姜尚中氏は、朝鮮労働党創建記念日である10月10日を敢えて総選挙の公示日に選んだことに注目していたという。それは何を意味するのか?

安倍首相が「解散総選挙」に踏み切って以降、民進党と希望の党の「合流」、立憲民主党の立ち上げなど、短期間であまりにも多くの出来事が起こり、政治の景色は様変わりした。

めまぐるしく変化する政局に惑わされないために、有権者に必要な視点とは何か? 『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(内田樹氏との共著・集英社新書)など多くの著書を持つ政治学者、姜尚中(カン・サンジュン)氏に聞いた――。

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―政局が日々、急激に変化したため、ほとんどの人が忘れかけていますが、そもそも当初は今回の解散に「大義がない」ということが問題になっていたはずでした。

 そうですね、衆議院の解散は「首相の専権事項」であるという考え方は、戦後長く続いた自民党による事実上の単独政権の歴史の中で培われてきたわけですが、それでも、これまでは一定の歯止めとして、目に見えない「不文律」のようなものが存在していたと思います。しかし、今回の安倍首相による解散はそうした「不文律」を平気で踏みにじる、これまでに見たこともないほど強引なものでした。

―「一定の歯止めとしての不文律」とは?

 日本のような議員内閣制の国では、議会の首班指名を通じて首相を選び、その首相が内閣を組織して行政を預かるので、一般的には大統領制と比較して独裁が起きにくい仕組みだと考えられています。しかし、考えてみるとアメリカの大統領ですら「議会の解散権」は与えられていない。だから今、トランプ大統領はオバマケアに変わる健康保険制度の改革案が議会の強い抵抗にあって苦しんでいるわけです。

だからこそ、それだけの「強い権力」を行使するには「大義」というか、少なくとも「合理的な理由が必要だ」というのが「不文律」として存在していた。それを今回のように無視してしまえば、議院内閣制で選ばれた首相に、ある意味、大統領以上の権力を与えてしまうということが図らずも明らかになった。これを議会の抵抗に苦戦しているトランプ大統領が見たら、きっと「羨ましい」と思うんじゃないですかね。

―今年はイギリスのテリーザ・メイ首相も解散総選挙を行ないましたが。

 そのイギリスでも2011年に制定された「議会任期固定法」によって、首相による議会の解散権には「下院の3分の2以上の賛成を必要とする」という非常に高いハードルが設けられていて、議会の意思を無視する形で首相が解散権を行使することはできません。

しかし今の日本にはこのような歯止めがないので、安倍首相は今回の解散総選挙を国会どころか自民党内での議論すら経ることなく決めてしまいました。小選挙区制の導入以来、党内の権限が幹事長に集中し、首相と幹事長が結びつけば「自民党内での首相独裁」も可能な仕組みになっているからです。私は安倍首相の頭のどこかに、トルコのエルドアン大統領のような「強大な権限を独占するリーダー」を志向する意識があるように感じます。

―ただ「不文律」というのは、文字通り実際に制度化されていない「目に見えない暗黙のルール」ですから、それを守る、守らないという議論自体が難しいのでは?

 そこに私は、日本の政治の著しい「劣化」を感じずにはいられません。例えば「忖度(そんたく)」という言葉――最近、加計や森友の問題で悪いイメージが定着してしまいましたが、本来、「忖度」とは「行間を読む」という意味であって、決してネガティブな意味ではありません。

ここで言う「行間を読む」とは、具体的に言葉で表されていることの「意味」や「背景」や「文脈」を理解し、本質的な意味を掴み取る力のことです。要するに「タブー」とか「不文律」というのは、当事者たちに「行間を読む力」がある、つまり「物事がわかっている」前提で成立するものなのです。

ところが、今の多くの政治家は「これは明文化されていないけど、本質はこういうことだよね」という「行間を読む力」がない。あるいは、書かれていないことなら何をやっても構わない、「行間」などは平気で無視していいと考えている。いわば、一種の「反知性主義」によって政治が乗っ取られてしまったような状況で、その結果として「首相の権力」が大統領のそれをも上回る形で「大義なき解散総選挙」として行使された。それは長年、韓国の政治における「独裁」の歴史を見てきた私にとって、眩暈(めまい)がするほどの景色ですね。

希望の党が自民党との大連立も選択肢に?

