権力が「邪魔だ」と考える人物を除去するのが目的ならば、共謀罪は絶大な威力を持つ、と語る青木理氏(右)と山田健太氏

「携帯はあなたの情報を政府に知らせています」――ギョッとする帯文が目に飛び込む、『スノーデン 日本への警告』(集英社新書)が話題を集めている。

エドワード・スノーデン氏は、2013年にアメリカ政府が全世界の一般市民を対象に大規模な監視体制を構築していた事実を暴露した「スノーデン・リーク」で世界を震撼させた元情報局員。

本書は、第一章でスノーデン氏が日本人に向けて深刻な監視社会の実情を解説し、第二章は国内外のジャーナリストらによるディスカッションという構成となっている。折しも、日本では政府が「共謀罪」の成立を急いでおり、アメリカのような監視社会はもはや対岸の火事とは言えなくなってきた。

出版を記念し、共著者のひとりであるジャーナリストの青木理氏、そして専修大学人文・ジャーナリズム学科教授の山田健太氏によるトークイベントが行なわれた。前編記事(「共謀罪成立で限りなく違法に近い公安活動が一般化する!」)に続き、メディアを萎縮させる特定秘密保護法など、深刻化する日本の「情報隠蔽体質」に迫る――。

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山田 これまで、情報機関が本気で情報収集したらどういうことが起きうるのかというお話をしていただきました。では、その一歩手前、身柄を拘束できる権限についてはどうか。やはり、これが大きいと思うんです。

つまり、これまでは「違法行為をしたから」という理由で身柄を拘束できたわけですが、共謀罪が成立すれば「やるかもしれないから」という理由で捕まえられるようになる。身柄を拘束したあと、起訴をするのか、裁判までもっていくのかという以前に「世の中にいると邪魔だ」と思う人物がいたら拘束して留置できる。それが非常に容易になることを私は怖れるわけです。

もうひとつ、スノーデン氏はこの本で、いわゆる「内部告発」を取り巻く状況についての警告も発しています。彼は「民主主義というのは、内部告発が情報源の秘匿などの権利によって担保されていないと壊れてしまう」と言っています。内部告発の受け皿としてのジャーナリストの役割というのを彼は非常に重視している。青木さんも取材活動を通じて、内部告発の重要性は十分に認識していらっしゃると思います。

青木 もちろん政治権力や行政権力が「邪魔だ」と考える人物を除去するのが目的であれば、共謀罪は絶大な威力を持つでしょう。実際に動くのは警察、なかでも公安警察になるわけですが、その絡みで言うと、これもオウム真理教事件の際、印象に残る話を聞きました。

公安警察がようやく捜査を本格化させ、ありとあらゆる法令を駆使して信者を片っ端から捕まえていったわけですが、公安部の幹部は当時、「過激派に比べればラクだったよ」と言ってました。そうして幹部信者のあらかたを捕まえ、最後に教祖の麻原彰晃を捕まえる段階になった時のことです。麻原の所在を必死に調べ、おそらくは第7サティアンにいるだろうということがわかった。さて、どうするか。刑事部と公安部の意見が対立したんです。

どういうことかと言うと、刑事部はこう主張するんです。「麻原を捕まえるんだったら、地下鉄サリン事件か、それに匹敵する逮捕状で捕まえたい」と。一方の公安部はこう訴えた。「公務執行妨害でもなんでもいいから、とにかく踏み込んで拘束すればいいんだ」と。

ここに公安警察と刑事警察の根本的な発想の違いがよく表れています。刑事警察というのは、裁判での立証なども見据え、きっちり捜査をしたいという考えが根底にある。一方の公安警察は違う。極端に言えば、容疑なんてなんでもいい。捕まえることにこそ意味があると考える。

冗談のような話ですが、公安警察には「転び公妨」という手法があります。誰かを捕まえたいとするなら、その人物の周囲を公安警察官が取り囲み、そのうちのひとりが「あぁっ、痛い痛い!」といって勝手に転ぶ。そして「お前、押しただろう。公務執行妨害だ」といって逮捕してしまう。はっきり言って違法行為ですし、裁判で立証などほとんどできないのですが、これならいつでもどこでも誰だろうが逮捕できてしまう。

