語り口は終始穏やかながら、今年のル・マンにかける思いの丈を熱く話してくれた開発トップの村田氏

 「悲願の初優勝まで、あと3分…」のところでマシンが突然のストップ。

衝撃的なリタイアで終わった昨年のル・マン24時間レースから1年。トヨタが再び、ル・マンの舞台に帰ってくる。「本当にすべてをやりきったと言えるのか?」。

この1年、そう自問自答する日々だったとふり返る開発トップの村田久武(ひさたけ)氏。トヨタは今年、どんな思いで、そしてどんなマシンを引っ提げて強敵ポルシェに挑むのか?

■つらい敗北の翌日にもル・マンには朝が来た

―去年のル・マン24時間では、23時間57分までトップを快走しながら、最後の3分で念願の初優勝を逃すというつらい幕切れでした…。

村田 そうですね、さすがにレースが終わった直後はチーム全体がガックリきていて、自分自身も精神的にほぼノックアウト状態でした。ホテルに帰ってユニフォーム着たままベッドに倒れ込んで、そのまま気絶するように寝てしまったんですね。

で、次の日、目が覚めて、部屋の窓を開けたら、昨日まで自分たちのマシンが走っていた「ユノディエール」の森が見えて、まるで何事もなかったように朝が来ていた。

それをボーッと見ていたときに「ああ、レースに勝っても負けても、同じように次の朝は来て、また来年のル・マンに向けての仕事が始まるんやなぁ…。それやったら、負けて落ち込んでいるより、来年に向けて頑張るしかない」って、自分はそこで気持ちを切り替えました。

―その瞬間から、2017年のル・マンに向けた戦いが始まったということですね。

村田 結局、去年のトラブルの原因はコンプレッサとサージタンクをつないでいる「ただのパイプ」だったんです。設計する上でそう難しくない部品が壊れることによって、1年間自分たちがやってきたことが一瞬でダメになった。

去年、自分たちは本当に一生懸命やったつもりでした。新しい技術への挑戦や難しい部品とか、そういったものに関しては徹底的にやっていた。実際、そうした部分は24時間きちんと働いたんです。

ところが、クルマ全体を見渡したときに「強いクルマ」になってなかった。例えばキーとなるふたつの部品をつなぐパイプもそうですし、そこを組みつけたメカニックの確認であるとか、そうした部分まで目を配れていなかったのだと、大反省しました。

そこからの1年は「俺たちは本当にすべてをやりきったと言えるのか?」と自問自答しながら、今年のル・マンに向けた準備を重ねてきました。

―ただ、去年のトヨタはマシンの速さでも、またレース戦略面でも強豪のポルシェやアウディを上回る戦いを見せていたと思います。

村田 そうですね。だからこそ逆に「ル・マンで勝つことの難しさ」「本当に強いチームとはどういうことなのか」ということを、あらためて勉強させられた気がします。

6年前、トヨタが初めてハイブリッドでル・マンに参戦したときに、主催者のある人物から「おまえたち本当に勝ちたいんだったら、7年ぐらいやってないと強いチームにならんぞ」って言われたんですね。当時は「俺らは数年で勝つわ!」と思っていたんですけど、やはりル・マンで本当に勝つためには、勉強しなあかんことが山ほどあることを、去年は思い知らされた。

ただ、それと同時に「それを乗り越えて絶対に勝ちたい。本当に強いチームになりたい」という気持ちも、これまで以上に大きくなっています。

HV搭載の「LMP1H」クラスは、3連覇を目指す強豪ポルシェと、初優勝を狙うトヨタによる一騎打ち。超高速の24時間サバイバルレースだ

「守り」に入ることは許されない

モノコック以外、空力、エンジン、サスペンションに至るまですべてを一新したTS050ハイブリッド。今季のWECでは開幕から2連勝と勢いに乗る!

■「守り」に入ることは許されない

―そんな「必勝」の気持ちが込められた今年のマシンについて教えてください。

村田 マシンの名称は去年と同じTS050ハイブリッドで、車体の基本骨格であるモノコックに関しては規定で去年と共通ですが、それ以外の部分については「ニューマシン」といってもいいほどすべてを一新しました。

今年から空力に関しては、年々速くなり続けているマシンのスピードを「抑制」する目的で規定が変更されています。新規定を単純計算で去年のクルマに当てはめると、ラップタイムが4秒ぐらい遅くなる計算なのですが、ボディ形状の変更で空力効率を大幅に向上させることで対応しています。

エンジンに関しても、今年はさらに燃費制限が厳しくなっているので、燃焼に関する考え方を大きく変えて、シリンダーヘッドも、ブロックも、ピストンもすべてを一新。冬の開発は本当に大変でしたが、それを乗り越えたことで狙いどおりのパワーと燃焼効率を実現することができました。

当然、新しい技術を取り入れれば取り入れるほど、信頼性の確保も含めて何倍もの努力が必要になるわけですが、ライバルのポルシェも確実に進化してきます。絶対に勝ちたいと思うなら「守り」に入ることは許されないのが、今のル・マンです。

―当然、トヨタの「武器」であるハイブリッドシステムも、昨年に比べて大きく進化しているんですよね?

