ブームに火つけ役、「イカ天瀬戸内れもん味」の誕生秘話とは?

このところ、レモン風味の食品が大ブームだ。

それもただのレモンじゃない。ジュースにお茶にそうめん、スナック菓子、即席焼きそば、たこ焼き、さらにはシュークリームまで、「瀬戸内レモン味」と名づけられた商品が続々と登場、飛ぶように売れているという。

爽やかなレモンの酸味は今のシーズンにぴったりだが、この「瀬戸内レモンブーム」の火つけ役といわれているのが、まるか食品(広島県尾道市)の「イカ天瀬戸内れもん味」だ。「イカ天瀬戸内れもん味」が大ヒット商品に大化けするまでには、いくつかの幸運があったという。前編に続き、まるか食品の松枝修平企画課長に聞いた。

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【幸運2】 ネーミングの挫折当初、このイカ天は「広島れもん味」と命名されるはずだった。あまり知られていないが、広島はレモンの生産量日本一。そのレモンがふんだんに使われている上、まるか食品も広島県の企業。「広島れもん味」は、ごくごく自然なネーミングだろう。

「ところが、調味料メーカーからストップがかかったんです。調味料には広島、愛媛両県で採れたレモンが使われているため、『広島れもん味』では偽装表示になってしまう。そこで泣く泣く『瀬戸内れもん味』としたんです」

ところが、これが後の大ヒットにつながるのだからビジネスはわからない。

「この『瀬戸内れもん味』、地元の人が行くスーパーなどではほとんど見向きもされなかったのに、駅のキヨスクや観光地のお土産店でよく売れた。つまり、観光客の方々が、土産物として興味を持ってくれたんです。だったら、お土産の定番商品としてリニューアルし、生産を続けようということになりました」

そこはやはり「瀬戸内れもん味」というネーミングの効果が大きかったようだ。

「単なる『れもん味』では全然、売れなかったでしょう。『広島れもん味』でも、ここまでは売れなかったと思います。ひとつの町の名前がつくと、どうしても商品に対するイメージが狭まりますからね。その点、『瀬戸内』だと、この地域のあらゆるいいものを取り込んだイメージが大きく膨らむ。『地中海レモン』がいい例だと思いますよ(笑)」

【幸運3】若手女性スタッフの彗眼生産継続が決まったとはいえ、「イカ天瀬戸内れもん味」の生産量はごく少量。それもあって定番化にあたっての商品リニューアルはひとりの若い女性社員に託されたという。

「会社が干渉しなかったのが、かえってよかったみたいです(笑)。以前のパッケージは、明朝体に黒字の商品名でかなりおやじくさかったんですが、リニューアル後はパステルカラーを使い、女性が手に取りやすいように大変身。一度に食べきらなくてもいいように密閉チャックもつけた。その結果、女性客の評判がよくなり、瀬戸内観光の思い出にまとめ買いされるケースも多くなったんです」

マツコ効果で工場がパンク

【幸運4】マツコ効果で工場がパンクまるか食品の販売担当者が異変に気づいたのはリニューアル販売スタートから3ヵ月後の14年春のこと。全国のスーパーなどから、異様な量の注文が連日舞い込むようになったのだ。

「『瀬戸内れもん味』というネーミングにしたこともあって、『せとうち観光推進機構』から、ブランド商品の認定を受けました。この団体に大手の問屋が数社加盟していて、そこの流通ルートで全国販売できるようになった途端、びっくりするほどの注文が入るようになったんです」

14年夏には月産10万袋を突破。「イカ天瀬戸内れもん味」はまるか食品のトップ商品となった。

だが、そのフィーバーはあくまで序の口。まるか食品がメガトン級のうれしいショックに揺れたのは15年6月のことだった。

「忘れもしません。6月に放映された『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日)で、マツコ・デラックスさんと有吉弘行さんが『瀬戸内れもん味』をかじりながら、『うまいうまい』と絶賛してくださった。その直後、殺到する注文をさばききれず、弊社の工場はパンクしました(苦笑)」

その後の生産ライン増強、そして瀬戸内レモンブームの到来は冒頭で触れた通りだ。松枝課長がこう顔をほころばす。

「社内には一時的なブームに終わるとの声もあったんですが、発売から3年半過ぎても収まるどころか、ますます販売量が伸びている。まさに瀬戸内レモンのおかげです。広島にはカープやお好み焼き以外にも名物がある。レモンもそのひとつで、『イカ天瀬戸内れもん味』以外にもさまざまなレモン商品があります。そのレモン商品を求めて、たくさんの観光客が広島に来てくださるとうれしいですね」

最近では瀬戸内レモンを配合したクリームやボディローションなど、コスメ商品も登場している。この瀬戸内レモンブーム、当分落ち着きそうにない。

広島県に本社のある、まるか食品の松枝企画課長。右手に持つ初代のパッケージは「いか天瀬戸内レモン風味」と、表記も微妙に今とは違った」

(取材/ボールルーム 撮影/村上庄吾 日野和明)