現代美術の重鎮・柳幸典さんから日本人へのメッセージとは?

ニューヨークでの活躍や大学教授としての立場をすべて捨て、広島県尾道市の離島・百島(ももしま)に移り住み、アートを発信し続ける現代美術家・柳幸典(やなぎ・ゆきのり)。都会を離れ、島から日本を眺めて、初めて見えた日本人の本質とは?

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広島県尾道市の港にそびえる巨大な海運倉庫。戦時中に造られた建物の内部に入ると、瓦礫の中で巨大な目玉が不気味な光を放っている。目玉には、アメリカ、イギリス、フランスが太平洋で行なった300回余りにも上る、核実験の映像が繰り返し投影されている。

これは現代美術の作品でタイトルは、『プロジェクト・ゴジラ-眼のある風景2』。作者は尾道市の桟橋からフェリーで約40分の位置にある、百島という周囲約12kmの小さな離島にいた。

現代美術家・柳幸典さん(58歳)は、その作品がニューヨーク近代美術館やテート・ギャラリー(ロンドン)に所蔵され、ベネチア・ビエンナーレ(アペルト部門賞)で日本人として初めて受賞したアート界の重鎮だ。

彼は、5年前からこの島で創作活動を行ない、廃校になった中学校を借り受け美術館に改装し、「ART BASE MOMOSHIMA」として運営している。ここには柳さんのほか、原口典之さん、岩崎貴宏さん、吉田夏奈さんら有名美術家の作品が常設展示(島民は無料で観覧可)されている。

最新作『プロジェクト・ゴジラ‐眼のある風景2』。瓦礫の中で巨大なアクリル製の目玉が輝く。尾道市西御所町にある県営上屋3号倉庫内。観覧希望は「ART BASE MOMOSHIMA」に要確認

島での活動の傍ら、インドネシアの現代美術館のオープニングや、シドニー・ビエンナーレにも参加。国際的な美術家と瀬戸内ののどかさは一見不釣り合いだが、柳さんは「ぼくは、自由を求めてここに漂流してきた。島にいると日本がよく見えるんです」と言う。

「この島はある意味で、コンパクトな日本の縮図です。百島の人口は今400人台だけど、全体が高齢化していて毎年約20名が減っていく。都市部にいるとわかりにくいけど、これは未来の日本の姿でもあるのです」

柳さんは、島からは都会の“おかしさ”もよく見えると言う。

■人工的なシステムと個人の関係を意識

「東京で人々がなんの疑問も抱かず危機の中に身を置いていることが不思議です。日本の自殺者の数はまるで戦争をしているレベルですよね。人口の3分の1が密集する首都圏にミサイルが飛んできたり、大地震が起きたりしたら、すべて一からやり直しになってしまう。みんな今の状態が今後も続くと思っているかもしれないけど、歴史を見ればわかるとおり社会的大変革は、いつかは起きるものです」

柳さんは「日本人は生き物としての直感、生存本能が麻痺(まひ)している」と言う。

「島では農業漁業もできる。今ぼくは近隣の産直市場で食材を買っていますが、産直で売っているものはその日の自然状況によって異なるので、そのときに手に入る素材に合わせて料理する。でも東京の人はまずメニューを考えないと買い物ができない。大災害などが起きたときにこそ、(百島のような)こういう場所の真価がわかると思うのです」

さらに、「日本の一番おかしなところは、国民と為政者の契約であるはずの憲法が守られていないで、行政によってずるずると変更されていること。日本は決して単一民族ではないのに単一民族だと思い込まされる教育がなされている。いつ、ファシズムが起こっても不思議はない」とも。

その言葉は、彼が歩んできた道のりから湧き出している。1985年に武蔵野美術大学大学院を修了した直後から、自身が『フンコロガシ』(86年)と呼ぶ巨大な土の球でできた作品などで美術界の注目を集めた。美術の枠からはみ出し「移動」をテーマにしたインスタレーションを展開し、日本で若手のホープと目される存在になった。だが90年、突然アメリカの名門イエール大学大学院に奨学生(美術専攻)として留学する。

「画廊の人には、あんたはこれからなのに(日本を離れるなんて)ばかだねと言われたけど、その頃の貸画廊中心の日本の美術の仕組みは、そのうち終わる(立ちゆかなくなる)だろうと思っていた」と当時を振り返る。

