今の日本は「みんなが他者を疑い、批判し、そして袋叩きにすることが自分の得になるというようなレジームに変わってしまった」と語る井手英策教授

10月22日に投開票される衆院選の公約として、安倍晋三首相は突如、「消費税増税分の使途を、国の借金返済から教育無償化に変更する」と表明した。

しかし、消費税増税による所得再分配は元々、民進党の看板政策だ。同党の前原誠司代表は「トンビが油揚げをかっさらう争点隠し」と批判しながらも、「ようやく我々の考え方に自民党も理解を示したか、と歓迎したい」と臨戦態勢を示している。

民進党のこの政策のブレーンを務める、慶応義塾大学経済学部教授の井手英策(いで・えいさく)氏も同じ思いだ。選挙では議席予測ばかりが注目を集めがちだが、本来、真摯に議論されるべきは政策であるはず。そこで、井手氏に話を聞いた。彼が思い描く「日本の未来のグランドデザイン」とは――。

インタビュー前編では、「困っている人がさらに困っている人を叩く」という、社会の分断の構造を解説していただいた。では、その分断を食い止めるためには何が必要なのか――。

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井手 もうひとつの問題は、日本社会の「システム」です。日本はこれまで「自己責任」を前提に、低い税負担でやってきましたから、政府規模が小さい「小さな政府」なんです。正確に言えば、財政だけ見れば平均的な大きさですが、それは高齢化が極端に進んでお年寄り向けの社会保障が水ぶくれしたから。働く人に占める公務員の割合も非常に低い。そして、小さな政府で様々な人の利益を満たすことはできませんから、結局、全部個別の「誰かの利益」の寄せ集めになってしまう。

もう少しわかりやすく言うと、例えばヨーロッパを見てください。イギリスだったら医療費はみんなタダ、大学はヨーロッパでは大体タダ、介護も子育てもタダのように安い。そうすると「みんなが得」をしますよね。これは政府規模の大きい「大きな政府」だから可能なことです。

でも、日本は小さな政府ですから、例えば、大学だったら「貧しい家庭の子供だけタダにしよう」とか、保育園だったら「共稼ぎ家庭の子供だけ入れてあげよう」とか、あるいは介護保険だったら「65歳以上の人だけ受けられる」という風に全部、個別利害の寄せ集めになっているわけです。

そこにもってきて、財政危機です。1995年に政府が「財政危機宣言」を出してから、既に20年以上、財政危機が続いていることになります。そうなると「緊縮レジーム」になりますから、「歳出を削ろう」となる。そうすると、誰から削るかの闘争が始まる。当然、自分は削ってほしくないから、他の誰かのお財布を削ろうという闘争が始まります。

─比較的、税率の低い「小さな政府」である限り、政府規模、つまり「パイの大きさ」が限られているために一部にしか利益を還元できず、その奪い合いになってしまう…と。

井手 もちろん、財政状態がここまで悪化する前なら、あるいは安定した経済成長が期待できた頃は、国は借金してみんなにバラまけたんです。でも借金できなくなった瞬間に、どこから削るかの逆回転が始まるわけです。そうすると、みんなが他者を疑い、批判し、そして袋叩きにすることが自分の得になるというようなレジームに変わってしまった。これに先ほどお話した、日本人のメンタリティの問題が重なって、特に弱者や少数派をバッシングすることが合理的な状況を作っている。

でも、みんな気付いていないけれど、実は「貯蓄と税は同じコインの裏表」なんですよ。例えば、医療費で考えると「高い税金を払う代わりにタダになる」ことと、「税金は安い代わりに、貯金して自分で払う」ことの違いでしょう。ですから、租税負担率が上がれば、貯蓄率は下がる。貯蓄率が高まれば、税率は下がる…この関係です。

日本人はこれまで「税は取られるもの」「貯蓄は資産」と言ってきたけれど、今や日本人の3割が貯蓄ゼロ、多くの人が余裕を失いながら歯を食いしばって頑張っているのに、誰も助けてくれない…。つまり、今までのような「一部の金持ちから取って、一部の困っている人たちを救う」という富の再分配のモデルでは間に合わない状況になっている。だったら、いっそのことみんなで負担しあってヨーロッパのように「暮らしを支えあう社会」を目指しませんかというのが、僕の提案です。

─つまり、増税してもいいから、一部ではなく「みんな」が富の再分配のメリットを享受できる規模まで、財政規模を大きくすればいい…と。

井手 社会には必ず、誰にとっても共通なニーズがあるんです。例えば、赤ん坊は放っておけば、100%死んでしまいます。するとここに、保育というニーズが必ず誕生します。あるいは、人間である以上、誰もが病気になります。歳を取れば、介護を必要とする可能性はすべての人に開かれています。障害者福祉を必要とする可能性もそう。そういうみんなに共通するニーズがありますよね。これらをすべて「自己責任」の論理で放っておけば、社会はメチャクチャになってしまう。

お金のある一部の人は自己責任でやっていけるけれど、お金のない大部分の人はそうはいかない。だから、残された道は、税でやっていくしかないんです。これまで個人の貯金でやってきたものを、その代わりに税を払い、それを「社会の蓄え」に置き換え、みんなが安心して生きていける社会の財源にするということです。みんなで蓄えをつくり、税で未来への安心を買う社会にする。これが僕の基本的な発想なんです。

今、この社会から“私たち”が消えつつある

─ただ、「大きな政府」のために増税するといっても、拡大する貧困層や、困っている中間層に大きな税負担を期待するのは難しいのでは? 富裕層からも「中間層、貧困層のための財源となる増税なんてご免だ」という声が出そうな気もします。

