「日本では監視活動についてマイナスイメージが強いが、いいか悪いかではなく、どう利用するかを考えることが重要」と語るティム・ケリー氏

日本の国会で「共謀罪」法案が審議される最中、イギリスでは5月22日にマンチェスターで、6月3日にはロンドンでテロ事件が立て続けに発生した。

共謀罪は「テロ集団」の定義があいまいで、市民の自由やプライバシーが制限されると懸念されているが、世界最先端の「監視社会」と言われるイギリスの現状はどうなのか?

「週プレ外国人記者クラブ」第80回は、イギリス・マンチェスター出身で「ロイター通信」記者のティム・ケリー氏に話を聞いた――。

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―イギリスのテロ対策の現状はどうなっていますか?

ケリー イギリスでは、2005年にロンドンの地下鉄やバスで同時爆破テロ事件があったことで、それまであったテロリズム法を補う新法が2006年に制定されました。この法律では、テロリズムを助長したり賞讃したりする行為も犯罪として取り締まることができます。また、共謀罪はイギリスにもあり、今回、マンチェスターとロンドンで起こったテロ事件でも容疑者が複数人いたため、多くの市民がその必要性を再認識しています。

―その成果として、イギリスは過去4年間で13件のテロを未然に防いだと言われていますが、3月にもロンドンでテロ事件があり、今年だけで3件発生しています。

ケリー 今回のテロによって、監視をさらに厳重にするかどうか、議論されています。6月のロンドンの事件は国際テロと言われていますが、実際は「国内テロ」です。容疑者は子供の頃からイギリスで生活していた人でした。差別や孤立が原因で若者が過激派思想に走ることを防ぐ教育プログラムが必要だと強調する人もいます。

イギリスのテロリズム法は実際、日本よりも厳しいといえるでしょう。例えば、アンジェム・チョードリーというイスラム過激派指導者が逮捕された事件がありました。彼は9.11テロ事件を賞賛し、イスラム教以外の人は殺害してもいい等と発言し、“ヘイト・プリーチャー”(憎しみの説教師)と呼ばれていました。彼自身はテロの実行犯ではありませんが、彼の影響を受けた若者がテロ事件を起こした。チョードリーはテロリズムを導いたとしてテロリズム法で逮捕され、2015年に懲役5年半の有罪判決を言い渡されました。

―実行犯ではないのに逮捕されたことについて、イギリス国民はどう見ているのですか?

ケリー 多くのイギリス人は、彼の発言は過激派を生む危険要素があると考えていたので、逮捕には賛成でした。オウム真理教の麻原彰晃はテロ行為を直接命令しましたが、チョードリーは直接的な指示はしていません。しかし、国民は彼が逮捕されたことに安心した。今回のロンドンテロ事件の容疑者の中にも、チョードリーと関与していたと思われる人もいます。

―過激思想を表明しただけで逮捕されることもあるということですね。共謀罪成立へ進む日本も、イギリスと同じような道をたどっているように思います。

ケリー ただ、イギリスと日本の違うところは「国際テロ」事件の有無です。日本ではこれまで、オウム真理教の地下鉄サリン事件のような国内テロはありましたが、国際テロに遭ったことはありません。それなのに日本政府は「テロ対策」として共謀罪法案を可決しようとしている。

もうひとつ問題なのは、共謀罪の対象とされる277の犯罪の中には、例えば建造物の建築反対運動など、テロとは考えられない犯罪もあることです。沖縄の米軍基地建設に対する抗議行動を取り締まるためにも利用されるかもしれません。

―イギリスでは、この沖縄の例のように政府に反対する活動家が逮捕されたことはありますか?

ケリー 1980年代のサッチャー政権時代、アメリカ軍が巡航核ミサイルをイギリスに配備することになり、基地前で反対運動をしていた活動家が逮捕されました。この取締りには当時、MI6も乗り出したのです。他には、同じくサッチャー首相が警察を使って炭鉱労働者ストを弾圧したこともあります。

イギリスでは、市民は監視カメラに慣れている

―監視活動とプライバシー保護との兼ね合いはどうなっているのでしょう?