―もうひとつ、今回の解散総選挙に関して気になるのは、北朝鮮情勢が緊迫する最中に行なわれていることです。

 あまり指摘している人がいなかったのですが、私は衆院選の公示日が10月10日だった点に注目していました。というのも、10月10日というのは朝鮮労働党創建記念日で、北朝鮮がミサイル発射や核実験など、なんらかの挑発行為を行なう可能性が極めて高い日だったからです。敢えてその日を公示日に選んだのは、北朝鮮の挑発行為が政権与党にとってプラスに働くとの計算があったからではないでしょうか?

普通に考えれば、北朝鮮情勢が不安定であることは、日本にとっても望ましいことであるはずがありません。しかし、北朝鮮情勢が不安定であればあるほど「とりあえず、ここは今の政権与党に任せておいたほうが無難だろう…」という心理が広がるので好都合だというのが、今回、安倍首相が解散に踏み切った理由のひとつでしょう。そして、ここでも私はある種の既視感を覚えたのです。

―韓国でも「北の脅威」を政治的な追い風に利用するという手法は多いのですか?

 北朝鮮の脅威を煽(あお)ることで、タカ派の与党が得をする…。これを韓国では「北風が吹く」と表現するのですが、今回の解散総選挙の背景にも安倍政権が「北風」に期待していた可能性がある。「武力行使もひとつのオプション」とするトランプ政権の姿勢を「全面的に支持」し続けている安倍政権ですが、仮に朝鮮半島で戦争が起きれば、多くの米軍基地を国内に抱え、北朝鮮のミサイルの射程距離にある日本が深刻なリスクに直面することは避けらない。

政府がこうした現実としてのリスクに向き合うのではなく、「北朝鮮の脅威」を自らの政治目的に利用するような状況で、この国の「安全保障」に関するまともな議論ができるのか? 朝鮮労働党創建記念日であり「北の挑発行為」の確率の高い10月10日を敢えて総選挙の公示日に選んだことからも、私は安倍政権の「北風」への期待を感じずにはいられません。

―この数週間で日本の政局は激しく揺れ動いています。あまりに急激な変化に、有権者の中には「何をどう考えて」この選挙に臨むべきなのか、迷っている人も多いと思います。

 すでにお話したように、今回の選挙には公費を費やしてやるほどの理由が見当たらないのですが、選挙が避けられない以上、有権者はどうしたらいいのか思案せざるをえません。そうした中、小池百合子東京都知事を代表とする希望の党が結成され、そこに民進党が合流し、そこから排除された議員たちを中心に立憲民主党が生まれました。

有権者からすれば、選択肢が増えることは意味のあることかもしれませんが、政権選択の選挙と言い難いのは、最大野党の希望の党の代表である小池氏が出馬を断念していますし、代わって誰を首班指名するのか、明らかになっていないからです。このことは、政局がらみで深読みすれば、選挙の結果、与党自民党が現有議席をかなりの数減らすことになり、結果として安倍降ろしが党内で沸き起こった場合、その流れを利用した希望の党が自民党との大連立も選択肢に置いていることを意味しています。

それは、結果として「安倍政権の終わり」に繋がるかもしれませんが、同時に希望の党と安倍総裁なき自民党が限りなく同じような理念と政策を掲げる政党であることを意味する。安保と憲法改正といった、国の形の在り方を大きく左右する政策で、保守二大政党が収斂(しゅうれん)する可能性すらあり得るわけです。有権者の中には安倍首相はイヤだけど、自民党がしっかりしてほしいので、そうした保守の大連立を好ましく思う人もいるかもしれません。

それに対して、世界の流れが核廃絶や恒久平和の確立に動いているのだから、北朝鮮危機は確かに由々しいけれど、やはりもっと穏健で民主的、かつリベラルな選択肢を選びたいという有権者には、旧保守の与党や新保守の希望の党と一線を画す立憲民主党がオルタナティヴに浮上してくるでしょう。

いずれにしても、有権者は猫の目のように変わる政界地図に惑わされず、何が最も大切な価値なのか、そこのところをしっかりと弁(わきま)えて一票を投じてほしいと思います。

(取材・文/川喜田 研 撮影/松本亮太)

●姜尚中(カン・サンジュン)1950年熊本県生まれ。東京大学名誉教授。政治学者。著書に『マックス・ウェーバーと近代』(岩波現代文庫)、『悩む力』、内田樹との共著『世界「最終」戦争論』(集英社新書)他多数。

●『アジア辺境論 これが日本の生きる道』(内田樹と共著 集英社新書 740円+税)