「王は才能と努力の人。大谷は今のところ、俺の目には天才としか映らない」と語るノムさん。メジャーでの二刀流挑戦も「どっちつかずになるんじゃないの」と否定的だ

メジャー移籍の意思を固めた大谷翔平(日本ハム)はアメリカでも二刀流を貫くべきなのか? 野村克也が語る!

* * *

大谷の二刀流に関しては、正直、今でも気持ちは五分五分。半分は無理だろう、と。昨年はそれなりに結果(10勝、22本塁打)を出したけど、正直言うと、プロ野球をなめんなよ、という思いもある。日本ハム首脳陣も含めて、プロ野球を軽く見すぎている。常識的に考えたら、できないわね。これまでの長い歴史の中で、誰もいないわけだから。

ただ、指導者として、もっともいけないのは固定観念。ヤクルトの山田哲人の体を見て、ホームランバッターになるとは絶対、思わないもんな。ソフトバンクの柳田悠岐もそう。あのスイングは、昔なら絶対に直されていたと思う。超アッパースイングに見えるから。

でも、超スロー映像を見ると、当たる瞬間だけはレベルスイングになっていた。今の映像技術だから、わかったことだよ。常識を覆した彼らを見ているのは楽しい。そういう意味では、半分は大谷に成功してほしい気持ちもある。

もし、大谷が打者に専念していたら王(貞治)の記録も抜けたんじゃないかという人もいるけど、日本にずっといたとしてもそれはさすがに無理だろ。868本だよ。抜ける?

王とはこんなエピソードがある。現役時代の話だけどな、ある日、銀座のクラブで飲んでたら、王と一緒になった。後から来ておいて、21時くらいに王が「ノムさん、悪いんですけど、お先に失礼します」って言うわけよ。

だから、「めったに一緒になることないんだから、もう少しいいだろ」と引き留めたんだよ。そしたら『荒川(博=当時、巨人1軍打撃コーチ)さんを待たせてるんで』って、さっさと帰っていった。その後ろ姿を見て、俺はこいつに抜かれるな、と思ったよ。片やクラブで遊んでて、片や練習してる…。そら、そうだわな。

ただ、大谷もまじめなコらしいね。でなきゃ、ここまでだって、できてない。

メジャーに行くんだろ? これから先は、大谷がどんな指導者に巡り合うかが大事だろうね。野球人生も縁だから。王が強運なのは、荒川さんっていう名コーチと川上(哲治)さんという名監督に出会ったこと。おかげで、技術だけでなく、哲学を持てた。

本物のスラッガーになるには、まだ時間がかかるだろう

もし、俺が監督で、今の大谷を預かったとしたら、二刀流はやらせない。迷わずピッチャーに専念させるね。ボーンと放って160キロだよ? それだけで十分だよ。日本のプロ野球に何百人もピッチャーがいて、160キロも投げられるやつ、何人いる?

でも、あの160キロ、普通に打たれるんだよな。スピードガン、いじってるんじゃないかって思うよ(笑)。大谷も160キロ超えるようなボールを投げられるなら、かすらせないぐらいのボールにしないと。

確かにバッティングもいいよ。あれを目の当たりにすると、両方やらせたくなるのもわかる。でも、そこは本人のため、プロ野球界のためを考えて、誰かが心を鬼にしないといけなかったんだ。もう遅いけどな。

アメリカでも二刀流でやるとかどうとかいわれてるけど、どうかな。結局、二兎を追う者は一兎をも得ずになる気がするな。せっかくいいものを持っていながら、どっちつかずになるんじゃないの。プロだから他の選手も意地があるでしょう。ましてやメジャーともなれば、ピッチャーは研究に研究を重ねて、徹底的にマークしてくるよ。それを乗り越えるのは容易じゃない。

王は大谷と同じ左バッターだけど、左投手相手でも、とにかく崩れなかった。一度、王に「なんでだ?」と聞いたことがあるんだよ。そうしたら、対左の時は全部、スライダーをイメージして打席に立っていると言ってたな。正解だよ。そうすると、ピッチャー側の壁をキープできる。王は才能と努力の人だな。

大谷は今のところ、俺の目には天才としか映らない。「来た球を打つ」という。配球を読んでる感じがしない。本物のスラッガーになるには、まだ時間がかかるだろうな。ただ、投手をしながらではその時間が足りないんだよ。

★ノムさんが思う清宮幸太郎の評価は? もし現役監督なら誰をドラフト1位指名する? 週プレ渾身の丸ごと1冊プロ野球本『プロ野球プレイボーイ』(10月4日発売)にてお読みいただけます。菊地雄星&井口資仁インタビュー、2017ドラフト注目選手、歴代日本シリーズ大乱闘シーンほかもお見逃しなく!

(取材・文/中村 計 撮影/下城英悟)

●野村克也(のむら・かつや)1935年生まれ、京都府出身。54年、テスト生として南海ホークスに入団。3年目にレギュラーに定着すると、現役27年間にわたり球界を代表する捕手として活躍。打者としても歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王など数々の記録を打ち立てた。70年の南海でのプレーイングマネジャー就任以降、延べ4球団で監督を歴任。 現在は野球評論家としても活躍中