泰明小学校の校長は“アルマーニ標準服”の導入を「国際感覚を養うため」と言うが、「一体どこの国を指して『国際感覚』と言っているのか疑問」と語るサンドラ・ヘフェリン氏

一式揃えると8万円超という銀座・泰明(たいめい)小学校が導入を決めた“アルマーニ標準服”。

同校の和田利次校長は、アルマーニの採用は「服育」教育の一環であることを挙げ、「きちんと装うことの大切さを感じることも国際感覚の醸成に繋がる」と主張しているが、経済格差が深刻な社会問題になっている中で、「公立」の小学校が高級ブランドを“標準服”にする感覚は理解に苦しむ。

アルマーニを着れば本当に「国際感覚」が養われるのか? 「週プレ外国人記者クラブ」第108回は、このニュースを聞いて椅子から転げ落ちそうになったという日独ハーフのコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏に話を聞いた――。

***

―サンドラさんはミュンヘン出身で22歳までドイツで生活していましたが、ドイツには制服ってあるんですか?

サンドラ 基本的にはないので私も着たことがありませんが、数年前から一部の学校では試験的に制服を導入しているところもあります。ドイツでも格差が問題になっていて、子供の服装にその家庭の経済状況が表れてしまうのはよくないということで、学校側と保護者、生徒たちが話し合い「じゃあ、上だけ緑色のトレーナーをみんなで着ましょう」というような感じで採用されました。

ドイツは自由を重んじる社会なので、日本の制服のように頭から爪先まできちっと同じものを着なさいと言われたら、絶対に反発が起きます。日常生活において「何を着るか」は個人の自由に関する根本的なことじゃないですか。だから「格差を目立たなくさせるため」など相応の理由がないと受け入れられません。当然、採用される制服は安く、物持ちがよく、洗濯しやすいという実用的な面が重視されます。

―日本の制服文化を最初に見た時はどう思いました?

サンドラ 母が日本人ということもあるし、日本のマンガもよく読んでいたので、13歳くらいの頃にはセーラー服への憧れがありました。『タッチ』の浅倉南ちゃんとか、制服を着たキャラクターも多いでしょう。絶対着てみたい!と思って、なんとか日本の中学校に3ヵ月だけでも交換留学で行けないかと画策したんですけど、実現せず…。でも4年ほど前に、あるバラエティ番組でセーラー服を着る機会があって夢が叶いました(笑)。嬉しかったけど、中学生の時に着たかったですね(笑)。

―ハハハ。日本って制服だけじゃなくて、髪型とか細かなところまで厳しいルールがあるじゃないですか。生活指導担当の先生がいて、「制服の乱れ、頭髪の乱れが非行に繋がる」と信じられている。こういう発想はどう思う?

サンドラ 正直、アレルギー反応を覚えます。ドイツには服装や髪型を規制する「校則」はないので、髪の毛を緑色に染めたっていいわけです。昨年、大阪の府立高校で、元々の髪の色が茶色い女子生徒が黒染めを強要されて不登校になってしまったというニュースがありましたよね。親に一筆書いてもらって「地毛証明書」を提出しなさいとか、幼少期の写真を提出しなさいとか、差別に繋がることだと私は思っています。

―地毛証明書などは、ルールを作ってフェアに厳しく取り締まらないといけないという、日本人の生真面目さが悪い方向に暴走している例ですね。

サンドラ 規則を守るのは大事だと思っている子供もいるかもしれませんが、私だったらストレスが溜まって陰で悪いことしますね。そういう心配もあるし、少しルールを逸脱した子供がイジメの対象になりかねない。「なんで私は校則守ってるのに、あの子は先生が見ていないところでスカート丈があんなに短いの」みたいに。そうやってお互いに監視しあうのは本来、学校でやることではないですよね。

欧州には制服がない学校のほうが多い

―ハーフの子供や、日本にルーツを持たない子供も増えているのに、髪の毛の色まで取り締まるのはメチャクチャです。

サンドラ 私のようなハーフだと、思春期になると髪や目の色が変わってくることはよくあるし、両親が日本人の子供でもそういう場合はありますよね。「みんな同じであること」を強いることに、教育上なんのメリットがあるのでしょうか?

