メジャーリーグ・ツインズ傘下チームのコーチに就任した三好貴士。すでに、渡米をしており、選手指導に当たっている。

2018年春、米メジャーリーグ・ミネソタツインズ傘下の球団、エリザベストン(ルーキーリーグ)で、日本人指導者が誕生! 米独立リーグ(※)で選手、コーチ、監督として経験を積んできた39歳の三好貴士(たかし)だ。

NPB(日本プロ野球)やMLB傘下でプレー経験のない日本人が指導者となることは、MLBでも前例がない抜擢だ。 (※)MLB傘下に属さない、独立経営で組織されているプロ野球リーグの総称。

今回、三好は監督やメインコーチ陣のサポート役となる4thコーチという役職に就いた。すでにアメリカ独立リーグの世界では指導者として大きな評価を得ており、16年には初の日本人優勝監督に。そこから最優秀監督賞に2年連続で選出されている。

彼が今回、成し遂げたメジャーリーグ傘下チームへのコーチ就任がどれだけ日米の野球にとって意味のあることなのか。三好のこれまでの経緯や今後の展望を聞きながら、明らかにしていく――。

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―そもそもアメリカで指導者になるきっかけや経緯はどのようなものだったのですか?

三好 元々、指導者になるつもりはありませんでした。高校卒業後、アメリカの独立リーグを中心にプレーしていましたが、27歳の時に選手を引退し、日本に戻って3年ぐらい英会話教室のマネジメントや営業をしていました。ですが、引退する時に選手としてのけじめをつけるため、2009年、31歳の時、アリゾナのトライアウトリーグに参加しました。そこで、ビクトリア・シールズ(米独立リーグ、ゴールデンベースボールリーグ)というチームの監督を務めていたダレル・エバンスさんという方に出会い、コーチとしてオファーを受けました。メジャー通算414本もホームランを打った方ですので、大変名誉に感じました。

―三好さんのどんなところを、評価されてのオファーだったのですか?

三好 選手としての能力はそこまでなかったんですが、普段のノートを取る姿や、質問するところを見てくれていたのがきっかけですかね…。最初は、彼のアシスタントコーチとして、インターンみたいな感じで入れてもらいました。お金も出ませんでしたが、そんなすごい野球人の下について、何かを学べる経験なんてないですからね。

―そして独立リーグからアメリカでの指導者の道が拓けていったと。どのくらいの時期からその道でステップアップしていこうと思われるように?

三好 最初は学ぶのに必死で、とにかくコーチとして、プロ野球の指導者として何を知らなきゃいけないのか、目の前のことを覚えるのに一生懸命でした。それが3年ぐらい経つと、投手交代のやりくりや、チームをどうまとめるかといった、コーチングに必要な知識もつき始め、ステップアップを意識するようになりました。さらに、メジャーリーグの組織で働く友人から、メジャーがどんなところなのか、いろいろ話を聞いていたんです。優秀な人材が集まるところですので、自分が中に入って彼らと切磋琢磨した時に、どれくらい成長できるのかなと思うようになりました。

―アメリカで指導者となって、辛かったことや苦しかったことは…。

三好 差別は、よく感じていましたね。メジャーや傘下のマイナー、独立リーグの中で、自分とドジャース傘下チームで指導しているもうひとりしか日本人指導者はいません。そういう状況で、「よく来てくれたね」という反応にならないのは仕方ないことです。そもそも彼らの土壌に入っていって、アメリカ人の仕事を日本人が奪ってるんだから、それを快く思わない人も当然いますよね。

―具体的にはどのような差別を受けたのですか?

三好 例えば、契約の際に住居も用意しておくと言われていたのに、いざ現地に行ったら、何も用意されてなくて。コーチなのに選手が住むシェアハウスのリビングルームで寝ることになりました。でも、選手がうるさくて寝られないので、畳一畳分のボイラールームで寝泊りしていました。

他にも、監督がスプリングトレーニング(春季キャンプ)で、コーチングスタッフみんなに自分のことをコーチとして紹介してくれたのに、終わった瞬間に「おい、通訳」って呼ばれたりもしましたね。「お前のことなんか認めてないぞ」という感じは、多々ありました。でも、アメリカの面白いところは、実力を示せば、評価がガラッと変わるとこなんです。

2016年に優勝監督となった際に作られたリング

―どうやってその評価を覆(くつがえ)してきたんですか?