しかし、とりあえず逮捕し、その後に強制捜査でもしておけば、たとえ裁判で有罪にできなくても、さらに言うなら起訴すらできなかったとしても、情報収集という点でいえば勝ちなんです。対象人物や組織にダメージを与えることもできる。それが情報警察である公安警察の本能と言ってもいいでしょう。だから、それに強力な武器を与えることになる共謀罪は恐ろしいのです。

「情報源は死んでも守れ」がメディアの最大の掟だが…

「スノーデン氏のような内部告発者が現れた時に、それを受け止められるメディア、ジャーナリストがどれぐらいいるだろうか…」と、特定秘密保護法によるメディアの萎縮を憂う青木氏

それから、メディア、ジャーナリストと内部告発の話ですが、僕はスノーデン氏に直接お目にかかったことはないけれど、彼を扱ったドキュメンタリー映画『スノーデン』を観ました。また、この本の題材となった2016年のシンポジウムで、インターネットの画面を介した生インタビューという形で彼に接しました。ものすごくスマートでインテリ。非常に“まともな方”という印象を受けました。

僕もこれまで数々の内部告発者に出会ってきました。これは確か鎌田慧さんの言葉だったと思いますが、僕らの仕事の根幹である取材とは何かといえば、「本当のことを語ってくれる人を探す旅だ」と。まさにその通りです。自分の身に直接危害が及ぶようなケースは稀(まれ)にしても、所属する組織や人間関係の都合上、どうしても言いづらいこととか言ってはいけないこと、あるいは秘密にしなくてはいけないことであっても、こいつならばと思って明かしてくれる人を見つけるのがノンフィクションライターとかジャーナリストと呼ばれる者の仕事なわけです。

内部告発者はその筆頭ですが、現実には様々な人がいます。告発の動機が私憤や嫉妬、あるいは金銭的な目的だったりすることもある。もちろん、その動機がなんであるかにも目を凝らさなくてはいけませんが、肝心要(かなめ)なのは告発の中身です。真実を語ってくれる人がいなければ僕たちの仕事は始まらないし、そういう人が現れれば真実が明るみに出る。現れなければ、真実は永遠に闇に隠されてしまうわけですから。

また、往々にして内部告発者は厳しい環境に晒(さら)されますから、精神的に不安定になりがちな人も多い。しかし、スノーデン氏に接して「ああ、こんなスマートな内部告発者がいるのか」と感じ入ったんです。彼は今、ロシアで事実上の亡命生活を送っていて、自らの身も決して安泰というわけではない。なのに非常にスマートで、彼が告発をする上での動機であったり、その行動の動機というのも、ものすごくクリアで論理的です。自分が内部告発した後の社会の反応、メディアがどう動くかということに関しても、非常に明確なビジョンを持って行動している。これは僕にとって純粋な驚きでした。

スノーデン氏に対して暴露主義者とか、混乱を引き起こす者といった印象を持たれている方も多いかもしれませんが、この本を読んだら、むしろブッシュ元大統領やオバマ前大統領、そして現在のトランプ大統領は最たるものでしょうが、彼ら為政者のほうがよっぽど不健全で非論理的だと感じるでしょう。スノーデン氏の存在には、「ああ、こんな人が現れ得るんだ」と、内部告発者を探す旅を続けている僕ですら驚いたぐらいです。

それでは、日本に果たしてスノーデン氏のような人物が現れうるだろうか。また、彼のような内部告発者が現れた時にそれを受け止められるメディア、ジャーナリストがどれぐらいいるだろうかと考えると、正直なところ非常に不安になります。

「特定秘密保護法ができても、世の中たいして変わってないじゃないか」と言う人もいますね。しかし、これは山田さんのほうが詳しいと思いますが、実はメディア各社は「特定秘密保護法対策マニュアル」のようなものを作っています。なぜか。例えば、Aという新聞社で、ある記者が特ダネをつかんだとしましょう。しかし、上司であるデスクや部長にこう言われる可能性がある。「これって、ひょっとすると特定秘密なんじゃないか?」。

特定秘密保護法の最大の問題のひとつは「何が特定秘密なのかわからない」という点です。そして、もし特定秘密だった場合、メディアも強制捜査を受けかねない。果たして、これに耐えられるか。そう考えると、特定秘密保護法があることによって、ジャーナリストが特ダネを入手しても報道を自粛する可能性が出てくる。