イエールの修了展で発表した作品『ワンダリング・ミッキー』(90年、百島で展示中)が、著名な美術家で教授だったヴィト・アコンチなどの推薦を受け優秀賞を獲得。その後、砂絵の万国旗を蟻(あり)が壊していく過程を作品にした『ザ・ワールド・フラッグ・アント・ファーム』(93年)を発表し国際的な名声を得る。「国家など人工的なシステムと個人の関係を強く意識してきた」と言う現代美術家にとって、この作品は代表作のひとつとなった。

『ユーラシア』(2001年)砂絵の国旗を蟻が壊していく過程を描いたアント・ファームシリーズの、ユーラシア大陸バージョン。百島で展示中

人工的なシステムと個人の関係を意識

ウルトラマン&セブンとのコラボが衝撃を与えた『バンザイ・コーナー』(1991年)。百島で展示

この間、ウルトラマン&セブンのフィギュアが日の丸の円を構成する『バンザイ・コーナー』など、斬新な作品を次々と発表。今では珍しくない、美術家とキャラクターのコラボを初めて実現したのも柳さんだ。

「作品は売れた。ニューヨークとサンフランシスコと東京にスタジオを構え、それぞれの場所でふたりのスタッフを雇ってたから、大きなお金を動かしていた」が……今度は、アメリカから忽然(こつぜん)と姿を消してしまう。

「アメリカは、お金がすべての基準。資本主義の奴隷になりますか?と聞かれている気がしたから」だと言う。

アメリカでは、すべてが投資の対象になる。アートへの投資が、児童労働が行なわれている企業への投資と同列であったりする。儲かりさえすればその投資が何に使われようと構わない。

「それは、目に見えて世界をおかしくすることです。作品を売りながら生活しているぼくが言うのは矛盾しているようだけど、ぼくは、その仕組みには荷担したくなかった」

また、「アートはデザインや建築と違い、誰かから頼まれて作るものではなく、自らの意志で作るもの。アートは(生活の)手段ではなく目的であり、社会のタブーや見えない構造を顕在化する役割もある。自分は日本人にしかできないことがしたい」との渇望もあった。

そんなとき出会ったのが、やはり瀬戸内海の島、犬島(岡山県)だった。

「犬島には、明治時代、殖産興業のかけ声と共に建設された銅の精錬所跡と、八百万(やおよろず)の神と暮らす風景がありました。日本が西洋化に舵(かじ)を切り、西洋のまねをして植民地主義に走りアジアの人々に迷惑をかけた象徴のような場所で、西洋の仕組みの中にいる自分たちの立ち位置を確認したかった」

その答えが、構想から13年かけて実現した犬島精錬所美術館(2008年)だった。日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫が実際に住んだ家を素材にした作品が、建築と一体になって永久展示されている。

「日本人は戦争に負けて復興したと思っているけど、日本の政府の上にはアメリカがいて、そこには支配の仕組みができあがっている。アーティストが自由でいるためにはできるだけ資本主義から距離を置かなければならないんです。創作活動するにはお金は必要だけど、できるだけライフコストが安いところにいるほうがいいんですよ」

犬島の体験から離島での可能性を見いだした柳さんは、文化遺産が多い尾道と鞆(とも)の浦から等距離にある百島に拠点を移した。帰国後、大学の准教授(広島市立大学)に就任したが、安定した職を辞した。現在は、この沿岸エリア全体で、アートや歴史、そして暮らしの融合を図る試みを行なうため、行政などに働きかけている(「ART BASE MOMOSHIMA」はその成果のひとつ)。

「誤解してほしくないんですが、ぼくがやっているのは、アートで地域興しではないんです。それだと地域行政の仕組みにとらわれてしまう。アート自体に目的があり、結果的に地域に何か残ればいいと思っています。ぼくには日本全体を変えるのはとても無理だけど、小さなエリアなら変えていけるかもしれないと思うんです」と柳さんは語った。

柳さんは、作品からは想像できないほど気さくな人だった。瀬戸内海を背景に

(取材・文/桑原和久 撮影/桑嶋維[怪物制作所])

●柳幸典(やなぎ・ゆきのり)1959年生まれ、福岡県出身。現代美術家。瀬戸内海の百島で廃校を利用した「ART BASE MOMOSHIMA」主宰。国内外で、多数の受賞歴があるアート界の重鎮