07年に映画『バッテリー』の主演で俳優デビュー、ドラマや舞台の第一線で活躍し続ける林遣都さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第52回のゲストで俳優の太賀さんからご紹介いただいたのは俳優の林遣都さん。

07年に映画『バッテリー』の主演に大抜擢され、いきなり「日本アカデミー賞」「キネマ旬報ベスト・テン」など数々の新人賞を受賞。その後も『DIVE!!』他で主演、ドラマや舞台の第一線で活躍し続けている。

最近では芥川賞を受賞した又吉直樹の話題作をドラマ化した『火花』や三谷幸喜の舞台『子供の事情』にも出演、コミカルな役まで演技の幅を広げ、さらに注目されているがーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―昨年末にラストで太賀さんからご紹介いただいて。「兄弟みたいな感じで、愛すべき人です」とのことでした。

 そんなこと言ってました? いや、そんな…(笑)。

―遣都さんからすると、カワイい後輩分なんでしょうかね。

 いや、もう後輩っていう感じは全然なくて。一番古い仲で、デビュー作が一緒で…本当に俳優仲間の中でも一番長い関係なんで。

―初主演作の映画『バッテリー』(2007年)からですよね。

 はい。だからずっと繋がっているというか、今でもちょくちょく会いますし。まぁ彼の人柄もあって、仕事だけじゃなく友達感覚で過ごせるというか。特別な関係性ではあります。

―太賀さんはリスペクトしつつ、「ギャップまみれな人ですよ」って言ってましたが(笑)。

 ほんとですか? あはは(笑)。全然、お互いタイプは違いますけど。そういう印象を持ってるんですかね?

石井裕也監督と太賀がすごい昔から仲良しで「公園で飲んでるから来ませんか?」って。行ったら、ふたりがカップ酒を飲んでて、そこで石井さんに初めてお会いした時に太賀が僕のことを「周りの同世代で一番ぶっ飛んでる人です」って紹介をして(笑)。

―ははは(笑)。どこがどうぶっ飛んでるのか、自分ではピンとこない? 普段、周りからもそう言われたりするんですか。

 自分のことなんで、あんまりわからないですけど。太賀とはすごいさらけ出した関係なので、なんでも話してますし。なんか面白がってくれてるのは、お互いリスペクトしてるところでもあるんですよね。

―普通に見たら、当たり前に二枚目の正統派な感じがしますけど…。

 おとなしい感じに見られることは多いんですけど…まぁ、たぶん言ってるのは、きっと一緒によくお酒を飲んだりして、結構、お互いはしゃぐほうなので、そのへんじゃないですか(笑)?

「モテようと思ってる時期はありました」

―まぁ、その世代ではしゃがなかったら、いつ青春なんだ?っていう(笑)。実際、ギャップ的な部分は演技の面でもね。正当派のイメージから入って、最近では幅広く三枚目的な役も…来月公開の『チェリーボーイズ』でも変態チックな童貞で(笑)。

 あはは(笑)。でも、なんか昔から本当に頑固にならずというか、元々「こんな役がやりたい」だったり「映画が好きだ、ドラマが好きだ!」って人じゃないので…。やっていくうちに、演じることがいつからかすごく生き甲斐になっていって、楽しくて。自分の中で常に「なんでもできる」って思っていたいですね。

―意外性としてのギャップであり、引き出しはいろいろ持っていたほうがね。

 自分でもそれを言い聞かせてるというか。マネージャーさんとお話しする作品選びでもそうですし。だから本当に太賀とか同世代でもすごい意識しますし、なんでもできるプラス、役を与えられたら常に他の人にできないことを心がけていきたいなって。

―その元々でいうと、まさか原宿で修学旅行の時にスカウトされてっていう。自分の中でこういう世界に入るイメージはありだったんですか?    

 考えたこともなかったです。決まってからもしばらくそうですし、本当にずっと滋賀県にいると思っていたんで。

―スカウトされたのが15歳で、普通の中学生でした?

