「自主夜間中学に学びに来ている人たちって、これまで文科省がその存在を知りつつ、見て見ぬふりで置き去りにしてきた人たち」と語る前川喜平氏

いわゆる「加計(かけ)学園問題」で「官邸の圧力」の存在を明言した前文部科学事務次官の前川喜平氏と、「ゆとり教育」の生みの親としても知られる寺脇研氏、ふたりの元文部科学官僚が日本の教育の現在・過去・未来を語り尽くしたのが『これからの日本、これからの教育』である。

加計学園問題で一躍「時の人」となった前川氏に、教育行政への思い、そして自身の現在について聞いた。

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―本書から伝わってきたのは、思わず「教育バカ」と呼びたくなるほどの前川さんの教育にかける思いです。そもそも文部官僚を目指したきっかけは?

前川 実は、特に強い使命感や決意があって文部省(当時)に入ったわけではないんですよ。高校時代は「アインシュタインを超える物理学者になる」なんて思っていたんですが、3年の夏休みに「数学Ⅲ」に歯が立たなくて挫折し、文転しました。自分の進路について真剣に考えることもなく、東大法学部を受験したのも、進学校にいて「なんとなく周りがみんな受けるから」という感じで……。

でも、実際に行ってみたら法律学ってつまらねえ学問だなーと思って。途中で〝不登校”になった時期もあったりしたから、親に迷惑かけて6年も大学生をやっていました(笑)。

卒業後に官僚の道を選んだのも「俺は金儲けとか向いてないし、やっぱり公務員かな」という漠然としたものでした。しかしそのなかでも、カネやモノではなく人の心を扱う、人間くさい領域の仕事がしたいと思って文部省に入ったんですね。

―本書にも出てきますが、文部官僚になってから比較的早い時期に「教育行政とは人間の人間による人間のための行政である」「教育行政とは助け励まし支える行政である」「教育行政とは現場から出発して現場に帰着する行政である」という明確な「3原則」を自分なりに打ち立てています。

前川 あれは30歳くらいの頃、宮城県教委の行政課長として出向していたときに自分の心得みたいなものとして考えました。

結局、「教育行政」って「教育」じゃないんですよ。私は教育行政の専門家であっても教育の専門家じゃない。本当の教育は、やはり現場の先生たちがやっておられることなんです。

それをちょっと文科省で権限を持った人間が勘違いして、上から「教育はこうあるべきだ」って考えて、それを現場にやらせるのが自分の仕事だと思い込んでいる人が少なくないし、政治家の中にもそう思っている人がたくさんいます。でも、本当はそうじゃない。教育の本質は現場にしかなくて、教育行政というのは、その「教育の現場」を黒子として支える側の仕事だと思うんです。

―前川さんのような考え方は文科省内でも少数派ですか?

前川 そうかもしれません。ただ、最近は文科省よりも「文教族」をはじめとした政治家で権力を持っているような人たちが、教育の現場に「国家主義的な観念」を植えつけようとしていて、それはすごく危険なことだと思っているんですけどね。

「自主夜間中学」でボランティア講師をやっています

―そういう文科省で前川さんのような人が生き残り、事務次官のポストまで上り詰めるのは大変だったのでは?

前川 おかげで「面従腹背」の技術は随分と習得しました。役人というのは、その時々で自分のポストに与えられた裁量の範囲内で動くわけですが、私は常に「国家か個人か」といえば「個人」を大事にする方向に行っていました。

もちろん、組織の中で仕事をする以上、地位が低ければ低いほど与えられる裁量権も小さいわけで、当然、本意ではない仕事も随分とやらされましたが、それはもう宿題だと思ってやるわけですよ。その制約のなかで、できる限り自分の理想に近い方向に持っていく。そんなことを繰り返しながらずっとやってきました。

―そうやって次官のポストまで上り詰めても「加計問題」では裁量権の限界に直面したと。

前川 まぁ、そうですね。そういうことです。

―文部省を辞めて、最近はどんな生活を?

前川 神奈川と福島にある「自主夜間中学」で学習支援のボランティアスタッフとして講師をやっています。

この自主夜間中学というのは学齢期の子供が通う一般的な「フリースクール」とはちょっと違って、すでに学齢期を過ぎた人や、なんらかの理由で教育の機会を失った人があらためて“学ぶ場”なんですね。だから生徒さんの年齢は10代から80代までいて、国籍も日本、フィリピン、ペルー、コロンビア……とバラバラ。

学習の動機もさまざまで、例えば福島の20代の男性はゲームの「ダメージ計算」がしたいので掛け算を学び直したいというんです。なるほど、そういう「学びの動機」もあるのか……という発見も、やはり現場でしか得られないものですよね。

―ところでなぜ、元エリート文部科学官僚の前川さんがその先生を?

前川 ある種の罪滅ぼしですよ。私は文科省の行政の責任者だったわけですが、自主夜間中学に学びに来ている人たちは、これまで文科省がその存在を知りつつ、見て見ぬふりで置き去りにしてきた人たちなんです。

でも、私たちの仕事はこの国に暮らす「ひとりひとりの学習権」を保障することのはず。それが何よりも大事なのに、制度の隙間に取り残された人たちを冷淡に扱ってきた歴史がある。ただ、この3年ほどで風向きが大きく変わり始め、自民党の馳浩(はせ・ひろし)議員を中心とし「夜間中学を応援しよう」という超党派の議員連盟が議員立法の形でフリースクールや夜間中学を支援する「教育機会確保法」を成立させました。それが約1年前、2016年12月のことです。

―たまには政治家もいいことするんですね。馳さんといえば、強行採決時の「バリケード役」のイメージでしたが(笑)。

前川 そう、いいこともするんです。私も馳さんと一緒にこの法律の制定作業に関わったのですが、馳さんって文字どおり「気は優しくて力持ち」の、とてもいい人ですよ。

とはいえ、法律はできたけど、そこにはまだ理念と方針しか書いてない。それを具体的な形にしてゆくのは、やっぱり「現場」の仕事です。次のステップは公立の夜間中学を全国につくること。すべての人たちに「学ぶ機会」を保障することが「教育行政の原点」なのですから。

(インタビュー・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)

●前川喜平(まえかわ・きへい)1955年生まれ。東京大学法学部卒業。79年、文部省(当時)へ入省。宮城県教育委員会行政課長などを経て、2001年に文部科学省初等中等教育局教職員課長、10年に大臣官房総括審議官、12年に官房長、13年に初等中等教育局長、14年に文部科学審議官、16年に文部科学事務次官を歴任。17年、退官。現在、自主夜間中学のボランティアスタッフとして活動中

■『これからの日本、これからの教育』(ちくま新書 860円+税)天下り問題で引責辞任した後、加計学園の問題をめぐって安倍総理の“ご意向文書”の存在などを国会で証言し、「行政がゆがめられた」と“告発”した前文部科学事務次官の前川氏。この問題を通じて教育行政とはどうあるべきか、また生涯学習からゆとり教育、高校無償化、夜間中学まで、同じく元文部官僚の先輩、寺脇研氏と語り尽くす