『Don‘t Blink ロバート・フランクの写した時代』の監督ローラ・イスラエル 撮影/奥平謙二

1本の映画を観ることで、ひとりの真摯な写真家の作品と波乱に満ちたその長い人生の深みに触れることができる――そんなドキュメンタリー映画の秀作『Don‘t Blink ロバート・フランクの写した時代』がGWの4月29日より公開。

ロバート・フランクは1959年に出版された写真集「THE AMERICANS」で、ウイリアム・クラインの「New York」(56年)とともに、写真に革命を起こしたと言われている稀有(けう)な写真家だ。(参照→前編記事「世界で最も有名な写真集で彼が写した時代とは」

■「キミは私の写真に命を吹き込んでくれたね」

ロバート・フランクは、写真を撮る仕事以外はメディアに対してずっと距離を置いてきた人でインタビュー嫌いで知られている。同じことを繰り返し語るのが我慢ならないのでは?とも考えられる。

しかし、そんな彼のファンは日本にも多い。昨年11月、2週間にわたって東京芸大で開催された世界の大学や美術館計50ヵ所を巡回中の入場無料写真展は1万人超を集め、盛況だった。

71年にニューヨークのアパートを訪ねて「私の手の詩 THE LINES OF MY HAND」などの傑作を生む触媒になった元村和彦のように特別な信頼関係を築いた人もいれば、来日時に知り合って交流を始めた荒木経惟や、ノヴァスコシアの自宅を訪ねて心を通わせ、本人の希望で北海道の父の墓参りにまで同行された繰上和美のような写真家たちもいるし、フランクは日本の写真コンペで審査員を務めたこともある。

しかし今回、自分のことはもっぱら写真や映像作品に語らせてきたフランクが、誰かに自分についての長編映画を撮らせたこと自体が僥倖(ぎょうこう)だ。

そんな特別な本作の冒頭、フランクが監督した“フェイク”ドキュメンタリー映画『Energy and How to Get It』(81年)の映像がいきなり流れて、心を持っていかれた。その作品は脚本家ルディ・ワーリッツアーがモンテ・ヘルマンの『断絶』(71年)の10年後に書いた脚本を元に彼が撮ったものらしい。

こうして1本の映画という始まりと終わりのある82分にロバート・フランクがこれまで生み出した写真や映像の“断片”を山ほど取り込み、つなぎ合わせることで積み重ねとしての彼の長い人生を無理なくたどれる映画になっている。

94年にワシントンのナショナル・ギャラリーで開かれた回顧展で上映された自作の無声映画『Moving Pictures』の中でロバート・フランクはこう記していた。

「私はこの人生を通して、真実をあらわにしたり、かくしたりする、さまざまな断片にとらわれてきた」

しばしば違和感を感じさせる“断片”のひとつひとつが、捉えがたい深みを備えている――そのコラージュのような本作を監督したローラ・イスラエルはフランクが手がけた映画の編集をもう25年以上も続けてきた人だ。

彼女にインタビューする機会を得て、まず、ヨーロッパに難民があふれ、移民の国アメリカが移民を再び排斥し始めた「今、この時代にロバート・フランクの仕事を見つめ直す機会を与えてくださって、どうもありがとうございます」とお礼を言うと、「それこそ私の意図したことでした」と笑顔で返された。

フランクお気に入りの愛妻ジューンとのツーショット。メガネはおそらく彼女の作品と思われる Photo of Robert Frank and June Leaf by Robert Frank,copyright Robert Frank

「キミこそロバート・フランクの映画を作るべきだ」

ニューヨーク大映画学科卒の彼女は、在学中に立ち上げた音楽ビデオの編集会社を通して、ジョン・ルーリーやパティ・スミス、キース・リチャーズ、ジギー・マーリーらのビデオやコマーシャル映像を制作してきた手練れの編集者でもある。フランクとの仕事が初めて舞い込んできたのは89年。以来、ずっと編集を任されている。

2010年に初監督した長編ドキュメンタリー映画『Windfall』で、風力発電の陰で生存を脅やかされている生きものや人々の声を世界に届けた時、その作品には批判的だったデンマークのライターに「キミこそロバート・フランクの映画を作るべきだ」と強く勧められたという。

本人に相談すると、翌日に「来週から始めよう」と言われた。それから銀のホイッスルを渡されて「困ったらこれを吹いてくれ」とも言われたとか。そのホイッスルをネックレスみたいに首にかけて、撮影が始まった。それから3年が過ぎた時、撮りためた映像とフランクが撮影した古い映像や写真、メモ書きなど山ほどあった資料を1ヵ所に集めて「ロバート・フランク室」を作り、さらに1年半かけて本作を仕上げた。