村田 今から6年前、世界で初めて本格的な「レーシング・ハイブリッド」をル・マンに持ち込んだのがトヨタです。そうやって切り開いた「ハイブリッド時代のル・マン」のパワーユニット開発競争は、今やとんでもないレベルに達しています。

われわれのパワープラントを例に説明すると、2.4リットルのV6ターボエンジンの最高出力が約500馬力で、そこに電気モーターの約500馬力が加わって、全体でのパワーは約1000馬力。しかも、そのパワーを生み出す巨大な電気エネルギーを、マシンの減速時の数秒で回生エネルギーとしてバッテリーにため込み、コーナーからの立ち上がりの数秒で放電して解き放ちます。レーシング・ハイブリッドが市販車のそれと決定的に違うのは、大容量の急速充放電を短時間で繰り返すという点です。

「自分たちは本当に全部やりきったのか」

―まるで、ブレーキングで思い切り弓を引き絞り、脱出で一気に矢を放つようなイメージですね。

村田 ル・マンでは1周当たり最大で「8MJ(メガジュール)」という電気エネルギーを用いて、7回マシンの加速をアシストすることが可能です。その1回当たりのエネルギーはたとえるなら、車両重量が約2.4tの「トヨタ・アルファード」のような大型ミニバンを、3秒間でビル15階建てに相当する48mまで一気に持ち上げるほどのパワーなのです。

全長約13・6kmあるル・マンのコースは7つのセクターに分けられます。トヨタのマシンは1周当たり7回、そうした急速充放電を繰り返します。それを24時間、トラブルなく続けることが優勝への最低条件になります。

そして、今年はさらなる充放電効率のアップを図るためにハイブリッドのシステム電圧を昨年の750V(ボルト)から815Vにアップさせています。

そのハイパワーに対応するリチウムイオン電池も、セルや電極、電解液まで徹底的に見直すことで大きく性能を向上させています。その結果、バッテリーの作動温度も昨年の60℃から85℃に高耐熱化。しかも、走行距離に対するバッテリー性能の劣化を大幅に抑えることに成功しました。

それもこれも「今年こそル・マンに勝ちたい」「絶対に負けたくない」という気持ちを、チームに関わる全員や関係するサプライヤーの皆さんと共有しながら、頑張ってきたから実現できたことです。

それでも、本番まであと1ヵ月(取材時)を切った今もまだ、「自分たちは本当に全部やりきったのか、やり残したことはないのか」という気持ちで毎日を過ごしています。

減速時に急速充電を行ない、ためた電気は加速時に急速放電してマシンをアシスト。ル・マンのサーキットでは1周当たり、8MJという大容量の急速充放電を行なう

24時間スプリントをしないと勝てない

―万全の体制で臨む6年目の挑戦ですが、あらためて村田さんにとって、ル・マンとはどんなレース?

村田 ル・マン24時間はやっぱり特殊なレースで、3時間や6時間のレースならある程度の実力と運だけでも勝つことが可能だけれど、ル・マンで勝つには本当の総合力が求められる。そのものすごい「深さ」っていうのはやっぱり、実際に戦っていろいろな経験をしていかないとわからないものですね。

あと、ル・マンを含めた今のWEC(世界耐久選手権)の状況っていうのは、メーカーのプライドとか、国のプライドをかけた総力戦になっています。僕たちトヨタはハイブリッドのパイオニアだと思っているから、ハイブリッドの技術規則の中で負けるわけにはいかない。でもボルシェはポルシェで、彼らはスポーツカーづくりを生業としているメーカーなので、総合カーメーカーであるトヨタに負けたくない。

ル・マン24時間という歴史と伝統のある最高の舞台で、ポルシェのようなライバルと、本当に厳しい競争ができる。そして、その競争になんとしても勝ちたいから、自分たちを一生懸命磨くんですよね。

そうやって互いに切磋琢磨(せっさたくま)して、気づいたらル・マンは24時間スプリントをしないと勝てないレースになっちゃった。だからある意味、自分たちで首を絞めているんですけど(笑)。それほど熾烈(しれつ)な戦いの舞台でこうして優勝を争えるというのは、長年レースに関わってきた自分としては幸せなことだと思います。

―今年こそ、表彰台の真ん中に立ちたいですね。

村田 たとえ自分たちがどれだけ努力しても、それは「優勝」へのスタート地点に立っただけで、実際にふたを開けてみるまで何が起きるかわからないのもル・マンです。

去年、最後の3分であんなことが起きましたから。今年も気を抜くとか、楽勝なんていう雰囲気はまったくないし、今でもドキドキしていますけど、やっぱりあの場所に立ちたいですね。

僕は学生時代から登山をやっていたんですけれど、山の向こう側の景色って、山頂に登ったときに初めて見えるじゃないですか? たぶん「ル・マン」もそうなんです。なんぼ想像しとってもわからないと思う。だから、今年はきちっと登って、「向こう側」を見たいですね。

◆『週刊プレイボーイ』26号「ル・マン優勝を目指す日本人最強ドライバー座談会」では、中嶋一貴・小林可夢偉・国本雄資のル・マン制覇に向けたインタビューを掲載。そちらもお読みください!

●村田久武(むらた・ひさたけ)1987年入社。ル・マンやチャンプカー(インディカー)エンジンの開発を担当。2006年からレーシング・ハイブリッド開発に従事。ル・マン24時間の新時代を切り開いた“ミスター・ハイブリッド”

(取材・文/川喜田 研 撮影/岡倉禎志[村田氏])