メディアに対する強制捜査が行なわれるとすれば、目的は特定秘密を漏洩(ろうえい)した人物を暴くことですね。ところがジャーナリストの側からすると内部告発者は情報源です。「情報源は死んでも守れ」というのが僕らにとって最大の掟ですが、強制捜査はそれと真っ向から対立する。

そんな中、情報源を守れるか。パソコン内のデータから携帯電話の通信記録、メモや資料まで押収されれば、守るのは極めて難しい。結果、これは特定秘密に該当する恐れがあるから報道しないほうがいい、という自粛が起きる可能性があるし、すでに起きているかもしれない。情報源の側だって、本来なら告発に踏み切っていたケースでも、特定秘密保護法違反など最大で懲役10年の刑を課されかねないから、すでに萎縮して口を閉ざしてしまったケースもあるでしょう。

スノーデン氏は最近、メールなどの通信情報を網羅的に閲覧できる特殊なソフトをNSA(米国家安全保障局)が日本側に提供していた、とも告発しています。ではこれを警察が使っているのか、防衛省が使っているのか、実際に使っていれば明確な違法行為、憲法違反です。しかし、メディアでも国会でもほとんど問題視されていない。それが日本の現状です。

坂道を転げ落ちるような「情報隠蔽体質の深刻化」

「スウェーデンでは、公務員が職務に関わる秘密をジャーナリストに話す場合は摘発されない」と、語る山田氏

山田 現状として、そういう弱さを持った社会だからこそ、なんとか法的な制度で報道の自由を担保していく必要があると思います。例えばスウェーデンは、公務員がその職務に関わる秘密を家庭で洩らすと公務員法違反で摘発されますが、ジャーナリストに話す場合は摘発されません。約250年前にできた憲法のひとつを構成する出版自由法という、いわゆる情報公開法があって、ジャーナリストに話す場合は「公益目的の情報漏洩」ということで摘発されないんです。日本にもこういう制度があれば、随分違うと思います。

青木 仰る通りです。僕自身は、特定秘密保護法のような悪法には断固反対です。ただ、多少なりとも良質な与党政治家がいるとするなら、そうした歯止めをかけるべきだという議論がもっと出てくるべきでしょう。また、特定秘密保護法のような「情報を隠す法」を作るなら、それに釣り合うような形で「情報を出す法」、つまりはきちんと公文書を作成して適切に保管・管理し、一定時期がきたらきちんと公開していく情報公開法などの一層の整備が必要です。

現在の公文書管理法は、非常に不十分な内容とはいえ、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、「主権者である国民が主体的に利用し得るもの」と格調高く明記しています。この法律の制定に尽力した政治家のひとりが福田康夫元総理だそうです。本来は、保守の政治家からこうした動きがもっと出てくるべきなんです。だって、「国家の情報」でしょう。各省庁がどんなふうに動き、どんな意思決定の過程を経て政策を定めたのか。国家の歴史を正確に記録し、後世に遺していくというのは、むしろ保守の政治家がもっとこだわってしかるべきかと思うのですが、そういう発想もない。

森友学園問題では財務省が重要書類を破棄してしまったと公言し、自衛隊のPKO活動日報も一時は「存在しない」と強弁していました。東京都庁では、築地市場の豊洲移転に関わる交渉が「水面下」で行なわれ、記録が残っていないという。今もこういうことがあちこちで起きているわけです。

山田さんが仰ったスウェーデンの例は、まさに民主主義社会における報道の自由と、国家の情報を守るというバランスを考慮した上での所産でしょう。そういった海外の例と比べると、この国の情報に対する態度というのは、ため息が出るぐらい後進国的です。

山田 今の青木さんの話は、この本にある「民主主義国家として、どうあり続けるのか?」というスノーデン氏の言葉につながってくると思います。情報公開でいうと、日本では2001年に情報公開法が施行されました。ところが、施行から17年目に入っていますが、これまで一度も改正されていない。これは非常に特異なケースだといえます。こういう法制度を持つ国では、2、3年あるいは4、5年といったスパンで改正されるのが普通です。特に2000年代以降の社会はインターネットの普及が進んでいますから、それに応じて大抵の国は情報公開に関する法制度も改正しているんです。