映画をつくるにあたり、ローラが心をくだいたのは彼の人生を語る上で避けて通れない悲劇、ふたりの子供たちの死と、今の生活とのバランスをいかにとるかという難題だった。

どうすればいいのだろう? 彼女はその手がかりを身近に起こったもうひとつの悲劇に求めた。世界に衝撃を与え、ニューヨークに癒やしがたい傷痕を残したあの9.11だ。

ツインタワーが倒壊した後、「誰もが途方に暮れて、何もかも終わりにしたくなるほど落ち込んでいた」と彼女は言う。そんなある日、撮りたての映像を持ったロバート・フランクがカナダからニューヨークに戻って来た。

フランクが長年、ジューンと暮らしているカナダ東海岸のノヴァスコシアのマブーは冬の寒さが厳しく、暮らしていくには骨が折れそうな土地だ。新しい映像は地元の新聞配達人ボビーが運転する配達車の助手席に乗って、彼が撮影したという冬の朝の情景だった。

その編集作業をしながら、ローラはシンプルな生活の美しさに感動し、カタルシスを感じたという。後の人生に深く影響するほど大切なものになったその映像を、この映画でも使うことにした。

「作品づくりを通して不幸を乗り越えていったロバートの姿を伝えたかった」という彼女にフランクはすべての映像や写真の使用を認めている。過去を振り返るのを好まない彼は、いつも気持ちを未来へ、次の作品へと向けているという。

「ロバートの家にはいつ行っても何か新しいものが置いてあります。新しい写真が山になっていて、被写体になる小物やポストカードや…。それから、いつも友達が出入りしています」

彼女がロバート・フランクに学んだ大切なことを含むエピソードをひとつ紹介しておこう。

ある時、編集したビデオが完成に近づいたその映像の中にどうしても違和感のある部分が残っていた。「これは違う」と見るたびに気になって、覚悟を決め「このショットは抜きましょう」と提案したが、「ワン・ショットだけは違和感のあるものを残しておいたほうがいいんだよ」とロバートは応じなかった。

「それからは仕事をするたびにまず違和感のあるショットを探して、それを残すようにしています。ほんの少しRAWな、手を入れないところを残しておく。それは人生の教訓にもなりました」

その違和感が「おや?」と無意識に心を引きよせる。不完全であるがゆえの豊かさ。彼女が知っているフランクは「世の中の真ん中ではなく端を歩いている人たちが好きで、本人も端を歩くようにしている」という。なるほど映画にはそういう人たちがたくさん登場している。

「瞬きしないでよく見なさい」という若者へのメッセージを込めたタイトル写真 Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler,copyright Assemblage Films LLC

「ボブ・ディランのマネージャーに話してみよう」

また、特筆すべきことは使われている曲が素晴らしいことだ。ドキュメンタリー映画の限られた予算の中で、どうしてこんなに粒ぞろいの曲が集まったのだろう?

音楽がとても大切な鍵になることは初めからわかっていたという。音楽ビデオの編集者としてキャリアを積んできたローラにとっては腕の見せどころ。持ち込んだプレゼン用の30分ほどの映像を観た音楽プロデューサーがその場でいきなりこう言ったそうだ。

「ボブ・ディランのマネージャーに話してみよう」

それは想定外の素晴らしい提案だった。翌週、ディランから「イエス」の返事をもらった時、「これはうまくいきそうだな」と思ったらしい。何しろノーベル賞受賞への返事よりも早い。他の人たちにも話を持ちかけると、お願いしたことをむしろ感謝され、映像に合った渋めの曲がズラリとそろった。

今回、楽曲こそ使用されていないが、ブルース・スプリングスティーンもロバート・フランクを称賛するひとり。ディランの傑作「追憶のハイウエイ61」に匹敵すると高く評価している「THE AMERICANS」を自宅に置いて、今もそこから創作のインスピレーションを得ているという。

こうして、時空を超えてアメリカを旅するようにロバート・フランクが生きた時代とその人生で巡り会った人々に映画で触れて、いつのまにか彼らに親しみを感じ始めている。そんな旅の途中の背景にはディランやローリング・ストーンズ、トム・ウェイツやキルズ、チャールズ・ミンガスなど、時代を超えた渋いロックやジャズが聞こえてくる。

完成した作品を観たフランクはローラにこう言ったという。

「音楽がとてもいい。キミは私の写真に命を吹き込んでくれたね」

(取材・文/奥平謙二)

■『Don‘t Blink ロバート・フランクの写した時代』は4月29日からBunkamuraル・シネマ他、全国ロード・ショー

●ローラ・イスラエル米国ニュージャージー州生まれの映像編集者・監督。NYU映画学科を卒業した後、音楽ビデオやコマーシャルの編集会社Assemblageを設立。NYを拠点に多くのミュージシャンやアーティストの映像編集を手がけ数々の賞を受賞。89年以降、ロバート・フランクの映像を編集し続け、2010年に初監督した長編ドキュメンタリー映画『Windfall』がトロント映画祭にてプレミア上映され、ニューヨークのドキュメンタリー映画祭Docs NYCで最高賞を受賞。翌11年に『フィルム・メイカー』誌「インディペンデント映画の注目すべき25人」に選出された

撮影/奥平謙二