今では広く知られている「心を折る」という言葉は、元々、神取忍が発言したものだった

性別も年齢も超越した異次元マッチが12月29日のRIZIN(さいたまスーパーアリーナ)で実現する。御年53歳の“ミスター女子プロレス”神取忍が、“霊長類ヒト科最強女子”ギャビ・ガルシア(ブラジル)と激突するのだ。

ギャビは現在32歳で186cm、90kgという規格外の肉体を誇る柔術世界王者。戦前の予想ではギャビの圧倒的有利、神取にとっては無謀な挑戦と言われる。

しかし、神取は「奇跡を起こす」と断言。大一番を控える“ミスター女子プロレス”を直撃した――。

***

「本当にできるの?」――ギャビ・ガルシアとの一戦が決まって以来、神取忍の耳には試合の実現そのものに疑問を抱く声が届く。無理もない。去年もRIZINで同じカードが発表されたが、試合直前になって神取は肋骨を骨折。出場をキャンセルせざるをえなくなり、涙の謝罪会見を開いたという過程がある。

結局、2016年大晦日は神取の代役として練習パートナーである堀田祐美子が出陣したが、結果は無残なものだった。試合開始早々、堀田はプロレスラーらしくロープワークを披露するが、すぐにギャビにつかまり、屈辱の秒殺KO負けを喫している。

試合後、堀田は「次はぜひ神取さんに仇(かたき)を取ってもらいたい」とアピール。それを受けて神取も「皆さん、今日は本当にごめんなさい。この仇は私が必ず取ります」と、ケガが癒えたらギャビ戦に出撃する用意があることを明かした。

それから1年、神取は元政治家らしく公約を守り、改めてギャビが待つリングに立つ。スパーリングであのヴァンダレイ・シウバを絞め落としたという武勇伝を持つ現役バリバリのヘビー級柔術家に、50歳を過ぎたプロレスラーが挑むこと自体、異論を唱える者は多い。闘いそのものがナンセンスという声さえある。

では、本当に神取にはギャビを倒す可能性はないのか。堀田同様、秒殺負けするしかないのか。いや、そんなことはない。神取の激闘の歴史をひも解けば、勝つ可能性は少なからずあることがわかるだろう。

1987年、神取はかつて「ビューティペア」として一世を風靡(ふうび)したジャッキー佐藤をセメントマッチでボコボコにして引退に追い込んだ。本人はセメントマッチと見られることには首を傾げ、「私はあの試合も基本、プロレスだと思っている。実際ちゃんとプロレスをやっているしさ」と言うが…。

でも、ジャッキーさんの顔面は神ちゃんのパンチでボコボコになったよね?

「あれはやりすぎだよ、ハハハッ」

プロレスにおける暗黙の了解をいとも簡単に越えてしまうところに神取の魅力と恐ろしさが見え隠れする。

そのジャッキー戦で、神取は今や格闘技、スポーツの枠を超えて広く一般に浸透している言葉を世に送り出した。91年にノンフィクション『プロレス少女伝説』を上梓し大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した井田真木子さん(故人)が、同書の中で神取をインタビューした際に引き出した「心を折る」という言葉だ。そこで神取は次のような発言をしている。

「あの試合の時、考えていたことは勝つことじゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも、肉でもない、心を折ることを考えてた」

神取はこの「心を折る」発言を振り返り、「みんな、私が言い出しっぺであることを知らないんだよね」と口を尖(とが)らす。

「井田さんとの巡り合わせがあってできた言葉だけど、ホント商標登録を取っておけばよかったよ(笑)」

天龍戦で「あそこまで殴られると怖いものはなくなる」

10代の頃から男女を問わずケンカでマウントポジションを取っていたと豪語する神取

95年には日本人女子としては初めてバーリトゥード(現在の総合格闘技)にも挑戦している。『L-1』という女子格闘技イベントでロシアの柔道家グンダレンコ・スベトラーナと闘ったのだ。神取は、あの試合で初めてギブアップ負けを喫したことが今でも悔しいと言う。

「勝てると思ったけど、負けてしまった。あの頃は女子格闘技がいきなり盛り上がって、借金してもやれみたいな流れで闘ったけど、終わってみたら身も心もボロボロになっていたんだよね」

当時、日本では寝ている相手の顔面を殴るという行為に躊躇(ちゅうちょ)する選手は多かった。そんなことをするのは「野蛮」という見方が一般的だったのだ。しかし、神取は違う。全くそんなことは思っていなかった。なぜ?

「そんなの中学校時代からやっていたから平気だったんだよ。ハハハッ」

忘れていた。十代の頃、神取は横浜で有名なアウトローだったことを。ちなみに馬乗りで殴っていたのは男? 女?

