05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける「12球団ファンクラブ評論家(R)」だが、知る人ぞ知る40年来のヤクルトファンの長谷川晶一氏

明るく、家族的なことから「ファミリー球団」ともいわれる東京ヤクルトスワローズ。その独特のチームカラーの正体を掘り下げた単行本『いつも、気づけば神宮に~東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社刊)がこのほど発売された。

多数のレジェンドOB、現役選手、首脳陣らを取材した著者の長谷川晶一(しょういち)氏が、とっておきの取材秘話を明かす。

■ファンクラブ評論家が「ヤクルト愛」を語るワケ

―長谷川さんといえば毎年、プロ野球12球団のファンクラブ全部に入会し、そのサービスを徹底比較する「12球団ファンクラブ評論家(R)」として知られていますが、今回はなぜ、こんなにも「ヤクルト愛」にあふれる本を出版されることになったんでしょうか?

長谷川 毎年、全球団のファンクラブに入会して今年で13年目になります。おかげさまで出版したファンクラブ本が話題になり、テレビやラジオ番組に呼んでいただく機会も増えました。ところがそれにつけ、ネット上などでさまざまな批判を目にするようになったんです。

―どんな批判ですか?

長谷川 まずは、「アイツは全球団を愛する博愛主義を謳(うた)っているけど、ホントはバリバリのヤクルトファンだぞ」という批判です。確かに僕は10歳の頃にスワローズのファンクラブに入会して以来、約40年間、ヤクルトひと筋。なのでこの批判は気にならなかったのですが、どうしても受け入れることができなかったのが、一部のヤクルトファンからの批判でした。

―“身内”からも批判されたと。

長谷川 主にネット上などで「アイツはヤクルトファンだと言いながら、実は巨人のファンクラブにも入会する“ビジネスヤクルトファン”だ」と書かれてしまって。これは事実無根、言いがかり、濡れ衣、冤罪(えんざい)です。やはりヤクルトを愛する同志からは「仲間」と認められたい。それで覚悟を決めたというか、そろそろ自分に正直になろうと思ったのが執筆のきっかけでした。

―ある意味、この本は長谷川さんによる、赤裸々な「ヤクルト愛」のカミングアウトなのでしょうか。

長谷川 はい。おそらく10代の頃から数えて、1000試合近く、スワローズの試合を球場で見ていると思いますが、基本は負けばかりです。なのに、僕はどうしてこんなにもスワローズが好きなんだろう?という謎を、自分なりに解き明かしていったら一冊の本になった。そんなふうに思っています。

今、明かされる衝撃の八重樫幸雄伝説

■今、明かされる衝撃の八重樫幸雄伝説

―本書には数多くのスワローズの関係者が登場しますが、まずは、その取材量の多さに圧倒されました。

長谷川 真中満(まなか・みつる)監督や、山田哲人(てつと)、石川雅規(まさのり)をはじめとする現役選手、岡林洋一スカウトなどのフロント組、若松勉、松岡弘(ひろむ)、大矢明彦などのOB、さらに現在は巨人のユニフォームを着ている尾花高夫、秦(はた)真司両コーチなど、40名以上の関係者に取材を受けていただきました。

―それらを「背番号《1》の系譜」や「歴代エースの系譜」など、「9つの系譜」としてまとめられたのには、どんな思いがあるのでしょうか?

長谷川 「自分はスワローズのどこに、こんなにも惹(ひ)かれたのだろう?」ということを考えていくうちに、この球団に脈々と受け継がれてきた「独特のカラー」のようなものにたどり着いたんです。

例えば背番号「1」は「ミスタースワローズ」と呼ばれるチームの顔ですが、ただ、結果を残せばつけられるものではない。若松勉から池山隆寛へ、さらに岩村明憲(あきのり)、青木宣親(のりちか)、そして現在の山田哲人へと、連綿と受け継がれてきたドラマがある。そういったものを、彼らの証言を基に書いてみたかったんです。

―池山さんが晩年、「もう自分は背番号1をつける価値がない」と自ら球団に返上するエピソードなどから、その重みが伝わってきました。

長谷川 歴代の背番号「1」は、みんなそれぞれにプライドを持っていました。同時に誰もが、次代の背番号「1」を温かく、そして時に厳しく見守っている感じもスワローズらしくていいなと思うんです。特に若松さんの青木に対する親愛の情は印象的で、彼からもらった年賀状を今でも持ち歩いている。それを取材時に見せていただいたときは感動しました。

―そうした硬派なノンフィクションがある一方で、「脇役の系譜」では一転、コミカルな文体で、名脇役たちを取り上げていたのが印象的でした。

長谷川 80年代の低迷期を支えた渋井敬一、角富士夫、八重樫(やえがし)幸雄といったいぶし銀の選手たちが僕は大好きです。だけど、彼らのような名脇役が組織にとっていかに貴重な存在であるか、子供の頃の僕はよくわかっていなかった。

だから当時、球場で渋井さんに「地味で渋すぎるよ!」とヤジってましたし、八重樫さんにはずっと「メガネの捕手は大成しないという定説をつくったのは八重樫のせいだ。それで苦労した古田(敦也[あつや])に謝れ!」と思っていました。まさか、それらをご本人に謝罪する日が来るとは思いもしませんでした。

メガネとオープンスタンスがトレードマークだった八重樫幸雄氏は、かつては俊足内野手だった!? さらなる驚愕エピソードも明らかに

―八重樫さんはいつからメガネをかけたのか、そして、いつからあんなオープンスタンスになったのか、など衝撃の新事実(!?)も明らかにされてます。

長谷川 八重樫さんからは「僕は足が速かったので内野にコンバートされた」とか、「若い頃は荒川道場に通って一本足打法で打っていた」など、驚愕(きょうがく)の事実を次々と伺いました。エピソードはもちろんですが、八重樫さんが実に人間味あふれる魅力的な方だったので、取材時はつい口が滑り、執筆時は筆が滑ってしまったかもしれません(笑)。

★後編⇒プロ野球・12球団ファンクラブ評論家が語る「緊張と弛緩がヤクルトスワローズ史の面白さ」

(取材/神田利明)

●長谷川晶一(はせがわ・しょういち)ノンフィクション作家。1970年生まれ。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける「12球団ファンクラブ評論家(R)」だが、知る人ぞ知る40年来のヤクルトファン。今作では「背番号1」「歴代エース」「国鉄戦士」「ファミリー球団」など9つの系譜から、スワローズ史を圧倒的な熱量、取材量で書き下ろした

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