現役時代に対峙した名選手たちのエピソードを宮澤ミシェル氏が語った

サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第4回!

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回は、現役時代にJリーグで対戦した外国人アタッカーの思い出。インパクトがあった選手は?

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元ドイツ代表FWのルーカス・ポドルスキがヴィッセル神戸に加入して、まもなくリーグ戦に登場する。ドイツ代表時代は長くレギュラーを張り、W杯優勝や欧州各国リーグでの優勝争い経験してきた大物がJリーグでプレーするのは久しぶりのこと。まだ32歳の彼が世界最高峰のプレーを見せてくれるのを楽しみにしている。

それにしても、Jリーグの外国人選手のレベルは25年前に比べると下がってしまったと言わざるを得ない。Jリーグが誕生したばかりの頃はポドルスキのように強豪国の代表としてW杯で活躍した選手が各チームにゴロゴロいたし、性格もプレーも個性的なとんでもない選手ばかりだった。

鹿島アントラーズにはジーコ、アルシンドのほか、ビスマルク、レオナルド、ジョルジーニョといった現役のブラジル代表組がいたし、横浜マリノスには1982年W杯スペイン大会のアルゼンチン代表FWのラモン・ディアスがいて、同じくアルゼンチンのメディナベージョやビスコンティもいた。

横浜フリューゲルスにはブラジルからエドゥーやセザール・サンパイオ、名古屋グランパスに来たW杯得点王のイングランド代表のゲリー・リネカーは故障でパッとしなかったが、その後に来たユーゴスラビア(当時)のドラガン・ストイコビッチは言うまでもないほどすごかった。

だが、すごさで言えば、私が所属していた当時のジェフ市原もひけは取っていなかった。右MFに元ドイツ代表のリティことピエール・リトバルスキー、FWのオルデネビッツ、左MFにセルビア・モンテネグロ代表のマスロバル、チェコのパベルーー代表クラスの選手ばかりが揃っていた。

私の現役最後の年になった1995年にジェフに加入し、DFのレギュラー争いをしたゴラン・バシリエビッチは普段から威圧感が半端なかった。1991年にレッドスター・ベオグラードがトヨタカップを優勝した時のキャプテンで、心根は気持ちのいい人間なのだが、いつも表情が険しく、近寄りがたい雰囲気だった。

六本木に飲みに連れて行った時には革ジャンにサングラスで現れて、飲み方は全部ストレート。酒の強さもとんでもなかったね(笑)。

対戦したFWで衝撃を受けたのは…

酒の強さは、ジェフで得点王になったFWのオッツェことフランク・オルデネビッツもすごかったが、同じドイツ人のリティは全然飲めなかった。だから、あの頃のジェフは試合や練習が終わると、私や阪倉裕二、影山雅永といった選手たちがオルデネビッツとともに飲みに出かけ、リティがホテルのレストランでコーヒーを飲みながら、若い選手たちと一緒にTVゲームで遊んでいた。

オッツェはいつも「子ども(若手)はリティに任せておけばいいのさ」と笑っていたが、ふたりは仲が悪いわけではなかった。彼はリティがいたからこそジェフに入団でき、リティがいなければ94年のJリーグ得点王もなかったはずだ。

当時、対戦したFWで私が最も衝撃を受けたひとりが、ラモン・ディアスだ。忘れられないのがゴール前でスライディングタックルをしたけどボールに当たらず、シュートが私の股間をグラウンダーで転がっていき、サイドネットにゴールを決められたシーン。

何度もビデオで見返したが、彼はDFがスライディングタックルしてくるのを待っていて、DFが仕掛けてきたタイミングで角度を変えてシュート。あんなにシュートの駆け引きがうまい選手は後にも先にも見たことがない。

今や日本の選手がDFの股間を抜く光景は珍しくないが、あの頃は外国人選手が見せるそうしたプレーが衝撃的で、それを真似することで日本サッカーのレベル向上に繋がったことは間違いない。

今回のポドルスキの加入も刺激になるはずだし、日本人にもディアスのようなストライカーがたくさん生まれてきてほしいよね。

【名手ラモン・ディアスのテクニック】 星4つ ☆☆☆☆

(構成/津金壱郎 撮影/山本雷太)