ビエンチャンで経営する日本料理店で会計ノートを開く藤原。ちなみに藤原がホール、ラオス人の夫が調理師

物価は手頃で、人は優しく、気候もいい。そんなタイ・バンコクの巨大歓楽街で、風俗店にどっぷりハマる男たちの話は別に珍しくもないだろう。

ただ、それが「女」となったらどうだろうか?

前編記事に続き、“表の世界”ではあまり語られることのない、「日本を捨てた女たち」のリアルな姿を追った。

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ゴーゴーボーイの多くは異性愛者だが、この業界に入った途端、男性の相手もせざるを得なくなる。

あるボーイはこうぼやいた。

「最初は男性を相手にするのはいやだったけど、もう慣れた。男性客の場合は年上が多いんだ。日本人男性とも経験があるよ。できるだけ何も考えないようにして、心と体を切り離して相手をした」

ゲイの相手をするのがいやなため、覚醒剤を摂取して乗り切るボーイも多い。その背景には、そうまでして稼ぎを得なければならないほど厳しい経済環境がある。

別のボーイは、タイ国内で出版された手記の中で、初めて米国人男性に連れ出されたときのことをこう回想している。

「デパートで働く月給の半分も1日で稼いでしまった。ゴーゴーボーイとしてなぜもっと早くに働いていなかったのかと思うと、(この世界に飛び込む前に抱いた)恐怖の感情は消えてしまった」

金と色が渦巻くバンコクの不夜城。移住した冒頭の藤原(前編記事参照)は本格的に店に入り浸るようになり、そこで出会ったラオス人にぞっこん惚(ほ)れ込んだ。

「当時の彼は筋肉質で痩せていてかわいかったんです。ブレスレットや携帯電話、指輪などプレゼントに30万円以上はつぎ込みました。だから自分以外の女と遊びに行かないよう、毎晩のように店に通ってチェックしていました」

藤原はこのラオス人男性と結婚し、現在はラオスの首都ビエンチャンで夫とともに日本料理店を経営している。そんな自身の人生をふり返り、彼女は次のようにも語る。

「もう日本では生活ができない。私は社会人経験がないので、まず普通の会社で働けない。バイトしかできなかったらかつかつな生活になる。でも、こっちにいたらわずかなお金で普通に暮らせるじゃないですか? それに日本は寒いし。こっちのほうが楽。もう日本には帰れない」

私はデビュー作『日本を捨てた男たち』で、日本のフィリピンパブで出会った女性にハマって南国まで追いかけ、無一文になった中高年男性の悲哀を描いた。ところが今回の取材で出会ったのは、紛れもなく「日本を捨てた女たち」だった。

ゴーゴーボーイにハマるのに社会的身分や地位は関係ない

白いタンクトップ姿の男たちがベンチに座るこの店は、藤原の姉によると「男が男にヌイてもらう店なんです。本番もあり」という

この藤原に続き、実は姉もゴーゴーボーイにハマってしまう。姉は慶應義塾大学を卒業後、妹より先にタイへ移住し、現地の日系企業で働いていた。藤原はクスクス笑いながらこう話す。

「私がタイへ移住した後、姉をゴーゴーの世界に引きずり込んじゃったんです。そしたら私以上にハマっちゃった。姉はタイ語もできるから、ひとりでも行けるような玉です」

この姉妹はボーイとの間に子供はいないが、なかには妊娠してシングルマザーになった日本人女性もいた。

とある駐在員の妻はボーイとの体験について、こんな赤裸々な告白をしている。

「まあまあタイプの子を連れ出して、ぱーっと発散して1時間で退散(笑)。私、子供がいるから、遅い時間までゆっくりできないんですよ」

中年女性社長ふたりがわざわざ日本からバンコクに駆けつけるケースもあると聞いた。

ハマるのに社会的身分や地位は関係ない。考えてみると、それは特段不思議なことでもないのだろう。ゴーゴーバー(ビキニ姿の売春婦が踊る連れ出しバー)を訪れる日本人男性と同じ思考が働いているだけで、日本でこれまで、彼女たちのような存在が明るみに出なかったにすぎない。結局は、女も男も同じなのだ。

(取材・文・撮影/水谷竹秀)

水谷竹秀(みずたに・たけひで)1975年生まれ。上智大学外国語学部卒業。新聞記者やカメラマンを経て、現在は東南アジア各国や日本を中心に取材・執筆活動を行なう。『日本を捨てた男たち』(集英社文庫)で開高健ノンフィクション賞受賞。

『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』集英社 1600円+税タイ・バンコクの高層ビルの一角にあるコールセンターでひたすら電話を受ける日本人がいる。非正規労働者、借金苦から夜逃げした者、風俗にハマって妊娠した女、LGBTの男女……。息苦しい日本を離れて「居場所」を求めた人々を追ったノンフィクション。