ついに施行された共謀罪。権力による恣意的な運用を阻止するためには「法による歯止めが必要」と語る金惠京氏(撮影/細野晋司)

7月11日、ついに改正組織犯罪処罰法――いわゆる「共謀罪」が施行された。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は日本人の悲しき性(さが)なのか、国会審議であれほど紛糾したのに、今ではこの法律に関する議論はあまり目にしなくなった。

そこで「週プレ外国人記者クラブ」第86回は、昨年9月のインタビューに続き、韓国・ソウル出身の国際法学者、金惠京(キム・ヘギョン)氏に再び話を聞いた。この法律が戦前の悪法、治安維持法のようにならないためには今、何が必要なのか――。

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─7月11日、共謀罪がついに施行されました。法案可決に至った国会での審議はとても十分とは言えませんでした。この問題の議論で特に欠けていたことは?

 最大の問題点は、選挙によって信任された国民の代表である国会議員が「国民の声」を聞いていないことだったと思います。日本国憲法41条で、国会は「国の唯一の立法機関」と定められています。法案について議論し、議論を尽くした上で採択していくのが国会議員です。つまり、市民生活の基本を形づくる立法の場に国民が代弁者を送り込んでいる構図が本来あるわけです。しかし、現在の日本の国会議員には、ある傾向が顕著に感じられます。

それは、選挙での勝利を国民からの「全権委任」と捉える傾向です。選挙結果を尊重するのは民主政治の基本ですが、過去に政府与党が国会で多数を占めた中でもたびたび廃案となった共謀罪は、直近の国政選挙で争点になっていませんでした。また、この法案の審議から可決に至る過程ではデモなどの形で多くの国民が不満を表明していました。そういった「国民の声」に耳を傾ける姿勢が、国会では明らかに欠けていたと思います。

─法案審議の過程では、金田勝年法務大臣の不安定な答弁にも注目が集まりました。日本では法務大臣のポストは他の閣僚に比べて軽く見られる傾向があります。死刑が確定している受刑者に対して刑執行の書類に署名する職務があるため敬遠されがちとも言われていますが…。例えば、米国で司法長官といえば国務長官・国防長官と並び、大統領に次ぐ3大要職と言っていいでしょう。韓国ではどうですか?

 韓国でも米国と同じように司法を担当する法務部長官は非常に重要なポストです。直近4代の法務部長官を見てみると、金賢雄(キム・ヒョンウン)、李昌宰(イ・チャンジェ)、李今魯(イ・グムロ)氏はいずれも司法試験の合格者で、検事を長く務めていました。現職の朴相基(パク・サンギ)氏もドイツで法学博士を取得した延世大学教授であり、法務部長官は「法律の専門家が務める職」という認識があります。

韓国や米国、他の先進諸国と比べて、日本では「法務は官僚の仕事」と考えられる傾向が強いのではないでしょうか。しかし、一定の法律知識がなければ官僚からの助言も理解できません。そういった問題点が共謀罪の審議過程で見られた金田法務大臣の不安定な答弁の背景にあったと考えられます。

「戦前への反省」という視点が大きく損なわれた

─今回の法案成立に向けて、政府は「TOC条約(国連組織犯罪防止条約)の締結に必要だから」という説明をしていました。本当に必要だったのでしょうか?

 確かに、TOCの締結には共謀罪あるいは参加罪の設置が条件とされていて(同条約5条)、G7の中でそのような法律を持っていないのは日本だけでした。しかし、過去にも国際条約を締結する際に日本は、自国の状況を理由に「留保」をつけて締結したケースがあります。そうしたケースと照らし合わせれば、今回も仮に共謀罪を立法しなくてもTOCの締結は可能だったという見方もできます。

そして何より、共謀罪成立によってこれまで日本の法文化の根幹にあった「戦前への反省」という視点が大きく損なわれたことは憂慮すべき問題です。市民同士による相互監視が当然視され、政府への批判が抑えられる中で戦争を招いてしまった悲劇を繰り返さないことが日本の法システムの根幹にありました。その念頭にあったのが、1条に参加罪を設け、捜査機関に恣意的な運用を許した治安維持法でした。

共謀罪にはテロという「非日常」なものへの対策を講じた結果として、市民の「日常」が犯される危険性があります。多くのテロは日常に潜む差別や偏見が原因となっています。テロ対策の名の下に、日常の中で法倫理、人権、民主主義といった要素が侵害されていくことは、テロ発生の危険を逆に高めていると見ることができるのです。

―東京都議選の応援演説で「安倍やめろ」の横断幕を掲げる人たちに対し、安倍首相は「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い放ちました。「こんな人たち」も取締りの対象になりますか?

