「小林麻央さんの生き方は日本人の心を熱くしました。多くの人が死生観を考え直すきっかけになったと思います」と語る鎌田東二氏

スピリチュアル界で話題になっている本がある。それが本書『日本人は死んだらどこへ行くのか』

『古事記』や『新古今和歌集』から『シン・ゴジラ』や『君の名は。』、さらには江戸時代の国学者である本居宣長(もとおり・のりなが)や平田篤胤(あつたね)まで古今東西の作品や人物を掘り下げ、日本人の死生観について考えた作品だ。

著者は京都大学名誉教授、上智大学グリーフケア研究所特任教授の鎌田東二氏。宗教学者、哲学者、神道ソングライターとして精力的に活動する氏が、生き方を指南する!

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―結論からお聞きしたいのですが、日本人は死んだらどこへ行くのでしょうか?

鎌田 そもそもこの本は「死んだらどこへ行くのか、現代日本人に考えてもらいたい」と思って書いたんです。もちろん私なりの考えはありますが、終活の仕方がいろいろあるように、死後の魂の行方をどう考えるかも人それぞれでいいと思います。

―なるほど。

鎌田 ヒントになることは書かせていただきました。日本人がこの問題をどう考えてきたかをたどることで見えてくるものがあるはずです。例えば、もうすぐ新盆ですが、お盆の時期には先祖の魂が家族の元に戻ってきて、共に過ごして、また帰っていくと考えられています。日本人にとって、あの世とこの世の境界はあいまいなんですよ。

―ご先祖さまがあの世から見守ってくれている、という感覚が日本人にはありますよね。ただ、本当にそういうことを信じているかというと…。

鎌田 現在はそういう死生観だけで済まされませんよね。1995年の阪神・淡路大震災では心理学や精神分析学を基にした被災者の「心のケア」が注目されましたが、2011年の東日本大震災では「心のケア」で太刀打ちできないほど死者や行方不明者が出てしまった。

ですから、死者の弔いを考える「魂のケア」が必要になりました。どう弔うかは、死生観の問題です。

―突然、近親者や親しい人が亡くなった悲しみをどう癒やすかということですね。

鎌田 阪神・淡路大震災と東日本大震災の間のわずか16年で、日本人の死生観は大きく変わりました。葬式も以前は自宅でしたが、斎場が当たり前になった。血縁・地縁が薄くなって「無縁社会」が一般化しています。少子高齢化、老老介護、孤独死も増え続けている。そういう流れが加速する今、日本人は改めて死んだらどこへ行くのかに思い巡らせ、死生観を考え直すべきです。

小林麻央さんの言葉は「愛の言霊」

―先日、小林麻央(まお)さんが壮絶な闘病の末、34歳の若さで亡くなったことで、日本人は死を身近に感じたと思います。

鎌田 小林麻央さんはカトリック系の上智大学、神道系の國學院高校で学んでいます。彼女の死生観を考えると、思春期のこの7年間が大きかったと思うんです。最期に(市川)海老蔵さんに「愛している」と言ったそうですが、その「愛」とはなんだったのか?

一般的な恋愛感情の「愛」に加え、彼女の学んだカトリックの「人間愛」も感じます。死んでいくときに、自分の愛する人に向かって「愛している」と言うのは、ある意味で最高の瞬間だと思うんです。

その言葉を受け取る側にとっては、一生の宝物として残っていく。言葉に内在する霊力に「言霊」というものがあります。サザンオールスターズに『愛の言霊』という曲がありますが、彼女の言葉はまさに「愛の言霊」ですね。

―ブログにもそういう言葉があふれていたと思います。

鎌田 ブログを通して、彼女は前向きな闘病をつづっていました。そういうところは、神道の「むすび」観や江戸時代の国学者・神道家である平田篤胤とも通じます。平田篤胤は市川團十郎家の家庭教師をしたともいわれていますが、死後の魂の行方を突き詰めて考え、きちんとした死生観を持ち、「安心をつくるべき」と主張していました。

彼女のブログからは「安心をつくる」という姿勢が感じられますからね。また、若くして闘病なさる場合は、きちんとした死生観がなければ、耐えられないとも思います。

―本書ではSNSでの「縁の結び直し」が紹介されています。

鎌田 死に際して、自分の人生の物語を聞いてくれる人がいることは大きい。昔なら、血縁、地縁があった人たちに聞いてもらっていましたが、今はSNSを通じて誰とでも交流できます。また、読者がコメントでフィードバックしてくれることも「安心」につながり、麻央さんも生きる支えになったと思います。そういう意味で、SNSやブログなどは注目すべきツールなんです。

さらに、ブログは多くの方々に感動を与えました。亡くなることは悲しい出来事ですが、彼女の生き方、死に方が日本人の心を熱くしました。このことは、多くの人が死生観を考え直すきっかけになっていくと思います。

「死」を「史」にして「詩」とすれば…

―本書では、「死」を「史」にして「詩」とすれば、死を乗り越えていけるとも書かれています。

鎌田 まず、死生観も含めて人生のふり返りが「史」になります。だけど、ふり返るだけでは収まらなくて、物語が必要になってくる。物語は「詩」です。ですから、「死」を前にして「史」がふり返られて、「詩」として言霊になったら…本人も周りも救われる気持ちになる。

また、死で力を奪われるのではなく、力を得ることもできます。平田篤胤は37歳で31歳の愛妻を亡くします。それだけでなく、長男と次男も亡くしている。しかし、愛する妻と子供の死が、彼のその後の生き方につながったんです。人の死は悲しいことですが、それ以上に、その後の人生の支えとなる何かを残してくれることもあるんです。

―死をそうやってとらえてくれたら、亡くなられた人も報われますよね。

鎌田 今、宗教界では新しい動きがあります。例えば、宗教を通して「魂のケア」をしていく臨床宗教師という仕事が脚光を浴びています。信仰心を大切にしながら、宗教宗派にとらわれず、公共空間で悲しみに向き合い寄り添おうという宗教家です。

2012年から東北大学で臨床宗教師の養成講座を始めていますが、国立大学法人で実践宗教に関わる講座が行なわれるのは極めて異例のこと。東日本大震災が起こり、その土地で今なお苦しんでいる人がいるからこそ、新たな取り組みが生まれたのです。

(取材・文/羽柴重文 撮影/山上徳幸)

●鎌田東二(かまた・とうじ)1951年生まれ、徳島県出身。宗教学者、哲学者。神職の資格を持ち、“神道ソングライター”として作曲活動も行なっている。先祖は平安末期の武将・源義朝の家臣、鎌田政清。國學院大學文学部哲学科卒業、同大学院神道学専攻博士課程単位取得満期退学、岡山大学大学院医歯学総合研究科社会環境生命科学専攻単位取得退学、博士(文学/筑波大学)。現在、上智大学グリーフケア研究所特任教授。放送大学客員教授。京都大学名誉教授。新刊『言霊の思想』(青土社)ほか、著書多数

■『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書 860円+税)「死んだらどこへ行くのか」「自分が死んだら、どうなるのか」について、考えたことがない人はいないだろう。死について考えることは苦痛であり、不安にもなる。しかも、宗教などを信仰しない限り、はっきりとした結論は出てこない。本書では、今まで日本人が死をどのように考えてきたか、死後の魂の行方についてどう考えてきたかを豊富な具体例を挙げて考察。死を怖れずに、明日を生きていくための自分なりの死生観が見えてくる!