「そもそもポルシェは全部のモデルがスポーツです」と語る七五三木敏幸社長

今年上半期の全世界の新車販売台数は12万6497台に達して、過去最高を記録。ウワサの電動化戦略はどうなるのか。

自動車ジャーナリストの小沢コージがポルシェジャパン七五三木敏幸(しめぎ・としゆき)社長を直撃した。

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―ポルシェといえば今も昔も男のコの永遠の憧れですが、最近じゃすっかりSUVで有名になっています。まずカイエン、そしてカイエンより小型のマカン。この2台は、ポルシェ伝統のスポーツカー911シリーズ以上の人気を誇るモデルになりつつあります。ポルシェはなぜ、こんなにSUVに強いメーカーになっちゃったんでしょうか。

七五三木 それは圧倒的な商品力でしょうね。ポルシェ初のSUVであるカイエンが発売されたのは2002年です。当時、私はポルシェジャパンではなく、メルセデス・ベンツ日本に所属し、販売企画や販売計画を担当していました。当時のメルセデスは日本国内の月販は4000台前後でしたが、毎月2ヵ月前には販売台数を予想して計画を立てていました。今月は4100台ぐらいいきそうだなとか、3000台ぐらいだなとか。それが実売と50台もブレがなかったんですよ。

―ものすごい精度ですね!

七五三木 当時、僕のグループには5名の優秀なアナリストがいて、ほぼ正確に月販台数を当てていました。しかし、当時出たばかりのカイエンはせいぜい日本のマーケットシェアで5%だろうと予想していました。日本に40店舗程度しかないポルシェの新しいSUVが月に200台も売れるわけがないだろうと。

―ところが?

七五三木 フタを開けてみたら1年間に900台近く売れた。予想した5%どころか、14%もシェアを占めて、私の頭はデジャブ(既視感)状態で。

―というと?

七五三木 1990年代のメルセデス・ベンツ500Eですよ。名車のW124型ミディアムクラスにポルシェチューンの5lV8と足回りを移植したモンスターセダンで、普通の300Eの24バルブですら乗った瞬間死にそうなくらいいいのに、500Eは漏らしそうになるほど良かった(笑)。

SUVが多くてけしからんなんて思ってる人間はひとりもいません

―わかります。私も500Eにはタマげました。一見すると普通のセダンなのに走り味はスポーツカーのポルシェ!

七五三木 アレは造りがものすごくて、まずジンデルフィンゲンのベンツ工場で組み立て、ポルシェのヴァイザッハ工場でエンジンと足回りを組みつけ、さらに最終仕上げをベンツ工場に戻し、最後の試験走行をヴァイザッハでやってたんです。

―手間かけますねぇ。

七五三木 そのとき、ポルシェのものづくりのスゴさを思い知ったんです。カイエンでそれをまた思い出しましたね。

―確かに初期型カイエンって、骨格はVW(フォルクスワーゲン)のトゥアレグと同じでしたが、チューニングで乗り味が全然違ってましたね。

七五三木 ええ。その後、2014年にポルシェジャパンの社長になって本国のポルシェの工場を見たんですが、やっぱりすごいなと。「ゴン!」と頭を叩かれたようでした。

―そんなに違いますか。

七五三木 ブレーキひとつからして取りつけ位置が911と、パナメーラとでは全然違っていて、こんなに手間をかけるのかと。500Eの時代からの技術が脈々と生きていました。

―ちなみに日本で、SUVが売れすぎの意識って?

七五三木 全然ありません。というのも、日本は約6割がSUVで、残りはスポーツカー。一方、中国や北米ではSUV比率が9割前後に跳ね上がりますからね。

―日本はそれでもまだ頑固なスポーツカー好きのユーザーがいると?

七五三木 そもそもポルシェは全部のモデルがスポーツですから。年に4、5回はドイツ本社の役員と話しますが、SUVが多くてけしからんなんて思ってる人間はひとりもいません。

★ポルシェジャパンが考えるEV戦略とは? 記事の全文は『週刊プレイボーイ』44号(10月16日発売)「ポルシェジャパン社長 『電動化』と、『日本』戦略を語り尽くす」にてお読みいただけます!

七五三木敏幸社長(左)と小沢コージ

(取材・文/小沢コージ 撮影/小河原 認 取材協力/ポルシェジャパン)

●七五三木 敏幸(しめぎ・としゆき)1958年12月13日生まれ、群馬県出身。一橋大学卒業後、群馬銀行に入行。89年にメルセデス・ベンツ日本に転職して自動車業界でのキャリアスタート。マーケティングなどを経験。2009年にクライスラー日本の代表取締役社長兼CEOに就任。12年フィアットグループ オートモービルズ ジャパンとの経営統合後にはフィアット クライスラー ジャパンの代表取締役営業本部長を務めた。2014年2月から現職