三好 誰よりも早く球場に行き、誰よりも遅く帰り、選手が打ちたいと思ったらいつでもバッティングピッチャーとして対応できるようにしたりと、みんなが疎(おろそ)かにすることをとにかくやる。そして、こちらから積極的に選手とコミュニケーションを取っていくことで、自然とチームから信頼してもらえるようになりました。

―どこの社会でも大切なことですが、できそうでいて、なかなか難しいことですよね。では、やりがいを感じる瞬間というのは?

三好 毎日感じているのですが、ユニフォームに袖を通せた時ですね。アメリカでは、ユニフォームを着るということは重いことなんです。今年はツインズ傘下チームのコーチになりますが、契約書の中には自分のことをいつでもクビにできるという条項が入っています。

独立リーグの場合でも、そこは当然、シビアです。結果が伴わなければ、指導者も選手も即クビを切られます。実際、優勝経験もある監督さんがクビを切られるところも見てきました。だから、1日終わって、ユニフォームを脱いだ時に「ああ、今日もユニフォーム着れたな」って。そして、明日も着れるようにしたいという思いだけですね。それが積み重なって、たまたま8年間続いただけなんです。

気合いの200球は、日本野球の悪しき習慣?

―その厳しい環境で8年もの間、指導者をされていて、日本との違いを感じるのはどんなところですか?

三好 今年、ヤクルトに復帰した青木選手も「ベースボールと野球の違いがある」とコメントしていましたが、一番の違いは練習方法ですね。日本では練習時間が長いですが、アメリカでは決められた時間の中、テンポよくチーム練習を行ない、それ以外では個人の課題練習やウエイトトレーニングに励みます。また、練習よりもオープン戦で実践経験を積むことが多いですね。日本のプロ野球では、春季キャンプで投手がブルペンで200球投げ込むなんて当たり前の光景で、マスコミの報道の仕方も含め、球数が気合いの現れみたいになってますよね。アメリカでそれは絶対にない。

メジャーではキャンプ初日のブルペンは球数や時間がしっかりと決められていて、ひとり当たりブルペンで投げる時間は7分以内とか20球ぐらいとしている球団もあります。肩は消耗品という考えが強いからです。ワールドシリーズが行なわれる10月にピークをもっていけばいい、という発想ですね。

―シーズン中、日本だと投手は中6日でローテーションを回すのに対して、アメリカでは中4日ですし、球数の制限もありますからね。メジャーには選手間の合理的な競争システムが構築されていますが、ここも日本と大きな差がありますか?

三好 野球は9人しか試合に出られませんよね。巨人やソフトバンクのように3軍を導入している球団もありますが、日本の場合、出場機会のない選手の受け皿は2軍しかない球団がほとんどです。そこに45人もいるのだから、当然、出場機会にも差が出てしまう。

対してアメリカはマイナーリーグが7軍まであり、ここに約180人の選手がいるのですが、ほぼ均等に出場機会が与えられます。それぞれのカテゴリーで70~140試合が行なわれ、そこで成績を出せる選手が、ダブルA、トリプルA、メジャーと登り詰めていく。トリプルAぐらいになると、皆、競争を勝ち抜いてきてるので、ある程度の結果をメジャーでも残せる選手が揃(そろ)ってくるんです。

―ご自身は独立リーグでコーチングをしながら、同時にメジャーの組織に入るために動かれていたとのことですが、実際にどのような取り組みを?

三好 春季キャンプ期間中に自分でレンタカーを借りて、各球団のキャンプ地を回りました。球場のチケットオフィスで履歴書を出して、断られるということを繰り返していました。でも、そのおかげもあってマイナーリーグディレクター(球団全体を統括する責任者)の存在や、彼らとの連絡の取り方を教えてもらえたりする。履歴書を渡す時期や、封筒もどういうものなら受け取ってもらえるか、どんな書き方ならアピールになるのかなど、読んでもらうための工夫もするようにしていました。

―行動力がすごいですね。そこからツインズとの契約に繋がっていくのですね。

三好 去年、ツインズのマイナーリーグディレクターの方が「キミに興味がある」と連絡をくれ、その後、採用のための電話面接と課題を行ないました。

―課題の中身というのは、どんなものだったのですか?