 いわゆる「こんな人たち」のひとりひとりに対して行なわれるのは全体的な情報収集程度ですが、グループの中心人物に対しては詳細な監視が行なわれる可能性が高いでしょう。共謀罪を立証するためには「盗聴」「盗撮」「密告」といった手法を取らなければなりませんが、今回の法改正ではそれらに公的なお墨付きが与えられました。海外でも、共謀罪が設けられているイギリスの情報機関がジャーナリストのメールやアムネスティ・インターナショナルの活動を監視していたとされています。

また、読売新聞が前川喜平前文部科学事務次官の「出会い系バー通い報道」に協力したように、捜査で得られた中心人物の個人の出自、家族関係や友人関係などを警察が報道機関などにリークする可能性も高いでしょう。

主権者である国民が共謀罪の運用を監視するべき

―共謀罪を戦前の治安維持法のような悪法にしないために、今後どういった対応が必要になりますか?

 法による歯止めを確保することです。まず、TOCの1条にある「一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し、及びこれと戦うための協力を促進すること」という本来の目的に立ち返って考えることが大切で、そのためには、①法規制、②法の運用をチェックする機関の設置、③一定期間後の情報公開などが必要になります。

①の法規制は大変重要で、金田法務大臣の答弁が二転三転した共謀罪の対象となる組織を明確にすることは捜査機関による法律の恣意的運用を防止する上で必要不可欠と言えるでしょう。

②のチェック機関について言うと、国連のプライバシー権に関する特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏も、今回の法改正において独立した第三者機関の設置が想定されていない点について懸念を表明しています。

③の情報公開については、民主的統治の前提と言っていいでしょう。日本の場合には2014年に施行された特定秘密保護法がこの情報公開を実現する上で大きなネックになることが予想されます。しかし、権力による情報の秘匿は民主主義の危機につながることを認識すべきです。

情報機関や警察が何をしているのか、どこまでの捜査をしているのか、という部分はその特性上、すべてを明らかにすることはできません。とはいえ、捜査の基準や範囲、あるいは手法が明らかにされなければ、主権者である国民は共謀罪がどのように運用されているのかがわかりません。加えて、政府の情報に虚偽が含まれていれば、国民は虚偽に基づいた判断を下さざるを得ないのです。

これは日本に限ったことではないですが、テロ対策の名の下で情報機関が国民全体をカバーする情報収集が可能になった現代社会において情報公開は一層重要になってきています。

─韓国の民主化は1987年に実現しましたが、それに至る過程では、「光州事件」(1980年)などで権力が暴走し多くの人命が失われました。だからこそ、権力の集中に対して韓国の人たちは強い警戒感を抱いていると聞きます。

 韓国では「国民が権力の暴走を止める」という意識がとても強いと思います。光州事件も当初、国民に実態は伝えられていませんでした。しかし、市民の圧倒的な声の中で1987年に民主化が達成され、そこで選出された国会議員によって事件から8年が経過しながらも関係者への追及がなされ、真実が明らかになったのです。各種の政権内の腐敗が明らかになった朴槿恵前大統領を罷免に追い込んだのも、やはり市民の声でした。

私は日本大学で教鞭を取っていますが、共謀罪について学生の関心も国会での議論が激しかった時期に比べて、徐々に低下してきているのを感じます。一般の皆さんの関心も同様です。しかし、国会での議論が不十分で、共謀罪の運用に問題があることが多くの人に共有されているのですから、チェックは加え続けなければなりません。

法改正の道もあることを考えれば、常に主権者である国民ひとりひとりが運用を監視し、問題があれば声を上げ、国会の場でそれを正すことのできる政治家を選ぶように努めていくことが大事だと思います。

(取材・文/田中茂朗)

●金惠京(キム・ヘギョン)国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教を経て、2015年から日本大学総合科学研究所准教授。著書に『涙と花札-韓流と日流のあいだで』(新潮社)『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)などがある