アップライジングの斎藤幸一社長は元プロボクサー。現役引退後、“人生のどん底”を経て会社を設立。年商4億円超の人気中古タイヤショップに育て上げた

栃木県宇都宮市と太田市で中古タイヤと中古アルミホイールの買い取り・販売を行なうアップライジング。2006年の会社設立以降、まだ2店舗を展開するのみだが、宇都宮本店には同業者からの視察が絶えない。

同店の店頭で一番目立つのは猫と遊べる猫ルーム。女性向けのオシャレな授乳室もあり、タイヤは店の奥のショールームに並んでいた。取材当日、視察に訪れた同業者は「ここはタイヤを売ろうとしていない。店全体がタイヤ以外のことで客を惹きつけている。この発想が面白い」とうなった(前回記事『人気中古タイヤ店の“売らない精神”とは?』参照)。

実際、アップライジングが業界内外から評価されている点は、地域、子ども、障がい者、途上国…に対する支援活動など、本業ではない分野にも広がっている。そこに行き着くまでに、どんなきっかけがあったのか? 同社の斎藤幸一社長は「東北大震災です。あれは僕の価値観を変えました」と即答する。

2011年3月11日。東北地方は大地震に見舞われ甚大な被害を出した。連日のニュースに「大変だな」と思うものの、斎藤社長自ら被災地に行くことはなかった。

ところが、地元のラーメン屋数店が被災地での炊き出しに出かける際、懇意にしていたひとりが斎藤社長を誘った。そして4月7日、宮城県気仙沼市で避難所となっていた中学校に赴く。義理でついてきただけだったが、ラーメンができあがると、斎藤社長は歩いて外に来れない高齢者のために体育館に入り、大声で配った。

その時、ラーメンを食べた高齢女性が泣いたのだという。そして感謝の目を向け、こう言った。

「ラーメンも美味しいけど、栃木からわざわざ来てくれて、元気に声をかけてくれるその言葉が嬉しいんです」

何もできないと思っていた自分。ただラーメンを配るだけと思っていた自分。この言葉は「僕が人に喜んでもらえた!」との衝撃を与えた。同時に、自分自身が喜んでいたことが大きかった。これを機に、斎藤社長は「人の喜びは我が喜び。今後は他人のために生きよう!」と決意する。

事実、その後、何度も被災地での炊き出しに加わり、市民団体「栃木さくらイレブン」の活動として岩手県、宮城県、福島県の被災地で桜の苗木を植え続け、今、その数は2千本を超えた。自ら「復興支援バスツアー」を企画して数十人で被災地を巡ることも実践している。

そして、「喜んでもらえる人たちは被災地だけではない。まだいるはずだ」と被災地以外にもその目を向けると、それは案外と身近にあった。例えば「小学生」「児童養護施設の子どもたち」「障がい者」等々だ。

社員の意識を変えた日々の地域活動

アップライジングの社員が毎朝行なっている交通安全運動とあいさつ運動

まず、「子どもたち」――。被災地から戻ったあと、斎藤社長は社員に対して「社会貢献をしよう!」と提案するようになる。まず始めたのは、店舗の近くにある小学校で児童の通学時に行なう交通安全運動と挨拶運動だ。保護者以外の大人たちが関わることで優しさを共有できるのではと考えたのだ。

もちろん、活動を始める前にその小学校に赴き、校長に許可を求めた。それは認められたものの、活動当初は子どもたちからも保護者からも不審がられたそうだ。だが、毎日元気に「おはようございます!」と挨拶をかわし、交通誘導に勤め、ゴミ拾いを実行し、それが一時的なものではなく4年も続くと、子どもたちとのハイタッチも当たり前になり、斎藤社長が卒業式や入学式では来賓として招待されるまでに信頼を築くことができた。

4年と書いたのは、2015年にアップライジングが新店舗に移転したため、そこでの活動に区切りをつけなければならなかったからだ。それに伴い、今は移転先の地域にある小学校で同じ活動を展開している。