ケリー プライバシー保護に関しては、イギリスは日本より弱いです。監視カメラはバスや電車などあらゆるところにありますが、これに反対する人は少ない。国民はテロ対策に必要だと思っているし、今年のテロ事件でも「やっぱり監視カメラは必要だ」と皆、言っています。今回のロンドンでのテロ事件では監視カメラがあったからこそ、警察が8分で現場に到着したと言われています。

元々、イギリスは長らくIRA(アイルランド共和国軍)によるテロが多発していたので、市民はある程度慣れているのかもしれません。そして05年のテロ事件以降、監視カメラは少しずつ増えてきました。警察のボディカメラはもちろん、一般市民もクルマや自転車にまで設置しています。確かに、イギリスは世界で一番監視されている社会。まさにジョージ・オーウェルの『一九八四年』の世界だ、などと言う人もいますね(笑)。

―市民社会やメディアなどが監視社会への疑問を呈することはないんですか?

ケリー 意外とないですね。日本では監視活動についてはマイナスイメージが強いようですが、いいか悪いかではなく、どう利用するかを考えることが重要でしょう。市民の側が権力を監視することだって可能なのです。クルマや自転車にカメラを付けていることによって、警察による不当逮捕の現場に遭遇すれば、その証拠映像をネットに上げて抗議の声を作り上げることもできる。

実際、アメリカでは警察による黒人への差別や暴力が市民の撮影によって明るみに出ることも多いですよね。国民は確かに監視されていますが、権力の側も監視されていることになり、警察に緊張を強(し)いることができるというわけです。

しかし、EU離脱の騒ぎに隠れてしまっていたのですが、昨年11月に成立した「データ保全および調査権限法」は議論を呼びました。これは、あのエドワード・スノーデン氏が「世界で一番厳しい」と言った法律で、これまで秘密裏に行なわれてきた世界的な監視活動を合法化したものです。これにより当局は個人の電話やメール、インターネットの閲覧履歴などを大量監視する権限を手に入れた。さらに、通信会社やIT企業に対して過去1年間のユーザーデータを保存することを義務づけています。

傍受対象のデータについては、委員会が議論し国務大臣が許可を出すことになっていますが、委員は首相が任命するので、まるで独立性がありません。データ傍受の理由は安全保障や経済のためですが、その定義はあいまいです。法律に解釈の余地を残すことは悪いことではないですが、イギリス国内でもさすがにこれは「やりすぎだ」という声が上がっていたところでした。ところが、今年のテロ事件があったため、やはり「人権より安全」という考えに立ち返ってしまいました。このようにプライバシーと安全のバランスは難しいものなのです。

―そんな中で日本が今、共謀罪成立を急ぐ理由はあるのでしょうか?

ケリー そこは難しいですね。日本は変化に対して反対する人が多い。憲法改正も反対の声が上がっていますが、技術革新も進み、世界は変わっています。柔軟性をもって対応していくことが重要だと思います。

―共謀罪法案は議論が成熟しないまま成立しそうになっており、世論調査では7割の人が法案の内容についてよくわからないと答えています。権力が法律を恣意的に利用しないよう、市民やメディアがウォッチしないといけないですよね。

ケリー イギリスの場合、人権を監視する市民団体が政府の動きに問題があれば反対運動をしますが、日本ではそういった動きが比較的少ないし、規模も小さい印象があります。確かに国会前でデモは行なわれているけれど、もっと大きな声があってもいいと思います。

(取材・文/松元千枝 撮影/保高幸子)

●ティム・ケリーイギリス・マンチェスター出身。1991年に初来日。シェフィールド大学で日本学を学び、証券会社を経てブルームバーグなどで勤務した後、フォーブス東京支局長を務める。2010年、ロイター通信に入社し、日本で取材を続けている。現在は防衛省担当