ドキュメンタリー映画の企画を受け入れた経緯について語ってくれた坂本龍一さん

坂本龍一のドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』が11月4日より全国で公開になる。

足掛け5年、途中、彼の病の発覚という、思わぬハプニングで中断を余儀なくされながらも無事に完成にこぎ着け、今年9月のヴェネチア国際映画祭で披露されると満場の喝采を浴びた。

その内容は、彼の飽くなき音楽への探求とともに、東日本大震災の余波と彼自身の新境地がオーバーラップした、示唆(しさ)に富む旅路となっている。かつてここまで自身の素顔を人前に差し出すことのなかった彼がなぜ本作の企画を受け入れたのか。映画の印象とともに、その胸の内を語ってもらった。

―冒頭に、津波を被ったピアノを坂本さんが弾かれる場面が出てきます。本作がスタートしたのは2012年だそうですが、企画を承諾されたのは東日本大震災の影響も大きかったのでしょうか。

坂本 そうですね。あの震災によって、久しぶりに日本で人々が通りに出て意思表示をするようになった。そんなことは長いことなかったでしょう? あそこで日本の社会が変わるのかな、という淡い期待があった時です。だから僕の活動というより、僕を通して日本社会の変化をドキュメントしていくことは意味があると思いました。

―企画がスタートされてから今度は自身のご病気のことがわかり、内容にも影響を与えることになったのですか?

坂本 ええ。すでに2年ぐらいは映画を撮っていて、3.11の後には新しいアルバムの制作過程を撮る予定でした。でも病気になってしまったのでアルバム制作自体がキャンセルになった。

全く突然の出来事でいつ再開できるのかもわからないので、半年以上は撮影がストップしました。自分もシブルさん(スティーブン・ノムラ・シブル監督)も今後どうなっていくのかもちろんわからないという状況になってしまったんです。

―その後、回復されるに従って、ドキュメンタリーの方向性を考えるようになった?

坂本 ドキュメンタリーのというより、今後、自分がどうなっていくかということがまずありました。事前に山田洋次監督の『母と暮せば』の音楽をやることになっていたので、そこから徐々に仕事に戻っていくつもりだったんです。

でも、その制作を始める前にいきなりアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督から連絡があって、『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽を作ってほしいと言われたんです。

もちろん、まだちゃんと回復していないから難しいと言ったんですが、『そういう時はむしろ仕事をしたほうがいいよ』みたいなことを言われて(笑)。相当悩みましたけれど、結局引き受けることにして。まあ病気があって、回復途中に仕事もしなければならないというのは、ドキュメンタリーにとっては面白いネタなので(笑)、その様子も撮ることにしたんです。

映画は、東日本大震災で被災したピアノを坂本龍一さんが弾くところから始まる

人類の未来に楽観的にはなれない

作中には、坂本さんが原発再稼動反対のデモに参加しスピーチする姿も収められている

―全体の構成などは全面的にシブル監督にお任せだったのでしょうか。

坂本 もちろん。僕の信仰として映画というのは監督のものだと思っていますから、撮られる側が何か言うべきじゃないという考えがあるんです。もちろん、イヤなことはイヤって言いますけれど(笑)、撮りたい側は撮りたいものがあるわけで。特にテーマなども事前に相談したわけでもなく、ただ僕がやっていることを追いかけてもらった。それをどう料理するかは全て監督の判断でした。

―映画の中で、YMO全盛期の80年代が出てきますが、今あらためて当時のご自身を振り返ってどう思われましたか。

坂本 面白いなと思ったのは、コンピューターの説明とか、どうやって音楽を作るかといったような説明をしているんですが、今から観るとテクノロジーに関してすごく楽観的なんですよね。

―テクノロジーこそ未来、というような。

坂本 でも、今はそんな楽観的にはなれないですね。原発事故もあったし、日本以外でも世界的に暴力や差別や分断が起こっているので、人類の未来に対して楽観的にはなれない。80年代というのが、まあ当時はそう思っていませんでしたけれど、今から見ると本当にバラ色の時代だったんだなと(笑)。かなり自分もナイーブだったと思いました。

―ただYMO自体が、先端的テクノロジーを使いつつ、批評的なものを感じさせましたが。

坂本 確かに、例えば50年代の『鉄腕アトム』の時代におけるバラ色の未来像みたいなものをレトロなものとして笑っているところはありました。80年代といえば、もう『ブレードランナー』が出てきた時代ですから。『ニューロマンサー』とかテクノの時代で、かなりダークな未来観というのは持っていたけれど、それでも今から観るとものすごく呑気な感じがします。それだけ今が悪くなっているということですね。

●後編⇒災害、闘病が坂本龍一の仕事へ与えた影響ーーそしてデヴィッド・ボウイの死で今、思うこと

(取材・文/佐藤久理子 撮影/Kazuko Wakayama (c)2017 SKMTDOC,LLC)

■坂本龍一(さかもと・りゅういち)1952年東京生まれ。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年『YMO』を結成。83年の散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』で英アカデミー賞、『ラストエンペラー』では米アカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞受賞。14年7月、中咽頭癌の罹患を発表したが、1年に渡る治療と療養を経て、音楽制作の現場に復帰。『東北ユースオーケストラ』の音楽監督として東日本大震災の被災三県出身の子どもたちと音楽活動も続けている。○8年ぶりとなる最新オリジナルアルバム『async』が絶賛発売中。『async』の楽曲を気鋭のアーティストたちが再構築したリミックスアルバム『ASYNC-REMODELS』も12月13日発売。最新情報はオフィシャルサイトまで。

■『Ryuichi Sakamoto: CODA』は11月4日(土)より全国公開予定。詳しい情報はオフィシャルサイトまで。