軍用トラックに乗り込むフィリピン国軍兵たち

日本人にとっても身近な東南アジアの島国フィリピンで、中東の過激派組織「イスラム国(IS)」に忠誠を誓うテロリストたちが市民を人質にとり、国軍と激戦を繰り広げている。

中東での拠点を失いつつあるISは、アジアへ活路を見出しているのだろうか? 戒厳令が敷かれたミンダナオ島の戦地に初めて入った日本人が、その真相を探る―。

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「ダダダダダダダダ」

1kmほど先に見える市街地のほうから機関銃の連射音が聞こえる。銃弾が「ヒュン、ヒュン」と空気を切り裂き、「バーン」という迫撃砲による爆音も轟(とどろ)く。その方向を望遠レンズでのぞいてみると、市街地に建ち並ぶ家々や建物は、屋根が穴だらけになって破壊され、無残な姿をさらけ出していた。唯一、人質がいるとされるモスクだけが空爆や砲弾の直撃を免れ、原形をとどめていた。

7月12日午前11時。私はフィリピン南部ミンダナオ島マラウィの交戦現場付近に入り、フィリピンの報道陣とともに、民家の屋上から固唾(かたず)をのんでこの光景を見守っていた。防弾チョッキが重く肩にのし掛かり、額の汗がヘルメットににじむ。激しい銃撃戦が、朝からもうかれこれ2時間以上も続いていた。

ISに忠誠を誓う武装集団「マウテグループ」がミンダナオ島でもイスラム色が強いといわれるマラウィの市街地を占拠し、フィリピン国軍と交戦を始めた5月23日から、すでに2ヵ月近くが経過していた。この日は“本家IS”の最大拠点、イラク北部のモスルがイラク国軍らによって制圧されてからわずか3日目。しかし、ここではそんな遠い国のことなどまるで関係ないかのように、激戦が繰り広げられている。

犠牲者は12日時点で500人を超え、このうち過激派の戦闘員は389人、国軍兵士は90人、民間人は39人。過激派勢力は残り100人を割ったというが、神父を含むキリスト教徒ら一般市民を「人間の盾」として人質にし、今もモスクに立てこもっているとみられている。

マラウィから他地域へ避難した人々は30万人近くに上り、街全体がゴーストタウンと化した。二階建ての建物に入ると、部屋の壁や天井には無数の弾痕があり、粉々に打ち砕かれた窓ガラスの破片が床に散らばっていた。

晴れ渡った上空には、いつの間にか軍用ヘリコプターが赤いライトを点滅させながら飛んでいる。しばらく旋回を続けた後、ヘリの前後から煙が噴き出した。そして、

「ズキューン!!」

耳をつんざく鋭い音が響いた。ミサイルが発射されたようだが、市街地のほうに目をやっても、どこに落下したのかわからない。しばらくすると、白い煙が立ち上る。

ジャーナリストが流れ弾に当たったというニュースを目にした

私は一時帰国していた日本からマラウィへ発つ前、同じ現場を取材中のオーストラリア人ジャーナリストが流れ弾に当たったというニュースを目にした。顎の後ろに銃弾が刺さっているX線写真がネットにアップされていたのだ。

「ここで彼は被弾したんだよ。ちょうど防弾チョッキを脱いだ時だったらしい」

同行のフィリピン人記者がそう語り、モスクの前を指さした。われわれの取材拠点は、銃撃戦が起きている市街地から2kmほど離れた州庁舎だが、その敷地内に建つモスクの前で被弾したという。

庁舎での朝食中には、こんなことも注意された。

「窓際に座らないように!」

記者が指さす窓の外の壁には、銃弾で撃ち抜かれた穴が残っていた。つまり、われわれはいつ流れ弾に襲われてもおかしくないということだ。

正直、こんな危険な戦場に向かうのは足がすくむような思いだった。ただそれ以上に、この国に住んで13年目になる私は、まれに見る激戦の現場で何が起きているのか自分の目で確かめたかった。

◆『週刊プレイボーイ』32号(7月24日発売)「不気味に根を張る『アジアのIS』のリアル」では、IS派テロ組織に所属しているという日本人の情報など現地レポートを6Pにわたり掲載

(取材・撮影・文/水谷竹秀)