自分と同じ意見の人ばかりが集まり、異なる意見は受け入れない。その結果、狭い世界に閉じこもってしまうことが「エコーチェンバー」という現象だと語るパックン

「エコーチェンバー」という言葉をご存知だろうか? SNSなど、主にネット空間に見られる病的な集団行動として紹介されることが多いが、特に現在のアメリカ社会で顕著なのだという。

そこで、正真正銘ハーバード大卒のマルチタレント、パックンマックンのパックンこと、パトリック・ハーラン氏に解説していただいた!

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─トランプ大統領を生んだ昨年の大統領選挙の頃から、アメリカ社会に関して「エコーチェンバー」という言葉を時々、耳にするようになりました。日本ではあまり馴染みのない言葉ですが、どんな意味なのでしょう?

パックン 「エコーチェンバー」は現代社会の特徴を表す言葉で、エコーが反響、チェンバーが小さな部屋という意味ですから、直訳すれば「反響室」。自分が何かを発言したら、やまびこのようにそっくりな意見が返ってくる。同じ意見の人たちばかりが集まって、異なる意見は受け入れない。

このようにして、本来は広く開かれているべき議論の空間が内向きに閉ざされていく…それがエコーチェンバー化という現象です。そして、エコーチェンバーの中では「似非(えせ)議論」が増幅していきます。

─似非議論というと…?

パックン 本来、議論というのは、異なる意見をぶつけ合ったり、意見の違いを乗り越えたりして理解を深めていくものですね。相手から自分と全く同じ意見がエコーのように返ってくるだけなら、それは議論とは呼べないはず。しかし、エコーチェンバーの中にいる当人たちは「議論しているつもり」なわけですから、それはある意味「似非議論」です。

自分がいる「部屋」には自分と同意見の人しかおらず、「他の部屋」の住人とはほとんど交わることがない。そうなると、自分の考えと異なる「異常識」…これは僕が今考えた造語だけど、その異常識と接することが少なくなるせいで、自分と違う考えはすべて「非常識」だと思ってしまう。

具体例を挙げれば、地球温暖化の議論。地球温暖化は二酸化炭素が原因だと考えている人と、そう考えない人の間では、その前提として信じている常識が異なるから、議論が永遠に平行線をたどり続けてしまうわけです。トランプ支持派に顕著ですが「自分たちに都合がいい事実」や「自分たちの信じたい事実」しか見なくなっている人が増えています。

─アメリカ社会で「エコーチェンバー」という言葉が使われ始めたのは、やはりインターネットやSNSが普及してきた頃ですか?

パックン いえ、この言葉の歴史は意外と古くて、ピュリッツァー賞を受賞したアメリカのジャーナリスト、デビッド・ショーという人が1990年に書いた、ある裁判に関する記事の中で既に「恐怖のエコーチェンバー」という言葉が使われています。

しかし、エコーチェンバーを検証するにはもう少しメディアの歴史を遡(さかのぼ)る必要があります。アメリカでは半世紀ほど前には大手新聞や放送局などのメディア関連企業が50~60社ほどありました。そして当時は報道の自由を守るため、ひとつの企業が新聞、TV、ラジオなど複数のメディアを同時に所有することが禁じられていたんです。

同じ国にいても「同じ現実」に生きていない

─「メディアの独占禁止法」的な感じ?

パックン そう! ところが、80年代に入ると規制緩和でメディアの再編や吸収合併が進んで、今ではわずか5、6社ぐらいの大手メディアグループにまとまってしまった。そうなると、各グループ内のしがらみもあるから、かつて存在した小さな新聞社のように自由な報道ができなくなる。このようにメディアの縦割りが進み、報道の多様性が失われていったことがエコーチェンバーの温床になったと思われます。

そして、アメリカ社会のエコーチェンバー化が急激に進んだのは、やはり21世紀に入る前後、ケーブルテレビが一気に普及した頃から。全国ネットワークから、ケーブルテレビの普及による多チャンネル化で「自分の好みに特化した番組を選んで見る時代」が到来した。つまり、メディアの多様化によって、逆に意見の多様性が失われるという皮肉な結果を招いたということです。

さらに、SNSとネットニュースの親和性が高まることにより、「自分の見たい情報を選んで見る」ことが当たり前になってきた。そうやって得た情報を個人がSNSで手軽に拡散するようになったことでエコーチェンバー化はより進んだと言えるでしょう。

もちろん、こうしたメディアの多様化は決して悪いことじゃない。ただ問題は、その多様性の中から「ひとつの狭い世界」を選び、その中に閉じこもって過ごすことが可能になってしまったということなんです。

─パックン自身、アメリカ社会のエコーチェンバー化が劇的に進んでいると実感することはありますか?

パックン いやもう、本当にハンパないですよ! 僕が大学を卒業したのは1993年なんですが、当時はまだ、みんな大体同じ全国ネットワークのニュースを見ていたので、ある程度「共通の事実」を認識した上でそれぞれの考えを持っていた。ところが、今はみんな見ているニュースがバラバラなので、同じ国にいても「同じ現実」の前提の上に生きていない。それぞれが「別の現実」を信じて、まるで「別の世界」に住んでいる。

例えば、僕がアメリカに帰って高校の同級生と会話する。彼は大学も出ていて、人種、社会階層、育った地域もほとんど僕と同じなのに、話が全く噛(か)み合わない。こういうことが珍しくなくなってきたんです。

去年の大統領選挙の時なんかも、ちゃんとした教育を受けているはずの友人が「ヒラリー・クリントンが児童ポルノの闇取引に関与している」という「フェイクニュース」を本気で信じていました。僕が「そのニュースはどう見たって怪しいでしょう?」と指摘すると、「おまえの読んでいるニューヨークタイムズのほうがよっぽど腐ってる!」って言い返されて、もう議論にならない…。

そうやって、みんなが狭いエコーチェンバーの中に籠(こ)もってしまった結果、「自分と異なる意見」を拒絶して、自分に都合のいい情報しか信じない人たちが増えているから「オルタナティブファクト」や「フェイクニュース」が公然と広がっていくわけです。

─トランプ大統領誕生の背景のひとつには、こうした社会のエコーチェンバー化があるのでしょうか?

パックン そういうことだと思いますね。異なる意見の人たちと議論しないし、できないから、当然、自分自身の考えに疑問を持つこともないし、迷いもない。そういう人たちにとっては、自分の信じる世界だけが「世界」なんですね。

●後編⇒パックンが気力で解説! “異常識”を排除する「エコーチェンバー」から逃れるために必要なこと

(取材・文/川喜田 研)

●パトリック・ハーラン1970年11月14日生まれ、コロラド州出身。ハーバード大学比較宗教学部卒業後、93年に来日。福井県で英会話講師を務める一方、アマチュア劇団で活動。その後、上京して、97年にお笑いコンビ「パックンマックン」を結成し、「パックン」として活躍。アメリカ民主党の支持者