 もう、普通でした。

―地元では、それこそ女のコからキャーキャー言われる存在だったのではと…。

林 いや、中3の時はまだそんなに浸透してなかったっていうか、普通でいられたんですけど。事務所に入って、高1で初めてTVに出たり、雑誌に出たりっていうのが始まって。中学で野球部卒業して、ちょっとバンドを始めちゃったり…モテようとかって思ってる時期はありました。

―当たり前にその世代の“モテの欲求”はあったわけだ(笑)。

 そうですね。野球部でずっと坊主だったっていうのもあって、なんとなく3年のクラス替えで一緒になった音楽やってる中心グループのヤツらから、すごい影響受けて。卒業して髪型だったりとかも、ちょっとオシャレしだす時ではありました。

―僕も中学生の時に入ったバレーボール部が強豪で、いきなり髪を五分刈りにした時、だいぶショックでしたけど(笑)。

 ショックですよね(笑)。ちょっとイヤでしたね、坊主は。

「そんな覚悟でやれる仕事じゃない」

―でも、中学までは本当に野球少年だったわけですよね。ちょっとカッコよかったら、それこそ女子の間では有名みたいな…。

 いやいや。でも、そんなに前に出るほうではなかったので。小学生の時はキャプテンだったんですけど、中学になって、他からも混ざってきて、それに負けちゃって控えめなほうに(笑)。3年でそういうバンドのやつと一緒になって、息を吹き返したっていうか(笑)。

―ははは、野球では存在消してたのが(笑)。じゃあ、その頃から両方の気持ちがわかるわけですね。モテの立場だけじゃなく、陰日向の存在も。

林 それはあるかもしれないですね。野球やってる頃は、本当にあんまり女性とも接してなかったですし。今回の『チェリーボーイズ』も結構、当時の光景なんか思い出しながらやった気がします。

―それが、絵に描いたようなシンデレラ・ストーリーみたいに修学旅行でのスカウトで人生変わって。実際こんなことあるんだ?っていう。

 まぁそうですね。今振り返ると、本当にすごくイイこともイヤなことも全部含めて、とっても楽しい10代、20代前半を過ごせたなって思うので、本当にそこがきっかけでありがたかったなと。当時は何もピンときてなかったですし、休みの日に東京に通って、夏休みとかも…高校で一度も学校行事に出れたことがなかったんで、結構悩んでたりもあったんですけど。

―自覚のないまま、どんどん流されてるような? でもある意味、端から見たらトントン拍子というか。いきなり『バッテリー』で主役デビューして、そこから『DIVE!!』とか、ずっと主役級で注目されてね。

 最初は作品も大きかったので、めまぐるしく時間が過ぎていって、いろんな出会いがあって。ただ、元々、自分がやりたいと思って始めてないので、そんな気持ちでいると、どんどん悪くなっていくというか。そんな覚悟でやれる仕事じゃないっていうのも20歳過ぎて思って、いろんな辛い、苦しい時期もありました。これじゃ続けられない、変えていかなきゃなって。

―その苦しい感じっていうのは、順調に見えて、自分の中では「本当にこれずっとやっていくのかな?」とか。普通の同世代みたいになりたい、青春したいっていう気持ちとの葛藤だったり?

 学生の時はそれがすごく大きかったですけど。やっぱり、10代で華やかな世界を見て、きっと浮かれてましたね。でも上京して、そんな努力もしてないまま、あっという間に同世代の人がどんどん出てきて入れ替わる…そのギャップに結構、戸惑ったというか。自分が何も動かなければ、真剣に取り組まなければ落ちていくっていうのを味わいました。

―それこそ、正統派の二枚目な好青年でストレートな役も多かったですし。そこからの脱皮というのも?

