フリーアナウンサーとして、そして一児の母として忙しい日々を過ごす阿部哲子さん

各界のバイク女子に突撃インタビューするシリーズ企画。第5弾はフリーアナウンサー、阿部哲子(あきこ)さんの登場です。

2001年に日本テレビ入社後、アナウンサーとして活躍。ある番組の取材班に入ったことでバイクと運命的な出会いを果たしたのだとか。

現在はフリーアナウンサーとして、そして一児の母として忙しい日々を過ごす阿部さんの"バイク愛"とは? バイクに乗るきっかけや教習所時代を語った前編に続き、今回は今だから話せる、彼氏とふたり乗りで行った○○での思い出や、これから乗りたいバイクについても伺った。

―特にトラブったこととかはありますか?

阿部 うーん。幸い、私はないかな。ただ気になったことといえば、埃(ほこり)ですね。ヘルメットのシールドを開けて走ると、すっごく顔につくんですよ。原付の時や教習所で走った時とは比べものにならないくらいに。それが予想外でしたね。

―シールドを下ろせばいいかと…。

阿部 夏場はきついですよ! あとは髪の毛ですね。どうしてもヘルメットを被っているとぺしゃんこになっちゃう。デートの前には乗れません。

―そういえば、彼氏もバイクに乗っていたとか…。

阿部 大学時代の彼氏がスズキのINAZUMAに乗っていて、よく後ろに乗せてもらいました。後ろはいいですよね。顔も汚れないし、風もそれほど当たらない。だからシールドも安心して開けていられたのかもしれませんね。

―タンデムデートはどんなところに?

阿部 それが…ひどい話なんですよ。大体いつも決まっていて、平和島の競艇場です。どんな彼氏だって感じでしょ? 大学が横浜なんだから、もっとおしゃれなところはたくさんありそうなものじゃないですか。でも、決まって平和島なんです。女のコなんて、私しかいない。そこでおじさんたちに混じって煮込みを食べる、みたいな世界で。

―と言いながら、ご自分でも舟券を買っちゃったりして…。

阿部 それは…やっぱり買いますよね。でも勝ち負けにはこだわっていませんでした。ただ、自分なりの楽しさは見つけちゃいました。カッコいい選手を応援したりね。

―彼氏が勝って、プレゼントをもらったりとかは?

阿部 回転寿司をおごってもらったことがあります。普通は割り勘でしたから…って、お話ししているうちにだんだん悲しい気分になってきた(笑)。華やかな女子大生ライフじゃなさすぎて。

フリーアナウンサーの阿部哲子さん

加藤大治郎、ノリダー…の悲しい思い出

阿部さんの愛車だったホンダのシャドウスラッシャー(400cc)。愛称はシャドちゃん。

―(笑)さて、バイクの免許を取って、自分で乗るようになって、MotoGPの中継には役立ちましたか?

阿部 一番は、バイクの怖さがわかったこと。それなのにあんなにスピードが出せるライダーたちのすごさがわかったことですね。レース用バイクと私たちが乗るバイクの違いもわかるようになりました。

レース用のバイクって1億円くらいするじゃないですか。知らないうちは、単純に1億円という金額の大きさに驚いていただけなんですけど、多少なりともわかってくると1億円の理由が見えてくるんです。素材であるとか、関わっている技術者の数とか。そういう興味が増していきましたね。

―選手についてはどうですか? カッコいいライダーを見つけたりは…。

阿部 やっぱり日本人選手を応援していましたが…一番印象に残っているのは悲しい出来事。加藤大治郎選手(※1)のことですね。

※1 日本が生んだ世界的ライダー。年間王者筆頭候補として迎えた2003年シーズン開幕戦。鈴鹿サーキットでの日本GPがスタートしてわずか3周目。マシンコントロールを失った加藤選手のマシンはスポンジバリアに激突。すぐにヘリコプターで病院に搬送され、意識不明の状態が2週間ほど続いたが、脳幹梗塞のため帰らぬ人となった。

―あの時は現場にいらしたのですか?

阿部 はい。ヘリコプターで運ばれていくのを見ていました。なんとか無事であってほしいと願っていたんですが…。バイクレースって本当に危険なスポーツなんですよ。選手たちはみんな軽々と乗っています。でも、その裏にはいつも危険が横たわっているんです。

その数年後には阿部典史選手(※2)もバイク事故で亡くなってしまいましたよね。阿部選手は一般道での事故でしたけど。レースの取材経験が増えていくたびに、そしてバイクの知識が増えていくたびにレースは楽しさと危険が背中合わせなんだなと。それを含めてのスポーツなんだということを一層感じるようになりましたね。

※2 ノリックの愛称で世界中から愛されたライダー。バレンティーノ・ロッシが憧れから自らを「ロッシフミ」と名乗ったエピソードは有名。07年10月、神奈川県内の一般道でビッグスクーター運転中に事故に遭い、急逝。

―危険な乗り物ではあるけれど、バイクだからこそ味わえる楽しさもあります。

阿部 例えば、秋の初め頃とか。街を歩いていて気持ちのいい風が吹くと、バイクに乗りたくなるんですよね。

―いい風が吹いただけで乗りたくなる。クルマでは味わない気分ですね。

阿部 バイクだけの魅力でしょうね。自分と一緒になって風を切っていく感覚はクルマにはありませんから。だからペットみたいに余計に愛着が湧くのかも。クルマには愛称は付けないけど、バイクには名前を付けちゃいますもん。

いつかはハワイの道を大きなハーレーで…

フリーアナウンサーの阿部哲子さん

―ちなみに、なんて愛称ですか?

阿部 シャドちゃんです。ひねりがないですね(笑)。それくらいに可愛がっていたシャドちゃんなんですが、だんだん仕事が忙しくなって。3年ほど乗って手放してしまいました。

―寂しかったですね。

阿部 はい。

―寂しさが勢い余って、シャドちゃんを売ったお金で平和島に行ったりは?

阿部 (笑)ありません!

―失礼しました。では、今は手元にバイクがないとのことですが、将来的に乗りたいバイクはありますか?

阿部 ビッグスクーターがいいですね。荷物も詰めるし、ヘルメットもしまえる。息子とふたり乗りするのもラクそうだから。

―大型バイクとかはどうですか?

阿部 いいですねぇ。シャドちゃんに乗っていた時、たまに大型に乗られている女性ライダーとすれ違うわけですよ。するとちょっと複雑な気持ちになる。"いいなぁ"という気持ちと"負けた"という気持ち。

―平和島とか、バイクの大きさで負けたとか。結構、勝ち負けにこだわってるじゃないですか。

阿部 そうかも(笑)。まぁ、そんな気持ちになったこともあるので、いつかは大型にも乗ってみたいですね。ハワイのまっすぐな道を大きなハーレーで走ったら気持ちいいでしょうね。

―近い夢としてはビッグスクーター。そしてその先にはハワイでハーレー。パイナップル畑の中を突き進む、みたいな。

阿部 そうですね。まぁ、その前に自分が今、どこに向かっているのかがわからないんですけどね(笑)。ただ、バイクにはまた乗りたいですね。

(取材・文/長嶋浩巳 撮影/松井秀樹)

阿部哲子(あべ・あきこ)1978年11月4日生まれ、千葉県出身。2001年日本テレビ入社。2007年、結婚により同社退社。2009年にフリーアナウンサーとして復帰。最新情報はオフィシャルブログ「イヌ派のネコ舌」https://ameblo.jp/akikoabe1104/