ここでも挨拶運動をやりたいとの申し出をした際、校長は「保護者でもそんなことを言ってくれる人はいません」と驚いたが、最終的には快諾してくれた。

これらの運動は社員の義務ではない。有志がその都度、参加すればいい。毎朝、大体5人くらいが顔をそろえるという。この社長の意気込みに増山健太課長も当初は「めちゃくちゃ違和感ありました」と振り返る。

「なんで知らない子どもたちのために挨拶するのかって。嫁にも『自分の娘にも挨拶しないのに』と不思議がられまして(笑)。でも、いざやってみると大切な活動だと実感しました。企業利益のためにやっているのではないですが、結果的に企業としても地域に残る行動だと思うんです」

社員たちは挨拶運動と同時に、毎月第一日曜日にJR宇都宮駅前で斎藤社長自身も世話人になっている「とちぎ掃除に学ぶ会」のメンバーと一緒に清掃活動も実践している。

夏は朝5時半(!)から6時半まで、冬は6時から7時半まで。社員の家族も有志で参加するというが、お手本にしたのはカー用品チェーンのイエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏だ。鍵山氏は素手でトイレ掃除する社長としても有名で、1961年の創業時から社員に馬鹿にされながらもひとりでトイレ掃除に取り組んだ。

最初の10年は誰ひとり手伝わなかったらしいが、いつしか命令もしていないのにひとり、ふたりと同調者が現れ、次第に全社員が自主的に掃除に取り組むようになり、最終的には会社の外の地域まで清掃活動が広がった。さらに「ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる」をモットーに鍵山氏はNPO法人「日本を美しくする会」を立ち上げ、その活動は今、全国120ヵ所以上、台湾、ニューヨーク、イタリア、ルーマニアにまで展開されている。

“会社に愛されている”という実感

宇都宮駅付近で清掃活動を行なうアップライジングの社員。左下、ほうきをギターのように持っているのが斎藤社長

単にモノがきれいになるだけではなく、それに携わるひとりひとりが謙虚になり、共感の輪が広がる事実に感銘したという斎藤社長だが、ちなみにアップライジングの店舗のトイレはやはり社長自ら掃除をすることを怠らない。

そんな斎藤社長がもうひとつ目を向けたのは「児童養護施設」の子どもたちだった。「彼らは様々な事情で親と離れて暮らしていますが、周りの大人たちが『みんなを応援しているよ』と関わり続けることが大切だと思うんです」

その様々な事情の中でも重い問題なのは、親のDVを受けていたことで愛情不足のまま大人になることだ。だからこそ、中途半端には関わらないともいう。

現在、足利市の泗水(しすい)学園とイースターヴィレッジを中心に栃木県内すべての児童養護施設に関わる。子どもたちへの物資や遊具の差し入れ、社員自らが施設を訪れて一緒に遊ぶことはもちろん、プロバスケットボールやサッカーの試合観戦にも全員を招待する。

加えて、希望があればその就労までを受け入れるという。

こんなことがあった。施設出身の社員、A君が恋をした。A君は親からの強烈なDVで9年間を児童養護施設で暮らし、社会に出てから引きこもっていた過去を持つ。愛情を知らずに育ったためか、彼女に貢がされていることに気づかない付き合いだった。金をすぐに吸いつくされ、社長の妻で専務の奈津美さんが危ないと感じ、彼の給与を管理、最終的には電話でその彼女と話し合い、別れさせることまでした。

そこでA君が実感したのは、自分を愛してくれる人たちが身近にいたことだった。この体験はその後、“転機”をもたらす。父親が体調が悪くなったとの噂を耳にした時、A君は思い切って会いに行ったのだ。

「体調どうなの?」「悪い…。今、どうしているんだ」「アップライジングという会社でまじめに働いているんだよ」――。

久しぶりの会話を通じて、父も大変な状況にあることを知ると、初めてこの世に生まれたことに感謝したという。アップライジングでの勤務を通じて、A君もまた人を許すことを知ったのだ。

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(取材・文/樫田秀樹)