―全く同意見です。そんなサンドラさんが泰明小学校のニュースを見た時、どう思いました?

サンドラ NHKのニュースで見て、椅子から転げ落ちそうになりました。「8万円」「アルマーニ」「公立小学校」というコンビネーションが衝撃的で。いろいろ調べたら、校長先生が保護者に向けてアルマーニの標準服を採用した理由を書いた文書が出てきて、そこには、銀座には外国人観光客も多いので、子供たちには国際感覚を養ってもらいたいということが書いてありました。

私が疑問に思ったのは、一体どこの国を指して「国際感覚」と言っているのか?という点です。イギリスやアジアの国々には制服はありますが、アルマーニが生まれたイタリアを含めてヨーロッパ全体を指すのであれば、制服がない学校のほうが多いので、それを指して「国際感覚」というのは矛盾しています。

本来、制服というものは各家庭の経済状況を考慮したもので、実用性が重視されます。もし、その「国際感覚」が「外国人観光客に見られても恥ずかしくない日本の小学生」という意味だとしたら、優先順位が逆ですよね。

泰明小学校の校長先生は「銀座らしさ」「泰明らしさ」をアピールしていますが、何をもって「らしさ」なのか。確かに銀座というエリアは高級ブランドショップが並んでいるので、それをもって「銀座らしさ」と言っているのかもしれませんが、私はひねくれているので、じゃあ町工場が多い下町の学校だったら「下町らしさ」を出すために作業着を制服にするのかって考えてしまいます(笑)。

地域の「らしさ」を打ち出すのは危険な発想だし、そもそもそれになんの意味があるんでしょう。

―ドイツでは「服装で子供たちの『格差』が強調されないように」と、試験的に簡単な制服を導入しているのに、こちらは「泰明と他の小学校は違いますよ!」と、敢えて格差をアピールしているみたいで、制服文化に慣れている日本人もさすがに違和感を抱いたんでしょうね。

サンドラ あと、些細なことですが気になったのは、男子の制服より女子のほうが2千円高いんですよ。泰明小学校の生徒の親御さんからすればどうでもいい差なのかもしれないけど、ドイツだったらこの点でも炎上しますね。女性のほうが平均年収が低いのに、格差をなくすための制服の値段がなぜ女子のほうが高いのか。将来的に男女格差をなくしたいのであれば、値段も平等にすべきだと思います。

―ドイツ人っぽいツッコミだ(笑)。

サンドラ それから、小学生がアルマーニの制服を着てトイレ掃除をするというシュールな光景を想像しました。私はヨーロッパの階級社会的な考え方は好きではありませんが、ヨーロッパにそういう考え方は事実としてあって、その感覚からいえばアルマーニを着ているような子供は自分で掃除はしません。

そもそもドイツの公立校では、国が雇った業者が掃除をします。日本の学校で子供たちが掃除をするのはよい文化だと思いますが、アルマーニを着て掃除をしているのは欧州の感覚からすると、滑稽(こっけい)な姿に映りますね。

「国際感覚」を勘違いしている先生も…

―ハイブランドの洋服がどういうものなのかという、まさに「国際感覚」が日本には足りないのでしょうね。ところで、泰明小学校の校長先生が言っている「泰明らしさ」というのは「校風」と言い換えてもいいと思いますが、ドイツには「校風」という概念は?

サンドラ 「校風」という概念はないので、ドイツ語には訳せません。

―日本では「校風」以外にも、「社風」とか「家風」とかいろんな風が吹くんですけど(笑)、ドイツにはそういう言葉すらないんですね。ちなみに、泰明小学校のHPの「学校長より」を読むと、学校の「伝統と風格」を前面に出している。今、日本社会は右寄りになってきていると言われているけれど、この文面からもそういうニオイを感じませんか?

