう」というところからリポート漫画の形になっていったんです。

大槻さんは吉田豪さんの『サブカル・スーパースター鬱伝』というインタビュー本にも出られていて「大槻さんもうつから抜けたんだな」と知っていましたし、ヨヨチュウさんもインタビューでそうした経験をお持ちだとわかって。元々、私が大ファンだったので「これを口実にぜひ会いたい」というのもありましたけど(笑)。

「うつのことをさっぱりわからない」

―個人的な願望を実現しつつ(笑)。

田中 はい(笑)。まあ、とにかく著名人の中で「うつを抜けた」とカミングアウトされた方にはできるだけアプローチしていきたいなと。それに私の体験だけを描いて「自分のケースはこうだったから、こうすれば治る」なんていうのは、医者でもないし、おこがましいですから…。いろんな人のいろんなケースを見て「自分と近いかも」と、正解というよりは“ヒント”になるような、多くの人に役立つ本になればいいなと思いました。

―そのうつ体験者たちの話を1話ずつコンパクトにまとめられていますが、同じようなジャンルで吾妻ひでおさんが自身の失踪やアル中、自殺未遂体験を描いた『失踪日記』など長編で読ませるような作品もありますよね。

田中 はい。ただ、『うつヌケ』は「note」というSNSで連載していたこともあって、お昼休憩でご飯を食べた後の10分くらいで読み終えるボリュームがいいかなと。連載を始める時、『失踪日記』を参考にさせてもらった部分はあるんですよ。ものすごく大変な、悲惨なことが描いてあるのに、あのまんまるっこい絵がすごく緩和してくれるっていう要素――「これは是非真似したいね」って、担当編集さんとも話していました。

『うつヌケ』は、まだうつから抜けきっていない方も読まれると思うので、あんまりどぎつく描くと読むのがイヤになる可能性もあるなと。だから適度にギャグを入れつつ、暗くならないような演出、気遣いはしましたね。

―ご自身が培ってきた絵柄も含めて、世代を超えて万人に受け入れられやすい作品になったと。

田中 漫画家を始めた頃はパロディのつもりで絵柄を習得していたので。まあ、そもそも手塚治虫先生はじめ巨匠の皆さんの絵をパロディに使うこと自体ひどい話ですけど(笑)、それをさらにみんなに役立つ本にも使うっていう。

やっぱり、藤子・F・不二雄先生の漫画を読んでもわかるんですが、昭和の漫画で頭身の低いキャラクターを使っているものは、コマの中に全身が入るじゃないですか。だから、「誰がどこで何をしているか」がすごくわかりやすいし、小さい子供でも読めるっていう。

『うつヌケ』は普段あまり漫画を読まない人にも手に取ってほしいので、頭身の低い、まんまるっこいキャラクターで描けたのはよかったんだなと。もちろん親しみやすい絵柄っていうこともありますけど、それはパロディでやってる身なので、大声で言うと石が飛んできそうですけど(笑)。

―(笑)。進行役である田中さん自身と「カネコ」というツッコミ役のキャラを登場させて、コンビで話を進めていくような形ですが、そのカネコが「うつの気持ちはさっぱりわからない」などと冷静につっこんだりすることでも重い話が緩和されている感じで…。

田中 私は、取材漫画では必ず“ツッコミ”役を入れるように心がけているんですよ。聞き手が聞いて、それに答えてという形よりは、ツッコミ役がいて漫才に持ち込んだほうがテンポがよくなったり、読者の視点を変えさせたりということができますからね。

担当編集さんとも、私がうつ経験者として登場するなら、コンビを組む相方は「うつのことをさっぱりわからない」というポジションがにしたほうがいいという話になって。出版された後に読者の方から「自分はうつじゃないから、カネコに感情移入して読みました」という声をいただくこともあって、やっぱり重要だったんだなって、改めて思いましたね。

“誰かが偶然手に取る一冊”を描くべきだと…

―そうした工夫もあって、幅広い層に読まれていると。実際、ご自分もある精神科医の方が書かれた一冊が“うつヌケ”のきっかけになったそうですが。

田中 はい。これは、あとがきにも書いていることですけど、ある一冊をたまたま手にとって脱出の道が見えたので、漫画家としても“誰かが偶然手に取る一冊”を描くべきだと。私が脱出するきっかけをくれた本に対しての恩返しというか“恩送り”というか、そういう使命感はありましたね。

ただ、この本を読みたいと思う、気にかかる方がこれだけたくさんいらっしゃるという現状もちょっと喜ばしいとは言えないよなと。それこそ、日本が活気にあふれていたバブル期だったらこの本は売れなかっただろうなって思いまして。それはそれでいいことなのかもしれないなって気もしますし(苦笑)。

―今は社会全体として、ちょっと元気がなくなっているからこそ『うつヌケ』がヒットしたと。

田中 私はバブル期にちょうど入社したての営業マンで、ノルマも高くて大変でしたけど、20代前半で200万ぐらいする新車をローンで買ってましたからね。会社の先輩にも「払い終わったら、まだ乗れる車を中古で売って、そのお金を頭金にして新しい車を買うんだ!」みたいな人がいたし。そういう元気な感じは、やっぱり今はないですもんね。いかに生活をコンパクトにしていくかが大事な時代というか。

それに今は長時間労働の会社がブラック企業として取り沙汰されたり、金曜も半ドンになったりして、これだけ労働時間を短くされちゃうと、おそらくバブルみたいなものはもう来ないだろうし、目覚ましい景気回復もありえないだろうなって。

●後編⇒うつは他人事じゃない…15万部超の漫画『うつヌケ』作者「経験してなかったら人間としてもっとイヤな奴だった」

(取材・文/週プレNEWS編集部、岡本温子[short cut])

●田中圭一(たなか・けいいち)1983年、大学在学中に小池一夫劇画村塾(神戸校)に第1期生として入学。翌年、『ミスターカワード』で漫画家デビュー。1986年から連載がスタートした『ドクター秩父山』はアニメ化される。大学卒業後は、おもちゃ会社に就職し、漫画家とサラリーマンの二足のわらじを履くことに。2002年、手塚治虫、藤子不二雄、永井豪といった漫画の“神”の作品をパロディにした作品集『神罰』がヒット。以降、その作風で人気を博す。