残念なことに、今の日本の坂道を転げ落ちるような「情報隠蔽体質の深刻化」が進む状況が始まるのは、2001年の情報公開法施行以降なんです。2011年に公文書管理法が施行されましたが、これも法制度ができると同時に「じゃあ、記録を残さないようにしよう」「そもそも議事録は作りません」といった態度が顕著になっていった。本当にひどい状況ですね。

共謀罪まで成立すれば国民の情報は国家に吸い上げられ、専制体制に近づく

青木 本書の中で、スノーデン氏の法律アドバイザーである弁護士のベン・ワイズナー氏が古い言葉を引いています。「人々が政府のことについてすべて知っていること、これが民主主義社会だ。政府が多くのことを知っているが人々が政府のことを知らない、これは専制政治である」と。日本の場合、明らかに前者ではなく後者になりつつあるのではないでしょうか。

財務省が森友学園にあの土地をなぜ8億円も値引きして売ったのか。豊洲の新市場予定地に、なぜあんな地下空間が作られたか。財務省や都庁は隠し続け、誰もわからない。一方で特定秘密保護法が成立し、盗聴法が大幅強化され、この上に共謀罪まで成立すれば、僕らの情報は国家に吸い上げられる。つまり専制体制に近づきます。

僕は、この仕事を続けてきて、「情報ってなんだろう?」と考えるんです。綺麗ごとになってしまうかもしれませんが、情報というのは民主主義社会のコメ、あるいは空気のようなものです。それがないと、僕らは生きていけない。日々の判断や選択ができない。

これは何も政治に関する情報だけではなく、どのレストランが美味しいか、どの本が面白いかといったものも立派な情報です。様々なレベルでジャーナリストや編集者が情報を集め、ウラを取って発信する。その情報の積み重ねがあってこそ、僕らは日々いろいろな判断や選択が可能になる。

こうした情報がねじ曲がっていたり濁っていたり、あるいは伝えられないということになると、社会は澱み、民主主義は死ぬ。逆にスノーデン氏のような告発者が政府の違法行為を明るみに出し、それをきちんと受け止める良質なメディアやジャーナリストが増えれば、社会は多少なりとも健全になっていく。もちろんダメなメディアやジャーナリストは大いに批判するべきですが、一部の頑張っている連中は社会全体で応援し、支えていくようなことも必要じゃないかと思います。

山田 今、仰った「市民が政府のことをなんでも知っているのが…」というのはアリストテレスの言葉ですね。私は「表現の自由」が専門の研究者ですが、「表現の自由」は、ひとつには法律などの制度によって保証されるものです。また、それを運用する健全なジャーナリズムが存在することも必要です。このふたつによって表現の自由は守られるんです。

今、日本は制度も怪しくなってきて、ジャーナリズムも弱ってきている。ふたつある条件の両方がダメという、最悪の状況になりつつある。なんとかしないといけない。私は前者のほうで頑張るので、青木さんにはふたつめのほうで頑張っていただきたいと思います。10月1日(日)の午後にもう一度、スノーデン氏への生インタビューを予定しています。それまで、なんとか彼が米国に強制送還されないように願っています。

(取材・文/田中茂朗 撮影/本田雄士)

●『スノーデン 日本への警告』エドワード・スノーデン、青木理、井桁大介、金昌浩、ベン・ワイズナー、マリコ・ヒロセ、宮下紘 (集英社新書 720円+税)

●青木理(あおき・おさむ)1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社で社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年にフリーとなる。J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」金曜日のナビゲータ―を務める。著書に『日本の公安警察』(講談社現代新書)『日本会議の正体』(平凡社新書)『安倍三代』(朝日新聞出版)など

●山田健太(やまだ・けんた)1959年、京都府生まれ。専修大学人文・ジャーナリズム学科教授。日本ペンクラブ常務理事・言論表現委員会委員長、放送批評懇談会、自由人権協会、情報公開クリアリングハウスなどの各理事等を務める。著書に『放送法と権力』『見張塔からずっと』(田畑書店)、『法とジャーナリズム』(学陽書房)、『現代ジャーナリズム辞典』(三省堂)など