井手 まず、僕が財源として柱に据えているのは消費税です。ですから、所得税と違って、貧しい人も基本的に富裕層と同様に負担を負います。つまりこれは「痛みの分かち合い」なんです。

よく低所得層の負担が大きい逆進性が問題になります。でも、考えてください。貧しい人よりも富裕層のほうがどう考えたって、実際の消費税の負担額は多い。大きな家や高級車を買うわけですから。しかし、みんなの暮らしを一律に保障すれば、必ず低所得層のほうが大きなメリットを受けることになります。

例えば、所得200万円のAさんと、所得2千万円のBさんがいるとします。双方に20%課税すると、税引き後の収入はそれぞれ160万円、1600万円となる。税収440万円のうち40万円を国の借金返済に使ったとして、残りは400万円。これを200万円ずつAB双方に医療、介護、教育などのサービスとして提供する。そうすれば、最終的な生活水準はAさんが360万円、Bさんは1800万円になり、当初10倍だった格差が、半分の5倍になるわけです。

こういう理屈です。富裕層にだってメリットがあります。病気をしても、失業をしても、子供が大勢生まれても、長生きをしても、それでも安心して生きていける社会になるんですから。

―「個人の貯蓄ではなく、税を通じた『公の貯蓄』を作って、それを原資にみんなで助け合ってこの社会を維持していこう」っていうことですね。

井手 そうです。僕はそうやって、この国に「私たち」を作りたいわけです。今の日本の社会で一番恐ろしいのは、「私たち」という言葉が消え始めていることです。

オバマがアメリカ大統領選の時に“Yes,we can”と言いましたが、もし同じようなスーパースターが日本に現れたら“Yes,you can”って言うでしょうね。「あなたなら自分の力でできる」と。「大丈夫。頑張れば、あなたなら自己責任を果たせる」と…。今、この社会から“私たち”が消えつつあるんです。

私が辛い時にはあなたが税を払ってくれる。あなたが辛い時には私が支える。みんなの税を、みんなのために使っていく社会。全部じゃなくてもいいから、少なくとも生きていくため、暮らしていくための本当のベーシックな部分ぐらい、みんなで支えあって社会を維持し、そこから誰もがチャレンジしていける仕組みを作っていかないと、この国は本当に「生きづらい社会」になってしまいます。

もちろん、人によって状況は違う。年を取っていれば子育てなんて関係ないし、若い人たちには介護なんて遠い未来の話かもしれない。でもそうではなく、お年寄りは子育てのために払うんです。その代わり、若い人がお年寄りの介護のために払うんです。みんなが世代や垣根を越えて、みんなが必要なものについてお金を出しあう社会。そうすると、「私たち」っていう言葉がこの社会で意味を持つようになる。そう、「私たちの社会」の復活です。

─ただ、消費税率を上げて、財政規模というパイを大きくして、本当に増税分の負担増を補えるような富の再配分がきちんと行なわれればいいのですが、そもそも今の日本社会にはそれを期待できるような「政治への信頼」が存在しないという、厳しい現実があるような気が…。

井手 非常に重要なポイントだと思います。これは「にわとりが先か、卵が先か」の問題だけれども、税を払わないと暮らしはよくならない。でも、信頼できない政府には税は払いたくない…という。

ただし、増税がイヤだと言うのなら、「増税せずにどうやってよい社会を実現できるのか」という説明責任を負うと思います。もちろん「政府は信頼できないから増税反対だ」という意見も民主主義だからアリです。その代わり、貯蓄も増えないし所得も増えない、経済も成長しない中で、従来と同じ「自己責任」を基本とした社会に生き続けるのか? それは、子供の進学も老後の保障も諦めなければいけない状況が未来永劫続くということですよ。

皆さんがそれがいいというのであれば、それでいいと思います。でも、僕はそんな社会を子供たちに残したくない。そのような社会がいいとは思えない。ですから、税によって「暮らしを支える政府」を実現し、それを介して日本の社会に「私たち」という言葉を取り戻せば、お互いを大切にしあえる社会が作れるはずだ…という選択肢を今、こうして示しているのです。

政府が国民を恐れるようにさせなければ…

─それがまさに、井手さんが前編で話された、今の日本には存在しない新たな「選択肢」というわけですね。

井手 そうです。もうひとつ大事なことは「政府を信頼できないから税を払いたくない」と考えるのではなく、信頼できないのなら「税の使い道を厳しくチェックする」という風に考えるべきです。例えば、消費税は当初5%から10%に上がる予定でしたが、その増税分5%の使い道を知っている国民は一体、どの程度いたのでしょうか? ちなみに、僕が講演で1万人以上の人に聞いてみて、知っていたのはたったひとりでした。

でも、おかしくないですか? だって、別に隠しているわけじゃないでしょう。正解は、5%の使い道のうち4%が借金返済で、残り1%の大部分が低所得層対策です。つまり、僕たちのところには来ない。それなのに5%増税する。このことすら大部分の日本人は知らなかったんです。自分の払う税金の使い道を知らないというのは民主主義が機能していない証拠です。

繰り返しますが、信頼できないから払わないというのはひとつの選択肢としてあってもいいと思います。しかし、それは地獄への道だと僕は思っている。税は貯蓄の裏表。もし政府が信頼できないのならば、税の使い道を徹底的にチェックすべき。そうすれば、人々はもっと民主主義に関心を持ち、政府は国民を恐れるようになるはずです。

(取材・文/川喜田 研)

●井手英策(いで・えいさく)1972年生まれ。2000年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。著書に『経済の時代の終焉』、『日本財政 転換の指針』、『18歳からの格差論』、『分断社会を終わらせる』、『財政から読みとく日本社会――君たちの未来のために』、『大人のための社会科――未来を語るために』など多数。

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