雑誌表紙という夢を叶えた倉持が週プレ酒場でイベントを開催

「100万いいねプロジェクト」を達成し、見事『週刊プレイボーイ』50号で表紙を掴み取った倉持由香が3日、新宿・歌舞伎町の週プレ酒場で「100万いいねプロジェクト達成! 倉持由香 大感謝祭!!」を開催した。

2000年代前半に最盛期を迎えたグラビアアイドル。00年代半ばからはアイドルが表紙を飾り、グラビア界を席巻。さらに近年は馬場ふみか、久松郁実、内田理央らを筆頭にモデルとグラビアを兼ねる“モグラ女子”が第一線で活躍している。

そんな苦難の続くグラドルたちの“ジャンヌ・ダルク”として先陣を切り続けてきたのが倉持だ。要であるはずの雑誌になかなか自分たちの居場所がなかった時代、彼女はインターネットに光明を見出した。

“尻職人”というキャッチコピーを自ら掲げ、13年には“グラドル自画撮り部”の結成で一大ムーブメントを生み出したのだ。そして倉持に引っ張られる形で他のグラドルたちも努力や工夫をし、徐々に活躍の場を広げてきた。

彼女にとってそうした活動全てが“グラドル復権”のため。以前のインタビューでも語っていたが、今回の無謀とも思えるプロジェクトにもグラドル仲間たちが協力、その後押しもあって100万を大きく超える約278万いいねを達成。「雑誌の表紙」を飾りたいという、彼女にとって13年越しの夢を叶えた。

2013年にリリースした4枚目のDVD。この頃にはすでに自画撮り部を結成

この日のイベントでは、6年前からの活動を当時の写真などを見ながら紹介。「フレッシュな時代もあった」「1stDVDを作るための面接で「『売れる気しないね』って言われて泣いて帰った」「番組で『着地点の見えないグラドル』といじられていた」など、自虐を交えて会場を盛り上げつつも「(撮影会での衣装を)自前で楽天で用意して、グラビア撮影の工夫をしていた」「(初めて出た東京国際映画祭では)谷間が出るドレスを着て、雑誌の“お宝ハプニング”に載るためにおじぎを長く。このころから計画的に」など、これまでの涙ぐましい努力の足跡を披露した。

持ち前の明るさとトークの上手さで、会場に集まったファンらを笑わせる倉持。しかし「一時期は腐りかけてて、辞めようかと思った時期も(あった)」と吐露する場面も。

「写真集は出せたのに、アンケート1位でも表紙は無理だった。『お尻推しだと表紙にしにくい』『(グラドル自画撮り部で見せているから)新鮮味がない』って週プレ編集部で言われて、号泣。でも、こうやって愛される尻だったって、表紙になってよかった」

仲間たちからのお祝いに感涙

表紙候補となった色校紙(発色の確認を行なうための仮刷り)もプレゼントするなど大盤振る舞い

イベントの後半では、表紙となった沖縄での撮影についてトーク。普段は「家とラブホテルと編集部ばかり」で、初めて飛行機で行ったロケという喜びに加え、「遺影に結婚式、お見合い、人生の大事な時は西條さんの写真に」と言うほど信頼しているという写真家・西條彰仁氏との撮影で、本人にとって嬉しい反面、撮影の時点ではまだ表紙をとれるか決まっておらず、不安もあったそう。

「撮影初日から「100万いいね」いかなかったらどうしようと思ってました。1冊写真集ができるくらい撮ったんですけど、表紙になるならどれがいいかもわからなかったし」

また、今回の撮影で“禁断解放”として水着のパンツを脱ぎ去ったグラビアに関しては「お母さんに怒られちゃうかも『こんなエッチなの』って(笑)。やりすぎたかなと思ったけど、他の編集部の人に『海に帰っていくゴジラみたいで美しい』って言ってもらえて嬉しかった」そうだ。

グラドル仲間たちからお祝いとエールのコメントが届く

その後、撮影オフショットの公開も終わったところで、吉田早希、鈴木ふみ奈、水月(みずき)桃子、吉野七宝実(しほみ)、鈴木咲、菜乃花(なのか)、青山ひかるによるお祝いメッセージが。さらに、最後の青山の「それでは皆さん、後ろをご覧ください」というセリフとともに鈴木、菜乃花、青山が登場。サプライズで駆け付けた盟友の登場に倉持は涙をこらえきれず、号泣した。

全く知らされていなかった鈴木、菜乃花、青山の登場に感極まって涙

次なる目標は全雑誌表紙制覇、そして裏方へ…

これまで背負ってきた思いを涙ながらに吐露する倉持

「もっちー(倉持)が頑張ってる姿をグラドル友達一同ずっと見てきたし、悩んでる姿とかどうしようって言ってる姿をずっと見てきたから私たちもこの涙で救われる」(鈴木)

「ここにくれば、みんなでやってきたというのがすごいあって、グラビア界が盛り上がってるってのがわかる。本当に努力してる人なので尊敬してるし、表紙を見てかっこいいなって思いました」(菜乃花)

「もっちーがいてくれたおかげで私はいろんなお仕事一緒にできたりとか、私たちは倉持由香っていうジャンヌ・ダルクがいたから、それについてこうって思ったし…ずっと応援してたから嬉しい、泣いてくれて」(青山)

と、それぞれが祝福し、その功績を称える中、倉持は

「『自画撮り』を始めたことで皆を巻き込んでしまったから…。『皆ももしかしたらグラビアが撮りにくいと思われたら…』とか考えてたらすごい悲しくなって、この4年間、間違ってたのかなって。

でも本当に生きててよかった。こんなにいい友達ができたし。13年間、いろんなことがあったけど、本当に夢って叶うんだなって思って。叶えてくれたのは皆さんのおかげです。人に恵まれたなって。本当にありがとう。あとはみんなでの表紙をやりたいってのが野望なんです」

と今まで背負ってきた責任、仲間やファンへの感謝を告白。感動の一幕でイベントを終えると、こう力強く宣言し締めくくった。

「『グラドル自画撮り部』で新鮮味がないって言われた時、もう心が折れて辞めようかと思ったけど、なんとか4,5年続けてたらようやく表紙になって『評判いい』とも言ってもらえた。私以外にもいいグラドルいっぱいいます。グラドルの時代を取り戻したいので、皆さん是非、グラビアアイドルがグラビアに載れる時代をまた作ってください。

この表紙もイベントもすごく嬉しかったです。でも、ここからが始まり。全雑誌、表紙を制覇したいし、制覇したら裏方としてグラドルをプロデュースしたいと思ってるので、その時も週プレでやらせてもらえるようにまだまだ頑張ります。

私はこれから先もグラビア界が好きなので、これからもグラドル界のジャンヌ・ダルクとして、グラビアに生きてグラビアに死にたい!」

今年26歳となり、人生の半分をグラビアアイドルとして生きてきた倉持由香。13年もの間、耐え抜いた彼女は、自らの努力と仲間たちの支えとともに今後もグラドルの復権を目指す。

イベント後には川崎あやもお祝いに駆けつけた

(取材・文/鯨井隆正 撮影/山口康仁)