三好 自分が指導者として、どういう影響を組織に与えられるのか、というテーマを記述するものでした。その問いに対して、「自分は勝てる環境を作れます。独立リーグで、常に選手が納得するような根拠を持ったコミュニケーションを心がけていました。自分のチームには比較的経験の浅い選手が多かったので、自分が目線を下げて、こういう理由だよ、これが証拠で君を交代したとか、これが証拠でキミをベンチから外しているという話をしてきました。

その結果、チームの結束力が高まり、2016年に監督として独立リーグ優勝、17年にはシーズン最多勝の球団記録を打ち立てることができました」という風に答えました。あとは、2015年から去年まで監督を務めたソノマ・ストンパーズでは、セイバーメトリクス()を導入していました。この取り組みを取り入れたのは、独立リーグのチームでは初めてで、そのユニークさも評価されたのだと思います。 

※野球にまつわるデータを統計学的に分析し、選手の評価や戦略を練るための分析手法。映画『マネーボール』で、一躍有名になった。

日本人として、メジャー指導者の前例を作りたい!

―そして今年、ツインズ傘下チームで新たな一歩を踏み出すわけですが、具体的なコーチとしての役割、それから意気込みを教えてください。

三好 4thコーチというポジションで、監督、打撃コーチ、投手コーチをサポートする役割がメインですね。それから試合になれば、1塁コーチもやることになります。コーチという肩書ですが、なんでもやるつもりです。例えば、バッティングピッチャーをやる時ひとつでも、左でも投げられるように練習はずっとしています。そうすれば、左のバッティングピッチャーを雇わなくてよくなる。ノックも右左両方打てるので、野手には右左のバッターからくる打球を捕球練習させられる。そうすることで、少しでも自分の人材としての価値が高まればと思ってます。

―プレッシャーを感じたりすることもありますか?

三好 プレッシャーはないですね。むしろ、この1年、自分がどれだけ成長できるのか、考えると楽しみです。さすがに、アメリカ野球の世界でもメジャー経験者を監督やコーチにするのが通常で、自分みたいなキャリアの人間がコーチをやることは非常に稀(まれ)なんです。人材を多様化させ、それぞれの良いとこを引き出しあっていければ組織も強くなると、球団は考えてくれています。こうした新しい考えを持ったチームと働けるだけで、わくわくしますよね。どれくらい学べるのかなって。

―その成長の先、三好さんの最大の目標は、やはりメジャーで監督をされることですか?

三好 もちろんやってみたいです。日本人の指導者がメジャーに入って、まだやっていないことを全部やりたい。バッティングコーチもピッチングコーチも、監督やメジャーのスタッフもそうです。前例を作りたいんです。日本では選手として実績がないのに指導力のみ買われてNPBで指導者をやることはあり得ないと思います。けど、メジャーでは今やその可能性が出てきた。

もっと言えば、自分の頑張り次第で、日本では評価されなかった選手たちが指導者としてアメリカで活躍するという流れができるかもしれません。もし自分が否定されたら、日本野球界が否定されることだと受け止めてますから。日本人指導者って、この程度なんだって言わせたくないですね。

―三好さんがメジャーで監督をされる日を、楽しみにしております。まずは今シーズン頑張ってください。

三好 一生懸命頑張ります。ありがとうございました。

(取材・文/宮寺匡広 撮影/関純一)

三好 貴士みよし・たかし1978年生まれ、神奈川県出身。高校卒業後、渡米。米独立リーグなどでプレー。27歳で選手を引退し、サラリーマンとしての道を歩むが、31歳で現役復帰。2009年から米独立リーグで指導者となり、2015年には米独立リーグ、パシフィックアソシエーションリーグのソノマ・ストンパーズで監督に就任。2016年、同チームでアメリカプロ野球において、日本人初の優勝監督となった。2018年からメジャーリーグ、ミネソタ・ツインズ傘下のエリザベストンでコーチを務める。