ソチ五輪に続いて平昌五輪でも金メダルを狙う羽生結弦

今年1月に刊行された『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(集英社新書刊)がベストセラーとなっている。

38年来のフィギュアスケートファンであるエッセイスト・高山真(たかやま・まこと)氏が、表現と技術の両面を踏まえ、マニアックな視点から羽生や羽生以外のスケーターたちの滑りを徹底分析した本書は、フィギュア観戦における新たな“バイブル”との呼び声も高い。

平昌五輪の開幕を控えた今、よりフィギュア観戦を楽しむためのヒントを探るべく、高山氏がこの著作について自ら寄稿したエッセイを紹介!

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ウィンタースポーツの華、フィギュアスケート。現在の日本は、世界でも一、二を争うほど、フィギュアスケートの人気が高い国です。その中心にいる選手が羽生結弦であることに、異論をはさむ人は少ないでしょう。

私は1980年のレークプラシッドオリンピックからずっと、フィギュアスケートの熱烈なファンです。羽生結弦が毎シーズン必ず、自らのオリジナリティと、演技の密度を高めて試合に臨んでくる姿に、このスポーツのファンとして驚かされ続けてきました。

テレビ番組や新聞などでは、4回転ジャンプのことが中心に報道されていますが、あえて私は言わせていただきたい。「難しいジャンプ」は、フィギュアスケートの魅力の、ほんの一部です。

たとえば男子フリーの演技時間は4分30秒。その中でジャンプの時間は、着氷した後に片足で滑りながらポーズをつけている時間を含めても、全部まとめて1分もないでしょう。残りの3分30秒以上は、「スケート靴の刃が複雑に動いて、氷の上を流れている」時間、つまり「スケーティング」を見ている時間になるわけです。

スケーティングが美しい選手の演技は、私にとって「見ている時間のほとんどが、楽しい」のです。羽生結弦というスケーターは、間違いなく私にとって、「見ている時間のほとんどが、楽しい」という選手のひとりです。

ジャンプを跳んでいない3分30秒の間にこそ立ち現れる羽生結弦の美しさ、そして、羽生以外の「見ている時間のほとんどが、楽しい」スケーターたちの美しさ。そんなスケーターたちのすごみを、『羽生結弦は助走をしない』という一冊にまとめました。

正直に告白しますが、私も、1990年ごろまでは、選手たちの演技中はジャンプとスピンを集中的に見ていたものです。また、選手たちの演技を主に「上半身の動き」で鑑賞していたのです(もちろん、そのころも観戦自体は非常に楽しいものでしたが)。

ジャンプとスピン以外の部分を味わえるようになったとき、そして選手たちの演技を主に「スケート靴がどのように動き、氷にどのような図形が描かれているか」という「下半身の動き」で鑑賞するようになったとき、フィギュアスケートは私にとってさらに美しく、深いものになっていったのです。

その美しく深い世界を、読者のみなさんと共有できたら。そんな思いをベースに、フィギュアスケートだけでなくバレエや映画や音楽などの知識も総動員して、可能な限りの「視点」を詰め込んだつもりです。2010年からいままでに羽生結弦の披露した名演技のひとつひとつにも、私なりの考察を加えています。

フィギュアスケートのことを書くつもりはありませんでした

これまで私は、好きな選手の素晴らしい演技は、自分と同じくらいフィギュアスケートが好きな友人たちと語っているだけでした。マツコ・デラックスとトリノオリンピックの女子シングルの中継を見ながら電話で語り合ったりしたのも懐かしい思い出です。

私はエッセイストの端くれですが、フィギュアスケートのことを仕事として書くつもりはありませんでした。その気持ちが変化したのは、ごく最近のことです。昨年の春、「遺言状を書いたほうがいいかも」と思い迷うほど、体調を崩していた時期、友人に、こんな言葉で発破をかけられました。

「遺言状より先に書かなきゃいけないものは、たくさんあるでしょ。アタシは、アンタのフィギュアスケートの解説、好きよ。テレビや新聞じゃ、絶対にお目にかかれない種類のものだし。『好きすぎるものは書けない』なんて甘えてる年齢でもないんだし、やるだけのことやってから、遺言だのなんだの言いなさいよ」

その言葉を愛の鞭にして書き続けていくうちに、体調もなんとか上向いてきたのですから、おかしなものです。

美しいものを語ることは難しい。しかもそれが好きなものであればあるほど、客観的な視線を保つことは難しくなる。客観的な視線が失われれば、それと比例して、読者のみなさんに伝えなければいけないことの質も量も落ちていく。そうならないよう、最大限の努力をしたつもりです。

長年フィギュアスケートを愛してきた方にも、最近ハマった方にも、平昌(ピョンチャン)オリンピックを目前にしたこの時期に「もうちょっと詳しく知ってみようかな」と思った方にも、何か新しい視点を提供できたら…。それだけを願っています。

平昌オリンピック前の予習本として、そしてオリンピックが終わってからも、「美しいものを愛する、あなたの心」に何かしらのスパイスになるような一冊でありますように。

(文/高山真 写真/雑誌協会)

※このエッセイは「青春と読書」2月号に掲載された記事を再掲載したものです。

●高山真 著『羽生結弦は助走をしない 誰も書かなかったフィギュアの世界』(集英社新書・発売中・本体760円+税)