「女が相手だとケンカにならなかったから。髪の毛引っ張ってパーンと平手打ちを張ったら、キャーと叫ぶ。それからマウントを取っていたんだよね。でもさ、こんなことを続けていたら自分がダメになると思って、柔道を始めたんだよ」

それは、男相手のケンカでも同様だった。神取は柔道をやる前から、世に総合格闘技が広まる前から、性別を問わずマウントポジションを取っていたのだ。

「だから総合格闘技といっても、別に自分がやってきたこととそんなに変化はないんだよ。どこでも殴っていたからさ。誰に教わったわけじゃないけど、マウントを取って殴っていたんだよね」

生まれながらの総合格闘家は「VS男」のプロレスができる女としても歴史に名を刻んでいる。中でも2000年に実現した天龍源一郎とのシングルマッチでは天龍のグーパンチとチョップでボコボコにされ、顔面がお岩さんのように腫れ上がった。

神取は天龍の容赦ない攻撃をハッキリと覚えているという。

「(普段)試合中はアドレナリンが出ているから痛みは感じないもんだけど、あの試合は途中からどんどん痛くなったんだよね(最後はセコンドがタオルを投げ入れ、神取のTKO負け)。それでも歯は欠けなかったし、眼窩底骨折にもならなかったので運がよかったよ。逆にあそこまで殴られると怖いものはなくなる。今でも殴られることに恐怖を抱くことは全くと言っていいほどないね」

「中身は秘密だけど、秘策はあるよ」

相手は柔術世界王者だが、神取も柔道世界選手権3位の実績を持ち、自分よりはるかに大きい相手や男性プロレスラーとも闘ってきた。「53歳の奇跡」を起こせるか?

転んでも、ただでは起きない。それが負けず嫌いの神取の真骨頂だ。15歳から地元横浜の町道場で柔道を始め、男と乱取りすることが当たり前、「VS男」は恐れるに足りぬものだった。

「だから男に組まれたり、投げられたりしてもなんの違和感もないんだよね」

柔道では自分より身体の大きな相手と乱取りを普通にやっていたことも大きな強みだ。98年にグンダレンコと再戦する時には元横綱で身長199㎝の北尾光司に練習パートナーを務めてもらった。

「グンダレンコに負けてすっごく悔しくてさ。練習相手は想定内の中でやったらダメだと思って、あのロシア人より大きな人ということで北尾さんに頼んだんだよね。北尾さんとグンダレンコは確か同じ体重だったんだよ」

この再戦では神取がリベンジを果たした。当時150㎏はあったと言われるグンダレンコと比べたら今回の対戦相手のギャビは小さいことも自信を深める要因となっている。神取は“柔よく剛を制す”を具現化しようとしている。

「大きな相手をいかにして倒すか。それが本来、柔道が持っている醍醐味(だいごみ)なわけじゃん。そういった観点で闘ったら、決して負ける相手ではないんだよね」

かつて神取は世界選手権で3位に入賞したことがあるほどの柔道家であることを忘れてはいけない。ギャビ戦に向け、具体的にどんな練習をしているのかと水を向けると、それまでの饒舌(じょうぜつ)さが嘘のように「それは言えない」と口をつぐんだ。

「中身は秘密だけど、柔術も立ち技の練習もしているよ」

ギャビが突進してきたらどうする?

「秘策はあるよ。そのための対策もしているわけだし。私には年を取ったなりのスキルがある。ガムシャラに向かってくるものに対して、どうやって対応するか。そこに熟練の技が発揮されると思うんだよね」

前回の欠場があるがゆえに、今回は何があっても闘うつもりだ。そんな熱意とは裏腹に、戦前の勝敗予想は圧倒的に「ギャビ有利」に傾く。現在53歳という年齢がネックになっていることは明白だが、神取は世間の予想を覆すと断言する。

「みんな私が負けると思っていたりしてさ、何ビビっているんだよという話だよ、本当に。この年齢でどこまで通じるのか。これから50代で頑張ろうとしている人たちに53歳の奇跡を見せてやるよ」

性別だけでなく、年齢をも超越した“ミスター女子プロレス”は、霊長類ヒト科最強女子の心を折れるか。

(取材・文/布施鋼治 撮影/保高幸子)

●神取忍(かんどり・しのぶ)1964年生まれ、神奈川県横浜市出身。柔道では全日本選抜柔道体重別選手権3連覇、世界選手権でも3位の成績を残す。86年にジャパン女子プロレスに入団し、ジャッキー佐藤、北斗晶、ブル中野らと激闘を繰り広げた。95年に女子初の総合格闘技『L-1』に参戦。現在はLLPW-Xを主宰。12月29日のRIZINで1年越しのギャビ・ガルシア狩りに挑む

●『RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 バンタム級トーナメント&女子スーパーアトム級トーナメント 2nd ROUND/Final ROUND』【日時】12月29日(金)、31日(日)/13:30開場 15:00開始 【会場】さいたまスーパーアリーナ*神取選手の出場は12月29日。対戦カードなど詳細はRIZINオフィシャルサイトでチェック!