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野中広務は92年の人生の最期、安倍政権の何に憤っていたのか?

[2018年02月13日]

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「抵抗勢力のドン」にして、この国の差別と戦い続けた男・野中広務の生涯とは―? *写真はイメージです

1月26日に逝去した“影の総理”は、自民党の最強フィクサーとして政敵をなぎ倒し続けながら、自身が被差別部落出身であることを公言し、差別される人々のために戦い続けた男でもあった。まさに清濁あわせのんだ生涯を、作家の菅野完が解説する。

■麻生太郎の差別発言に、野中広務は……

野中広務の訃報が伝えられると、共産党の志位委員長や立憲民主党の枝野代表、そしてかつて野中から「悪魔」と面罵(ば)された自由党の小沢一郎代表までもが「他の追随を許さない政治手腕」と最大限の賛辞で哀惜の意を表し、その死を悼みました。

しかし皮肉にも、これほど野中広務が「過去の人」であることを印象づけるものはないでしょう。現実政治にもはや何も影響力を持たないからこそ、立場の違う人々も足並みをそろえて褒(ほ)めることができるのですから。

15年前に政界を引退するまでの野中は、その絶大な影響力ゆえか、さまざまな“ふたつ名”を持っていました。「影の総理」「政界の狙撃手」などなど。一方で、その後、自民党内で力を持つこととなる、新自由主義路線とナショナリズム路線の旗手である小泉純一郎や安倍晋三など(派閥でいえば清和会=旧福田派系の人々)からは「抵抗勢力のドン」「古い自民党の象徴」と不名誉なレッテルを貼られます。

事実、野中広務は極めて多面的な政治家でした。右かと思えば左、左かと思えば右。野中の事績を追いかけると、彼の一貫性のなさばかりが目立ちます。

その象徴ともいえるのが、彼が小渕内閣の官房長官を務めていた頃の事績ではないでしょうか。小渕内閣が発足したのは、金融危機の真っただ中の平成10年。その翌年の平成11年には、国旗国歌法、通信傍受法など今から思えばその後の日本の「右コース」を決定づけるような重要な法律が次々と誕生しています。

その一方で、女性の社会進出促進や女性差別解消に法的根拠を与える男女共同参画社会基本法が生まれたのもこの年。支持層が真逆ともいえるこれらの法案をまとめ上げ、議論百出する自民党内の根回しをし、国会では粘り強く野党と折衝し法律の成立まで漕ぎ着けた政治家こそ、野中広務でした。よく言えば柔軟。悪く言えば変節漢。本当につかみどころがありません。

ですが、野中の長い政治生命のなかでたったひとつだけ一貫していたものがあるように思えるのです。

彼の訃報が流れた際、「野中広務は弱者に寄り添う政治家だった」という言葉が流布されました。しかしその表現はまだ甘いように思います。野中がやり続けていたことは、「弱者に寄り添う」というセンチメンタリズムではなく、もっと具体的で身体的な「差別と戦う」という一点だったのではないでしょうか。


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