縄跳びひとつで世界的なパフォーマンス軍団「シルク・ドゥ・ソレイユ」入団を果たした粕尾将一さん

コント日本一を決める「キング・オブ・コント2017」で惜しくも優勝を逃すも、その独特のセンスで大ブレイクを果たしたお笑いコンビ「にゃんこスター」。目下、バラエティー番組でも引っ張りだこだ。

アンゴラ村長がかわいいとか、コントが斬新とか様々な評価がある中で、今回、注目したのは「縄跳び」。かつて「お前のギャグはつまらん、縄跳びでも跳んどけ」と言われたことが飛び始めたきっかけだというが、アンゴラ村長の見事な縄捌(さば)きに、その奥深さを感じ取った次第だ。

そこで、縄跳びの深淵を語ってくれる人はいないか?と探してみたところ、先駆者を発見! それが縄跳びひとつで、あの世界的なパフォーマンス軍団「シルク・ドゥ・ソレイユ」入団を果たした粕尾将一(かすお・しょういち)さんだ。早速、お話を伺ってみた。

縄跳びを始めたきっかけ、世界のトップクラスの訓練法を語った前編に引き続き、あの世界的なパフォーマンス軍団「シルク・ドゥ・ソレイユ」への入団秘話について伺った!

―歓声の中で演技する楽しさ…それがシルク・ドゥ・ソレイユに繋がっていくのでしょうか。入団する経緯を教えてください。

粕尾 そもそもは大学1年の授業で「シルク・ドゥ・ソレイユに就職するためにはどうすればいいか」というレポートを書いたことがきっかけですね。それを書いている時、シルク・ドゥ・ソレイユのホームページにレジュメや動画を投稿できるページがあることを知り、自分の縄跳び動画を送ってみたんです。

―すぐに反応はあったんですか。

粕尾 いやいや。2年くらい経ってからですね。突然、連絡が来て、"縄跳びのパフォーマーを探している"というわけです。それでオーディションを受けました。最終選考まで残ったものの、その時は契約には至らなかったんです。

ようやく契約できたのは、さらに2年ほど経った2009年。アメリカのフロリダ州オーランドにある"ラヌーバ"という常設劇場でのショーに縄跳びのアクロバットアーティストとして出演することになりました。

―入団が決まるまでの4年間はどんなことを感じ、何をされていたんですか?

粕尾 実は2006年に靭帯断裂の怪我をしたんです。それをきっかけに縄跳びの指導について興味を持ち始めました。思い立ったらすぐにやっちゃうんで、その年の暮れに日本初の「定期開催縄跳び教室」を茨城県つくば市で主催し、小学生を対象に縄跳びを教え始めました。

同時に筑波大学の大学院に進学し、体育教育について、より専門的に学ぶようになるんです。学校教育の中でどのように縄跳びを教えるか、そして教員がどのように指導していけばいいかを研究しました。シルク・ドゥ・ソレイユの入団が叶わなければ、そのまま残って研究者になっていたかもしれませんね。

シアター全体が揺れるくらいの拍手喝采!

左)粕尾さん。同僚のトーマスさんと。2010年からシルク・ドゥ・ソレイユと専属契約、15年までに約2500回「ラヌーバ」に出演した。

―そんな時期を経て、世界的なショービズ界へのデビュー…いかがでしたか。

粕尾 最初の2年くらいは、とにかく勉強することが多くて楽しかったですね。僕は合計で5年半ほど在籍していたんですが、後半になるに従って、しんどくもなっていきました。というのも、まずは公演回数の多さが辛い。年間500公演ほどやるんですよ。体力的にも内容的にも、だんだんきつくなっていきましたね。

―勉強になったことというのは、例えばどんな?

粕尾 基本的なことからですね。そもそもステージに立ったことがないから、まずはステージでの立ち方です。印象に残っていることでいえば、例えば僕らはステージ上では言葉を発することができません。だから演者同士のコミュニケーションは、お互いの動作や表情から汲み取ることになる。

そうやって連携しながら、ショーとしてどのように見えているかを計算しながらステージ上で動く…そういうことを学びましたね。同じ縄跳びでも、それまでの表現とは全く違いましたから。実際、僕自身の動き方も大きく変わったと思います。

競技としての縄跳びは、とにかく技の難しさや得点数を気にしていればよかった。しかしショーでは「お客様にどう見えているか?」が全て。技の難易度ではなく、いかに楽しんで見ていただくか。意識をそちらにシフトさせるのが大変でした。

―それが"だんだんきつくなった"のは、公演数のハードさ以外には?

粕尾 毎日同じことを繰り返さなければならないこと。それはきつかったですね。振り付けも音楽も衣装も同じ。一緒に働く仲間も同じ。でも、もちろんお客様は毎日違うから、決して気を抜けません。僕自身は正直「飽き」ている部分もあって、その意識との戦いが大変でした。

そこにもちろん、肉体的な疲労もあって。毎日、ハードなショーを続けることで体のダメージは蓄積していきました。それでなくても縄跳びは膝やアキレス腱に負担がかかります。ある時、体のケアよりもショーに出ることを優先したため、ジャンパー膝になって、4ヵ月ほどショーを休むことになってしまいました。

縄跳び一本で何ができるか!

―逆に、いい思い出は?

粕尾 僕の縄跳びの演技で世界各国から訪れた観客が驚き、歓声を上げてくれたこと。シアター全体が揺れるくらいの拍手喝采なんです。そんな経験、なかなかできませんよね。一生、忘れないと思います。

―ちなみに、シルク・ドゥ・ソレイユともなると、お給料もよかったじゃないですか。

粕尾 それは勘弁してください、契約違反になっちゃうんで(笑)。ただ社会保障がしっかりしているのは驚いたし、ショービズ先進国のアメリカらしいと思いましたね。

―高校時代から始めて、縄跳びで大学に入って、世界的なショーも経験した。まだまだ縄跳びは今後、可能性があると思いますか。

粕尾 まだ誰も見つけていない、縄跳びを使ったアプローチの方法はあると思います。スポーツとしての価値、パフォーマンスとしての価値、教育としての価値などはこれまで経験してきましたが、まだ見ぬ価値があると思っています。縄跳び一本で何ができるか、貪(どん)欲に探求していこうと思います。

―具体的な目標はありますか。

粕尾 競技選手、そしてパフォーマーとしては後進を育てたいという気持ちがありますね。そこまで大げさでなくても、例えば縄跳びの楽しさを伝えることで、"運動嫌い"な子ども達を減らしていければとも思います。二重跳びができずに悩んでいる子どもをひとりでも多く救ってあげたいですね。

(取材・文/長嶋浩己)

粕尾将一(かすお・しょういち)1986年生まれ、栃木県出身。都立狛江高校卒業後、筑波大学体育専門学群に進学。高校時代、アジアロープスキッピング選手権で優勝できるレベルに上達。大学進学後は体操部に所属しながら世界ロープスキッピング選手権で個人総合6位入賞を果たすなど活躍。2010年からはシルク・ドゥ・ソレイユと専属契約をして渡米、15年までに約2500回「ラヌーバ」に出演。16年に帰国し、フリーランスのパフォーマーとして全国各地で縄跳び教室を開催している。HP:http://www.shoichikasuo.com/