(左から)平田洸介、両角公佑、山口剛史、清水徹郎、両角友佑

メダルラッシュに湧く平昌五輪。注目の競技・種目が続々結果を出しているが、そんな中、カーリングも健闘している!

男女共に戦術、組織を磨き上げた最強布陣で挑む今大会、初のメダルどころか、アベックでの快挙も夢じゃない! 昨日配信の女子に続き、後編ではカーリング男子チームの魅力を紹介!

■男子は、家族より密なシンクロカーリング

一方、男子代表のSC軽井沢クラブ。その原点は98年長野五輪にある。当時、カーリング競技を観戦した両角友佑(もろずみ・ゆうすけ)は「何がいいショットかも、ルールすら知らなかったけど、カーリング、熱いなって思って」とふり返る。翌年には現在もコーチを務める長岡はと美コーチと共にAXE(アックス)というチームを立ち上げた。

その後、ジュニア世代で徐々に結果を出し始めると、07年の日本選手権で初優勝。それから10年以上がたったが、両角友の実弟・公佑(こうすけ)、山口剛史(つよし)、清水徹郎(てつろう)、ベースとなる4人のメンバー変更は一度もない。これはカーリング界ではかなり稀有(けう)な例だ。

カーリングは中国など国家単位で強化している国を除くと、メンバーの入れ替えが頻繁(ひんぱん)なスポーツ。ほとんどのチームがシーズン終わりにミーティングを設ける。

「来季は××と組もうと思ってるんだ」

「そうか。あいつとなら面白いグループをつくれるかもな」

世界的にはこんなやりとりが頻繁に行なわれているのだ。国内でも、女子はチーム再編成や消滅など様々な理由があるが、LS北見の藤澤五月(元中部電力)や吉田知那美(元北海道銀行)が所属チーム変更組だ。カーリングは経験を生かしやすいスポーツであるため、移籍や入れ替えも激しくなる。技術は高いのに何年も結果の出ないチームであれば、選手の入れ替えは妥当な判断ともいえる。

しかし、SC軽井沢クラブにはそれが当てはまらない。

カナダ遠征を自腹で敢行、彼らは耐えた

スキップを務める両角兄弟の兄・友佑。攻撃的なスタイルを武器にする日本代表の頭脳ともいえる存在だ

初出場の09年の世界選手権は10位と下位に甘んじた。それから3シーズンは国内、あるいはアジアで勝てずに世界のアイスに立つことも叶(かな)わなかった。普通のチームであればここでメンバーを入れ替えるなり、あるいは仕事や家庭の事情でチームを抜けるなり、何かしらの動きがあるものだが、彼らは耐えた。時にはカナダへの遠征を自腹でも敢行した。

「カナダに行けば、そのゲームは負けても『次のゲームでこうすればいいんだ』っていうヒントは常に転がっていました。大会に出て3連敗して終わり、なんてしょっちゅうでしたけど、それでもずっと試合を見て学ぶ。本当に徐々にですけど、決められなかったショットを決められるようになって、食らいついていけるようになってきました」

14年に3度目の世界選手権で5位になると、翌15年は6位。16年大会はとうとう、日本の男子カーリング界として初のクオリファイ(ベスト4進出)を決めるなど、世界で結果を出した。

同じメンバーでプレーすることの閉塞(へいそく)感を破ったとき、手に入れたものは「成熟」や「阿吽(あうん)の呼吸」といったアイス上の無言のコミュニケーションだ。ショットの質、スイープの力量やクセ、お互いがお互いを熟知するSC軽井沢クラブは、ストーンがハウスに到達する10秒前後の短い時間のなかで、素早い判断と簡潔なコーチングが可能だ。これは大きなアドバンテージだろう。清水は言う。

「一緒にメシ食って寝て、移動して、家族より長い時間を過ごしていますから、だいたい、誰が何を考えてるかはわかります」

10年のコミュニケーション、いや、もはやシンクロニシティと呼んでもいいかもしれない。4人の意思を同期して初のメダルを目指す。

(取材・文・撮影/竹田聡一郎)