2月に引退をした箱根登山鉄道

箱根の山を60年走り続けた、箱根登山鉄道の110号車両が引退した。

引退後、スクラップの可能性もあった電車を、「ひとりの鉄オタが買い取った」という情報を入手した週刊プレイボーイ本誌は、彼の元へ輸送されるXデーをキャッチ。追跡取材を敢行した。

■50cmの隙間に作業員が入り込んで作業

5月9日。箱根登山鉄道の終点、強羅(ごうら)駅の脇にはクレーン車が2台とトレーラー2台、そして線路には今年2月に引退した110号車両が静かに停(と)まっていた。時刻は午後10時。間違いなく今夜、この電車を運び出すのだろう。

今年3月、本誌は以前、誌面でも紹介した本物の鉄道車両をコレクションする「ホンモノ鉄」の医師が、110号車両を購入したという情報をつかんでいた。そこで本誌は、その医師や輸送を担当するアチハ株式会社に許可をいただき、今回の陸送の模様を極秘かつ独占で取材する計画を立てたのだ。ところが周囲を見回すと、カメラを構えた鉄オタの姿がなぜかチラホラ。彼らはいったいどこから情報を入手したのだろうか?

しばらく現場の様子を眺めていたが、作業員たちは現れない。今回の輸送を担当するアチハ株式会社の前野治氏にあらためて確認すると「作業は電車の運行が終わった後、架線(線路の上にある電線)の電気を止めてから行なう」とのこと。午後11時を過ぎると、現場には作業員たちが続々と到着。総勢30名以上のスタッフが集まり、小雨が降る悪条件のなか、深夜0時30分に作業が開始された。

前野氏によると、この日は「電車を少し持ち上げて、架線のない場所へとずらし、トレーラーで運び出せる準備をする」という。え、それだけ? 運び出しはいつやるの? 素人目には、電車をクレーン車で持ち上げれば簡単にできる作業に思えるが、架線を傷つけずに行なうことが、とても大変だそうだ。

まずは、車輪がある「台車」と呼ばれる部分に油圧ジャッキを入れ、約33tもの重量がある電車を、ゆっくり慎重に50cmほど持ち上げる。

その後、車両を横に平行にずらしていくための鉄板を挿入していく。長さ20m、幅50cmほどの細長い鉄板を電車の台車の下に入れる。台車は電車の前後2ヵ所にあるので、線路と鉄板の位置関係は「#」の記号のような感じ。

わずかに持ち上がった電車の隙間に作業員が入ってこの作業が行なわれる。次第に雨脚が強まり、標高541mの強羅駅は、5月だというのに、吐く息が白くなる寒さ。そんななか、長い鉄板が少しずつ電車の下に入っていく。

深夜1時50分。鉄板を入れ終えると、その上に、コロのついたパーツを置き、油圧ジャッキの圧力を下げる。

鉄板の上にコロのついたパーツ、その上に電車がのっかるという形ができたのは、作業開始から2時間以上たった2時10分だった。

2時15分。「せーの!」の声で作業員たちが電車を引っ張る。電車は徐々に線路を離れ、3時7分、ようやくクレーンがスタンバイする場所まで運び出された。

3時25分。クレーンによる車両の持ち上げ作業を開始。持ち上げの最中に鉄道用の台車を外し、代わってゴムタイヤの台車が取りつけられた電車は、トレーラーに接続され輸送準備が完了。取り外された鉄道用の台車も、もう1台のトレーラーに載せられて、4時35分、朝イチの電車が動きだす前にこの日の作業が終了した。

AM1:35 左下に見える細長い板が電車を横にずらすための鉄板。左から右へとスムーズにずらせるよう、傾斜をつけている

AM3:25 電車を持ち上げるための専用の枠をはめ込む。ここまでくれば作業も終盤だ

AM4:20 トレーラーに連結して、出発を待つ

強羅駅を出発した陸送の目指す場所は!?

■東名高速に乗る! 予想が裏目に……

翌5月10日。強羅駅は前日の寒さがウソのように過ごしやすい快晴。

昨夜の作業の様子を鉄オタたちがネットなどで伝えたためか、前日以上の人だかり。陸送の瞬間を狙う三脚がズラリと並んでいる。

午後11時10分。トレーラーは、カメラが並ぶ前を横切り、ついに強羅駅を出発した。

前野氏によると、この日の目的地は「都内」。今日も埼玉には行かないのか? 細かいルートについては「安全上の問題」とのことで聞き出せなかったが、近くを走る国道138号線に出て、まずは御殿場を目指すのだろう。

出発と同時にトレーラーを追跡開始。だが、同じように追いかける鉄オタの多いこと。われら取材班と電車との間に追っかけのクルマが6台も入り、撮影ができない。

電車を積んだトレーラーと鉄オタたちの大行列は、箱根の山道を時速20キロ程度でチンタラ進み、1時2分、静岡県御殿場市に入った。

1時35分、東名御殿場インター手前のコンビニで休憩を取るトレーラー。車列の後ろで撮影ができなかった取材班は、ここで勝負に出た。

「ここで休憩するということは、東名に入るはずだ!」

先回りしてインターの入り口付近でスタンバイ。トレーラーを待ち構えた。だが、いくら待ってもやって来ない。

全然来ないので、追跡している人のツイートを見ると、

「高速に入らず、国道246号を東京方面へ向かいます」

なんだって~! 御殿場からは道幅が広く、走りやすい。トレーラーのスピードが時速50キロほどに上がったことも知り、東名で先回り。御殿場からやって来る電車を待つ。午前3時。1時間半ぶりにトレーラーと再会。よかった~。ここからは、どの道に入るかわからないため、電車の後をしっかり追跡。

この時間になると、翌日仕事があるからなのか、追跡する鉄オタのクルマが次々と離脱。最終的には3、4台ほどに減っていた。

国道246号を渋谷方面に走り続けたトレーラーは、国道16号との交差点を右折、横浜方面に入り、保土ヶ谷バイパス経由で横浜の中心部へ。横浜駅前から国道15号を品川方面に。箱根の山の中で60年間走り続けた電車が、街のど真ん中を走り、環七通りから湾岸エリアへ。海の上を跨ぐ東京ゲートブリッジを登山電車が通り、午前6時27分、新木場の手前3km地点の路上に停車した。前野氏に確認したところ「きょうの移動はここまでです。深夜0時までここで停まって、再び移動します」とのことだった。

PM11:10 2日目の作業は、架線の電流を止める作業がないので、トレーラーは終電車が強羅駅に到着する前に出発。箱根の山道を自転車と同じ程度のスピードで進む

早朝5時、東京と横浜を結ぶ幹線道路を東京方面に北上。道路を走る姿を見て、自家用車のドライバーや、新聞配達員、朝の散歩をする人たちがスマホを向けて、青い電車を撮影していた

AM5:57

引退した箱根登山鉄道を“ホンモノ鉄”が引き取り! 箱根~埼玉285Km陸送の旅【後編】

(取材・文/渡辺雅史[リーゼント] 撮影/田中一矢)