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Jリーグが始まって25年──戦友、ラモス瑠偉の情熱を超える選手をいまだ知らない

[2017年08月07日]

日本サッカーをともに盛り上げてきたラモス瑠偉について語った宮澤ミシェル氏

サッカー解説者・宮澤ミシェル氏の連載コラム『フットボールグルマン』第7回。

現役時代、Jリーグ創設期にジェフ市原(現在のジェフ千葉)でプレー、日本代表に招集されるなど、日本サッカーの発展をつぶさに見てきた生き証人がこれまで経験したこと、現地で取材してきたインパクト大のエピソードを踏まえ、独自視点でサッカーシーンを語る――。

今回は、現役時代日本代表としても活躍し、日本サッカー界をけん引し続けているラモス瑠偉との長年にわたる交流について

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Jリーグが始まって25年。日本人選手たちのサッカー技術は格段に高まり、80年代までは夢の舞台だったW杯にも1998年のフランス大会で初出場してから5大会連続で出場を続けている。

多くのサッカー人の念願だった日本サッカーのプロ化によって、国内のサッカーレベルは飛躍的に向上したが、一方で大切なものを置き忘れてしまったのではと感じることがある。

それが、勝負に対してこだわる“熱さ”だ。私の現役時代はそれをピッチで表現できる選手は数多くいたが、代表格といえば間違いなくラモス瑠偉である。

ラモスは1957年生まれだから、年齢は私よりも6歳上になる。彼は1977年に19歳で来日し、現在の東京ヴェルディの前身である読売クラブに入団した。

まだJリーグが生まれる前の“日本リーグ”と言われた時代、ブラジルでの実績のない20歳そこそこの選手は、人一倍の負けん気で瞬く間に読売クラブの中心選手になっていった。

日本リーグからJリーグへと移行していく中でもラモスは、日本でプレーした他のどのブラジル人選手よりもブラジルでの知名度や実績は乏しかったが、サッカーに対する自負心は誰よりも高く、それに相応するだけの努力をしていた。

1989年に日本国籍を取得し、90年からは日本代表の10番を背負って中核を担い、93年の“ドーハの悲劇”のW杯予選では36歳ながらも猛暑の中、懸命に走りボールを追い続けた。だからこそ、ラモスは日本でスター選手としての地位を築くことができたのだ。

私は高校時代にサッカー部の先生の勧めで、読売クラブで練習していたこともあって、その頃からラモスのことを知っている。付き合いはかれこれ40年以上にもなる。

印象に強烈に残っているのは、私がジェフ市原に移籍した年に北海道の厚別で行われたヴェルディ川崎(現在の東京ヴェルディ)とのプレシーズンマッチのことだ。


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