 そうですね。それで当時のマネージャーさんだったり、いろんなアプローチをかけてくださったっていう、きっかけもあるんですけど。本当に上京して20代…23、24くらいまでの自分は何も考えてなかったなっていう。東京に出て、いろんな人に出会ってふわふわしてた感じです。

―覚悟が決まっていないというか。でも、そういう時期も必要ですよね。

 はい。今になって何も後悔はないですし、全部含めて今があると思っています。

記者から「ハンカチやってください」

―それこそ他で同世代の歳なら、定まってないのが当たり前というか(笑)。でも太賀さんにも思いましたが、子役時代からこの世界に入って、逆にしっかりし過ぎじゃないかって(笑)。

 いやー、本当にそれもありますね。太賀だったり、周りの存在もありがたかったなっていうか。ホントに真面目なヤツが多かったので。『DIVE!!』のメンバーなんかも付き合いがずっと続いてるんですけど、東京の出身がたまたまひとりもいなくて。

こっちに出てくることに戸惑いを持ってたのが結構多くて、だからこそ派手に遊んだりとかもあんまりなく、ずっと仕事の話をしてたり。そういう関係性がよかったです。太賀なんて、ずっと熱いですし…それで酔っ払ったらケンカもしますけど(笑)。

―(笑)自分では「割とまじめなんで。無頼に憧れはあります」とも言ってました。

 世代的にお酒を飲む人もすごい減ってきてると思いますし、そのなんかギリギリなのかなって…。あんまいなくなってる感じじゃないですか。すごいぶつかりますし、突っかかってきますけど、そういう関係性はあってよかったなって。

―頑(かたく)なな芯の部分というか、ここは譲れないみたいなとこもあってね。遣都さんは上の人間にも可愛がられそうなイメージですけど。付き合いの幅は広いんじゃ?

 年下は全くいないです。年上の人が多いです。太賀は後輩とは見てないんで(笑)。ここ1,2年で初めて、下のコとも撮影終わった後に連絡とったりして。今までなかったんですけど。ずっと「誰にも負けたくない」っていう感じできてたんで、なんか…ようやくちゃんと人を尊敬できるようになったというか(笑)。

―ライバル意識のほうが強くて交われなかった?

 だけど、みんな素敵で(笑)。結局、それってすごい卑屈ですよね。ひねくれてて。

―それは意外な…あまりにも最初からスポットライト浴び過ぎて、その反動も? イメージ的にはずっと爽やかなハンカチ王子みたいな…甲子園で話題になった時の斎藤佑樹選手のような(笑)。

林 あははは(笑)。ちょうどあの時期でしたからね。

―早実でマー君(田中将大・現ヤンキース)の駒大苫小牧との引き分け再試合の激闘を制して優勝したのが2006年ですか。

 僕が初めてメディアでTVに出たのが『バッテリー』の制作発表だったんです。それで、もう朝のニュースに全番組で流れるみたいな。高校通ってたから、一気にみんな「朝、見た? 見た?」って、それが一番パチンって変わった日で。

その時、ほんと“佑ちゃんフィーバー”の時期で。たまたま記者の方から「ハンカチやってください」みたいな流れがあったんです。僕もハンカチ持っててやったんですけど。それで一時だけ「映画界のハンカチ王子」みたいな出かたをしたんで。すごい覚えてます。

―なんか被りますよね(笑)。

 はい。ちょうど同じ時期で。しかも野球ですし(笑)。

●語っていいとも! 第52回ゲスト・林遣都「『火花』は自分の中で奇跡的な瞬間がいっぱいあって…」

 

(撮影/塔下智士)

 

●林遣都(はやし・けんと)1990年12月6日、滋賀県生まれ。07年に『バッテリー』の主演で俳優デビュー。「日本アカデミー賞」「キネマ旬報ベスト・テン」などの新人賞を受賞。09年、高校を卒業し上京。その後もドラマなどで活躍を続ける。現在、『FINAL CUT』(カンテレ・CX系)放映中。2月17日には『チェリーボーイズ』、2月24日には『野球部員、演劇の舞台に立つ!』と出演映画が公開予定。

2月17日公開の主演映画『チェリーボーイズ』

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