昨年のリオ五輪では日本史上初、女性では世界初の五輪4連覇の偉業を達成

8月21日から26日までフランス・パリで開催されたレスリング世界選手権。日本女子は金メダル4個を獲得するなど圧倒的な強さを見せた。

だが、そのマット上に“絶対女王”伊調 馨(ALSOK)の姿はなかった。

前編記事に続き、世界レスリング連盟のアスリート委員として現地に赴いていた彼女に、リオ五輪以降の自身を取り巻く狂騒、そして“今”を聞いた。

■ちゃんと中身のある人間になりたい

―大変失礼ながら、人見知りでおとなしいイメージの伊調さんは、そういう責任などが伴うことは避けて通りたいタイプかと思っていました。

伊調 本当は…なるべくなら、なるべくなら…というか(笑)。でも、頑張っているコーチ陣たちを見ていると…。だから葛藤はしています。本当にやりたいことは現場なんですけど。ただ、使命感というか、そういうことを考えだしたのは、国民栄誉賞をいただいたことが影響しているかもしれないです。

―あー、なるほど。

伊調 最初にお話をいただいたときは、うれしいというよりも、ただただ畏(おそ)れ多くて…。スゴく名誉なことだというのは重々承知の上ですけど、私には荷が重いなっていう気持ちがありました(笑)。だって、過去の受賞者の面々を見ると、それはもう恐縮しちゃいますよ。でも、誰もがもらえるものでもないですから、感謝して頂戴しました。

―畏れ多い気持ちが勝ってしまうのはわかるような気がします。受賞したことで周囲は何か変わりましたか?

伊調 以前よりも(街中などで)声をかけられることはかなり増えました。特に日本だと、五輪を4連覇したことよりも国民栄誉賞をいただいたことのほうが大きいんですよ。紹介されるときも必ず言われますし。だから、そういう目で見られているんだってことは常々、頭に置いています。

―それは大きなプレッシャーになりますね。

伊調 でも、逆にそれが自分をいいところに引き上げてくれているので、いただいたことはスゴくよかったと思っています。レスリング界のことについてもここまでは考えなかったのかなとも思うので。ちゃんと中身のある人間になりたいって思わされました。

今までは人見知りでシャイだったから、あんまり人としゃべるのも好きじゃなかったし、社交的でもなかった。でも、そうも言ってられない(笑)。あとは(国民栄誉賞の副賞として)すてきな西陣帯もいただきましたし、日本人の誇りを持って、日本の文化を世界に発信していきたい気持ちもあるので、そういったことも勉強していきたいなと。

―もともと和服に興味があったんですか?

伊調 実は、副賞をいただく際に、事前にこちらの興味のあるものなどを聞いていただけるんです。そのときはなんとなく、日本の名誉な賞ですし、日本らしい意味のあるもの…と考えて「和服に興味があります」とお伝えしました。そうしたらあんなにすてきな帯をいただいて。その後の会見で、自分から和服の文化を広めたいという言葉を口にしていたので、やっぱり気持ちはどこかに持っていたんだと思います。

海外のコーチのトレーニング方法なども勉強したい

―下世話な質問で恐縮ですけど、国民栄誉賞って帯のほかに何かもらえるんですか?

伊調 賞状と、帯です。ほかには何もないです。授与式は5分もかからなかったですね。

―そんなに短い!?

伊調 首相官邸で行なわれたんですけど、政府側の方々がバーって並んで、緊張した私が待っていて(笑)。安倍首相が入られたら、「授賞式を始めます。伊調選手、前へ」と言われて、首相の前に行きました。賞状いただきました。帯いただきました、写真撮りました。これで授賞式終わります。それだけです。本当に短いです。

その後に懇親会じゃないですけど、隣の部屋に入って10分、15分ぐらいですかね。お互いの関係者の方々が少しお話ししておしまい。めちゃくちゃ短いですよ。緊張していた私にはありがたかったですけど(笑)。

―その後は忙しい日々を送っているようですが、その間、所属するALSOKが東京五輪のオフィシャルパートナーになったりもしましたね。レスリング部はもちろん、柔道部など選手同士の交流はあるのですか?

伊調 壮行会や祝勝会などでみんなが集まれば結構しゃべりますね。プライベートでは…以前、柔道部に所属していた塚田真希ちゃん(2004年アテネ五輪の柔道女子78kg超級金メダリスト)がいたときに、たちもっちゃん(田知本遥[たちもと・はるか]。16年リオ五輪の柔道女子70kg級金メダリスト)と3人でよくご飯に行きました。

選手同士だと最初は普通の話をしているんですけど、結局は自分たちの競技の話になっているというか。「あの選手は強いの?」とか、お互いに階級がある競技なので、減量の話とか、タンパク質を取るならこれがオススメとか(笑)。もちろん、将来の話も。

―将来の話ということで、今後についてはどんな景色が見えているのでしょうか。

伊調 いずれは指導者になりたいと思っているので、海外のコーチのトレーニング方法なども勉強したいなとは思っています。でも、できれば早く現場に行きたい。常にマットには上がりたいし、上がっていたいなと思っています。

ただ、それが選手としてなのかどうかは…選手としてもう一回目指そうと思わなかったら、ずっと思わないだろうし、思ったらすぐそっちに行くかもしれないですね。

* * *

試合から離れて1年以上たつが、心身共に充実していることは表情からもうかがえた。今後、どんな展開が彼女に待つのか、注目したい。

伊調 馨(いちょう・かおり)1984年生まれ、青森県出身。中京女子大(現・至学館大)卒。ALSOK所属。2004年アテネ、08年北京、12年ロンドン、16年リオデジャネイロで金メダルを獲得し、女子個人種目で史上初の五輪4連覇を達成する。世界選手権10回優勝。昨年10月、日本政府から国民栄誉賞を授与される

(取材・文・撮影/佐野美樹)