サンドラ 私もそう思います。そもそも「銀座らしさ」「泰明らしさ」は国際感覚を養うこととは相容(い)れないですよね。先ほど言ったように、その「国際感覚」が仮にヨーロッパ的な感覚を指すのであれば、今や、EUはひとつの大陸のようなものになっていて「ドイツ人」「フランス人」という国単位ではなく、「EU人」という感覚を共有しようという方向に向かっている。

その先にはグローバル化を見据えた「地球人」という発想が大事な時代なのに「日本らしさ」「銀座らしさ」…さらには「泰明小学校らしさ」と、国際化とは逆で内向きの狭い方向に向かっている気がします。

―そもそも国際化というのは外側に広がって多様性を受け入れていくものだけど、「外国と日本」どころか「銀座とそれ以外」を分ける発想は、国際感覚とは言いがたい…と。

サンドラ 「伝統」を大切にすると、なぜイタリアのブランドの制服になるのかも謎だけど(笑)。そのアルマーニを使って内側に籠もっていくようなね。「学校長より」には、「道徳科を推進する」とも書いてあります。小学校では今年から、中学校では来年から始まる道徳の授業では「愛国心」を教え込もうとしているんですよね。これも「よい校風を作りましょう」という発想と共通していますね。

そうやって、教育現場で「日本らしさ」を強調されると、ハーフや外国にルーツを持つ子供たちはどうしたらいいんでしょう。国や、国籍や、宗教や、肌や髪の色の問題だけじゃなく、社会にはLGBTや障がい者の人たちも含めて「いろんな人がいますよ」と教えていくことが「現代の教育」に最も必要なことだと思うのですが、この方向性は逆行していますよね。日本の公立校に通う外国にルーツのある子供たちが「私は日本の一部ではないのかな?」と不安になるような教育現場は時代にそぐわないと思います。

校長先生のメッセージを読んでいると、「国際感覚」の主体に「外国にルーツを持つ子供」が含まれていないように感じますし、「国際交流」=「観光客への接し方」というすごく短絡的な部分に留まっているようにも感じます。銀座の外国人観光客にアルマーニの制服を着た小学生が流暢な英語で「ユニクロはあっちですよ」とか道案内をすることが、本当に意味のある国際交流なんでしょうか?

―むしろ、日本がいかに「国際化していない」か…泰明小学校の騒動は象徴している。

サンドラ たまに学校の現場でも国際感覚を勘違いしている先生がいます。例えば、生徒に対してわざわざ「あなたはタイにルーツがあるんだから、タイを誇りに思ってください」とか言ったりして、勝手に「自分は国際化に理解がある」と思い込んでいる。でも「自分が何人であるか」は、先生ではなく本人が決めることです。「タイの文化をクラスのみんなに発信して」とか言われて、その生徒がパクチーの発表をしても、先生は喜んでも当人は全然嬉しくないことだってあるんです。

―それ、いかにもありそうだなぁ…。

サンドラ 私自身も、トラウマというほどじゃないけど、ミュンヘンの中心地から郊外に引っ越して転校した時に同じような経験があります。先生は私の母親が日本人だと知っていて、あたかも私は日本からの転校生のように扱われて、日本のマンガについての発表をさせられたんですよ。「ドラえもんの話をしま~す」みたいな。ドラえもんは好きだけど、自分でも「?」で。これは30年前の話で、今ではそんなことあり得ないですけど。

―「●●らしさ」を押し付けることで、傷つく子供もたくさんいるということですね。

サンドラ 「日本人らしさ」とか「銀座らしさ」を持つかどうかは、生徒が決めることです。いろんな背景や思考の子供たちがいるんですから、むしろ教育現場ではそこには触れないほうがいいと思う。「いろんな人がいます」ということを漠然と伝えるだけでいいと思いますね。

(取材・文/川喜田 研 撮影/保高幸子)

●サンドラ・ヘフェリン1975年生まれ。ドイツ・ミュンヘン出身。日本歴20年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから「ハーフとバイリンガル問題」「ハーフといじめ問題」など「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』、共著に『ニッポン在住ハーフな私の切実で笑える100のモンダイ』『爆笑! クールジャパン』『満員電車は観光地!?』『「小顔」ってニホンではホメ言葉なんだ!?』『男の価値は年収より「お尻」!? ドイツ人のびっくり恋愛事情』など