子供を産んだ女性は、なぜか急におかあさんらしさを求められます。

『あたしおかあさんだから』の歌詞に対し、女優の三倉茉奈は「つらくなる」とコメント、描かれているステレオタイプの母親像に批判が上がる一方で、「なんでそんなに怒っているのか」と疑問視する声も。

タレントでエッセイストの小島慶子が、世間の気になる話題に思うあんなこと、こんなこと。

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『あたしおかあさんだから』の歌詞を一読した感想は「雑だなあ」でした。「あたしおかあさんだから」って言ってる彼女の心の動きが単純すぎて、AIがいろんな子育てブログやらツイートから抽出して書いたみたいな感じ。子育て中の女性たちに聞き取りをして書いたみたいですが、ちゃんと話を聞けてたんでしょうか。

子供を産んだ女性は、なぜか急におかあさんらしさを求められます。誰に求められるかというと、ママ友とか親戚とか配偶者とか、自分自身とか。あとは幽霊みたいな、世間さまってやつでしょうか。違う人が違う子供を違う環境で育てているのに、全員おかあさんらしさなんて追求したら、子育てがコスプレみたいになっちゃうよ。

この歌詞に対しては「子供を産むのが怖くなった」「母親像の押しつけ」「女性をバカにしている」という批判がある一方で「騒いでいるのは一部の人。母に感謝した」というセンチメンタルな意見もあるようです。親への感謝は素晴らしいけど、一部の人がなぜこの歌詞で怒るのかを考えてみることが大事です。

今の30~40代を育てた70~80年代の母親の多くは専業主婦でした。それが90年代後半には減少に転じ、今は共働きが多数派です。子育てを母親の問題にしておける時代はとっくに終わっています。誰も見たことのない育児の世界を生きているんですね、私たちは。

いかに幸せな子供時代でも、思い出はロールモデルになりません。だって経済状況からして当時とは全然違うのですから。父親と同じように働いても父親ほど稼げないのが今の男性。自分のママの幻想を妻に投影するのは自らの首を絞めるようなものです。

その母親像だって、『サザエさん』や『聖女(マドンナ)たちのララバイ』などの(今あらためて読むとすさまじいマザコン賛歌です)メディアのイメージで加工されているはず。絵空事なんです。

個人的には子育ての何がつらいって、心の振れ幅が半端ないことでした。特に言葉が通じない時期は、世界一大事なわが子を心底疎(うと)ましく思ってしまう瞬間があって、苦しかったなあ。

かつて幼児と乳児を育てていた頃、子供の夜泣きに悩んでいる先輩と語り合ったものです。「子育てって、暗い淵をのぞいては戻ってくることの繰り返しだよね」「あとひとつ悪条件が重なったら、虐待してしまうかもという瞬間があるよね」と。

一生懸命やればやるほど心身共に追い詰められて、弱音を吐けば親失格。加えて仕事もこなさなくてはならない地獄です。そんな状況に「あたしおかあさんだから」なんてフレーズで納得できるか。夜泣きで悩んでいた先輩も、男性だしね。

いったい誰が手放せないのか、なぜか消えないおかあさん幻想。いいかげん、子育て観も21世紀仕様にしてほしいものです。

小島慶子(こじま・けいこ) タレント、エッセイスト。テレビ・ラジオ出演や執筆、講演とマルチに活動中。現在、日豪往復生活を送る。近著に『絶対☆女子』『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(共に講談社)など。