「初めて自殺幇助の現場に立ち会ったときは犯行現場にいるような気分でした。止めなくていいのか、と思って」と語る宮下洋一氏

治る見込みのない患者が自分の意思で死を選択する「安楽死」。日本では認められていないが、一部の国や地域では合法化されており、例えばオランダでは、安楽死が死因の4%に上るという。

『安楽死を遂げるまで』はその現場に踏み込み、間もなく死亡する予定の患者や残される家族たち、安楽死に携わる医師から反対派の人々まで、生々しい声を丹念に記録したノンフィクションだ。

著者はジャーナリストの宮下洋一氏。18歳で単身アメリカに渡り、その後スペイン・バルセロナの大学院でジャーナリズムを学んだ彼はヨーロッパを拠点に日本語、英語のほか4言語を操る語学力を生かして活動している。

安楽死に対する著者自身の迷いをも赤裸々につづった本書は、軽率な判断にブレーキをかけ、じっくりと考えるための材料を提供してくれる。

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―安楽死というテーマに関しては、ほとんど白紙の状態で取材を始められたそうですね。

宮下 はい。本にも書きましたが、初めてスイスで自殺幇助(ほうじょ)の現場に立ち会ったときは、犯行現場にいるような気分でした。止めないでいいのか、と思って。だけど取材を重ねるうちに納得できるところも出てくる。その一方で生じる疑問もあり、それらが合わさって、自分の考えが形成されてゆきました。

例えば、本書でスイス、オランダに続いて取り上げたベルギーではそれまでの2国と異なり、末期がんのような肉体的苦痛を伴う症状の人だけではなく、重度の精神疾患患者に対しても安楽死が認められています。取材する前は、自分の中でそれは越えてはいけない一線だ、と思っていました。肉体的にはどこも悪いところのない人が死にたいって言っていたら、普通は止めますよね。

だけど実際に取材してみたら、ちょっと違ったというのがあって。「本人の意思があれば安楽死も可能」というだけで、実際に選択するしないは別として、自殺衝動への抑止力になるんじゃないかと思うようになりました。実際、取材相手の中には安楽死を認められたことで安心し、「もう少し生きてみたい」と言ってた人もいます。

―中盤からは、個人の意思を何よりも重んじ、死を個人のものととらえる欧米と、死を集団のものととらえる日本という対比が強調されるようになります。その認識は最後に日本を取材した後でも変わりませんか?

宮下 はい、そこは変わりません。いろいろ見てきて、自分は何を考えてるんだって自問自答したときに、実は僕は自分が思っていた以上に日本的なものを持っているのかなと思うようになりました。それを強く感じたのはスペインで起きた自殺幇助事件(同国では安楽死・自殺幇助は非合法)の遺族と話したときです。

事故で首から下が動かなくなった男性が、恋人の助けを借りて薬物自殺を遂げた事件で、亡くなった男性のお兄さんはひどく怒ってるんですね。けれども「じゃあ、もしあなたが同じ状態になったらどうするか」と尋ねたら、「俺は安楽死したい」と言う。弟が死ぬのは許せないけど、自分は安楽死していいと。言ってることはめちゃくちゃなんですが、それを聞いた瞬間に「とても日本人的だな、その気持ちわかるな」と感じたんです。家族ってこういうものなのかなと思って、ウルッときました。

そもそもスペインの田舎と日本の村落共同体は似てるところがあるんです。そういう場所で、それまでの取材とは違った形で感情を揺さぶられ、自分の中の日本的価値観を強く意識するようになりました。

安楽死のもうひとつの当事者である医師は―?

―日本でも安楽死をめぐる議論が活発になりつつあります。

宮下 日本に帰ってくるたびに思うんですが、日本人に特徴的なのが犠牲心なんですよ。人に迷惑をかけないように自分を犠牲にする傾向があると思います。だから、もし安楽死が合法化されれば、周りの人や家族に経済面その他の迷惑をかけたくないという理由で選択する人が増えてくるでしょう。本心では生きていたいのに、迷惑を考えて自分を犠牲にする。

だとすれば、それなりの解決手段があるはずなんですよ、日本社会には。欧米人はあくまで個人主導で、カッコよく死にたがっているように感じられることがありますが、日本人にはマイナスの面を見せることも美徳として備わっているのではないでしょうか。

―なるほど。一方で、誤解に任せてものを言う人々も多いと思います。まさにこの安楽死という言葉で、許し難い大量殺人を正当化する者さえ現れました。そうした状況で、本書が与えうる影響についてどのようにお考えでしょう?

宮下 日本でアンケート調査をした場合、今の状況を見てると賛成派と反対派が半々くらいになりそうな気がしなくもないですね。僕としては「安楽死はそう簡単に認めてはならない」というところにメッセージを置いてます。

でも本って自分の都合のよいように読むものじゃないですか。だから例えば、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖(さとし)被告が読んだら「やっぱ自分の言ったとおりだ」と思うかもしれない。「私もスイス行って安楽死しよう」と思う人もいるかもしれない。雑誌で連載していたときも「私も死にたいから教えてください」みたいなメッセージが送られてきましたからね。いろんな読み方があると思います。

―安楽死のもうひとつの当事者である、医師についてお聞かせください。本書には強い信念を持って安楽死や自殺幇助を推進する医師たちが登場します。逆に、たとえ合法でも、最期の注射がなかなか打てずに泣きだす医師もいます。

宮下 ですから患者とその家族だけの問題ではないんです。医師も人間ですし、死なせる仕事なんて、自ら志願できる医師じゃないと務まらないでしょう。

そして安楽死に積極的に携わる医師たちは「安楽死ができなかったから自分の親はあんなに苦しんだ」とか、そういう経験を持っている人が多い。そこから使命感を培って活動しているのですが、でもそれはあくまで個人的な使命感ですよね。

ときどき思うんです。そうした方々の価値観が何かのきっかけで急に変わったら、自分がそれまでしてきたことの重さに、立ち直れないくらいの苦しみを味わうんじゃないかと。安楽死にはそうした問題もついて回るのでは、と危惧しています。

(取材・文/前川仁之 撮影/三野 新)

●宮下洋一(みやした・よういち)1976年生まれ、長野県出身。ジャーナリスト。18歳で単身アメリカに渡り、ウエストバージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。主な著書に、小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した『卵子探しています 世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』『外人部隊の日本兵』など

■『安楽死を遂げるまで』 (小学館 1600円+税)安楽死は、一部の国や地域で認められている正当な医療行為だ。超高齢社会を迎えた日本でも、昨今、容認論が高まりつつあるが、その実態はなかなか伝えられていない。著者は実際に安楽死が行なわれている国へ赴き、患者の「死の瞬間」に立ち会う。患者はどのような痛みや苦しみを抱え、自ら死を選ぶのか。そして残された家族はどのようなことを考えるのか。生々しい現場の声を丹念に拾い集めた衝撃のノンフィクションだ